「…ちょっとだけ、聞いてくれる?」
「……」
「私、ここの皆さんってあったかくて素敵だと思うんだよね」
「……」
「…でも、暖かすぎるのって、何だか怖くもない?」
「……」
「暖を失う恐怖と暖かさ自体に対しての恐怖、どっちも感じたりするんだよねえ。…なんて、聞いてる訳ないか」


自分でもよく分からない笑みを顔に広げてから、足元に寝転がるマスルール君の赤毛をゆっくりと撫でる。見ているこちらが心地良いくらい気持ちよさそうに眠る彼が眩しくて羨ましくて、静かに目を伏せた。

思えば、この国に来て早くも7か月。
その間に色々な体験をした。酸いも甘いも噛み分けた。恐ろしい思いだってした。中でも一番恐ろしかったのは言うまでもなくあの事件だけれど、不幸中の幸いとでも言うべきか、妊娠してはいなかった。それを確信した夜は、ヤムライハちゃんと一緒に泣きながら飲んだ。ありがとう、という感謝の言葉を数え切れないくらい口にした記憶がある。

つまり、今こうやって私が他愛ない考えを巡らせる事が出来るのは、私ではなく周りの皆さんの力である訳だ。それは明白である。
無論、抱えきれないくらいの感謝もしている。恩返しの為にもこの国に尽くしたいとも考えている。皆さんともっと腹を割って話せるようになりたいとも、考えている。

いるのだけれど、どうやら私はそれを考える以前の問題を抱えているらしい。


「…予防線、か」
「……」
「失礼しちゃうよねえ、ジャーファルさん。予防線、って、別にそんなつもりじゃ…」
「……」
「ない、はずなんだけど、なあ」


マスルール君というよりも、マスルール君の下に広がる地面に対して呟きながら、陽光に反射してギラギラと強力な光を放つ赤毛を今度は大袈裟に撫でてみた。くしゃくしゃ、と掻き乱しても直ぐに元に戻ってゆく短くて健康な髪に、憂鬱の籠もった溜め息を落とす。

ジャーファルさんに予防線を張っているのかと質問された時、私は答える事が出来なかった。
そんなことは、そんなつもりはない。そう言いたかったのに、言葉に出来なかったのだ。それはきっと、私の中にもその意識が確実にあったからだと、今改めて冷静に考えてみればそう気付く。

私とこちらの世界の人達とは根本的な何かが違う。私がいくら慣れたって、この人達と全く同じにはなり切れやしない。
そう考えていたのは、否、そう考えているのは紛れもなくこの私で、それが無意識のうちに他人の呼び名にまで影響していたというのであれば、これ以上に頷ける話などあるだろうか。

簡単に言ってしまえば、ジャーファルさんの言う通り私は予防線を張っていたのだ。自分と、この世界の人達とを区切る明確な糸を。
ただその糸はすこし緩くて、中途半端に親交を深めたり時には同化してしまいたいとすら考えさせられた事もあったけれど。けれど矢張り、どこかで元の世界への未練も感じる私は緩んだ糸を断ち切るという選択は出来ないでいた。

ここにいたいのに、元の世界にいつかは帰るのだと考えると泣きたくなる程であるのに、私はどうしたって、どっちつかずのままなのだ。本当に自分に嫌気がさす。糸を断ち切れず、かと言ってピアノ線のように鋭く張り直すことも出来ず、緩んだままでのうのうと息をする。こんな私の生活が、果たして本当に後悔のない選択の結果だと言えるのだろうか。

マスルールくんの綺麗に揃った睫毛をゆっくりと鼓膜に焼き付けながら、小さく伸びをする。

今日だって私は、朝起きて朝食をとって、医務室にいって医学書を見方に病気や怪我の手当てをして、昼休みになったからここに来ただけ。なんの変哲もない、ただの一日。きっとこの生活ならば、別段私でなくても幾らでも代えがきく。こんな中途半端な私でなくても、私の周りの暖かい人達は何ら支障なく生きてゆける。笑ってゆけるのだろう。


「あー…考えたら悲しくなってきた」
「……」
「私って馬鹿だよね、マスルール君」
「……」
「きっとどこかで、自分は特別な人間だって、ちょっとだけ思ってたんだよね。でも実際そんなことは全くなくて、本当にただの生身の人間で、皆さんとまったく同じで」
「……」
「なのに、どうして私だけ、こんなに卑屈なんだろうなあ」


快眠中のマスルール君にこうやって気持ちを吐露してしまうのも、私がただの臆病者である証なのかもしれない。

分かっている。私はこのままじゃいけない。このままどんどん、要らない人間になってゆきたくない。私を信用すると言ってくれたシンさんやジャーファルさんに、友達と言って笑ってくれるヤムライハちゃんに、いつまでも壁を作っていてはいけない。

だって、だって私は、いつか彼等と、本当に支え合ってゆけるような関係になりたいのだ。どれだけ未練があろうと、その気持ちだけは嘘偽りないものなのだ。


「…だから、わたし頑張るね、マスルール君」
「……」
「聞いてくれて、ありがとう」


下りたままの瞼にそう囁いてから、医務室に戻るべく重い腰を上げて立ち上がる。今更敬称を変えるのは気恥ずかしいし、まずは一人一人を飲みに誘ってみようかなあ。
そんな事を考えつつ、日溜まりの中に悠然と寝転ぶマスルール君の傍からそっと離れた。上限を知らない空の広さが無性に羨ましく思えて、知らず知らずのうちに足を早める自分がいた。


「…ハァ、リンネさんは、十分暖かいすけど、ねえ」





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