リンネがあまりにも怯えた表情でピスティと一緒にいた事に対して頭を下げるものだから、意味が分からず小首を傾げた。すると彼女も同様に首を捻って、そのまま動きを止める。数秒間はその状態のまま固まっていた。
が、次に気付いた時にはもう、お互い顔を見合わせて笑っていた。理由はよく分からない。分からないが、何故か気分が良かった。


「全く、貴方は私をなんだと思っているのです?」
「え、い、いや怒られるのかな、と」
「別に他人の責任まで貴方に乗せる程私は冷徹ではありませんよ」
「そう、だとは思いますけど、でも」


ごにょごにょと聞き取れない声で何かを訴えるリンネに眉根を寄せて対応すると、彼女は慌てたように何でもない何でもないと首を振った。何だか軽く拒絶されているようで少しショックだった。最近はようやく打ち解けてきたと思ったのだが。

未だに首を振る彼女に気付かれないよう、ごくごく弱く息を吐く。まあ、以前に比べれば私への余所余所しさは大分軽減されているとも思う。だがそれはあくまで以前に比べれば、である。
今度は表立った溜め息が零れた。が、幸い今のリンネはそんな私の微々たる変化に気付く様子はないようだった。


「ほ、本当に何でもないですから、お気になさらず…!」
「そんなに焦りを見せられると逆に理由が気になりますけどねえ」
「ひ、いえ、別にただ私は、」
「…と、まあそんな冗談は置いといて」
「…じょ、うだん」
「最近はどうですか?」
「最近、ですか?」
「誰か他の者に知られてはいないでしょうね?」


貴方の秘密を。
そう付け足すや否や、リンネの肩がぴくりと揺れる。まさか私とシン以外の人物にも、バレたのか。彼女は口が堅い方だとは思うのだが(なにせ彼女はその秘密を少なくとも4か月の間は独りで抱えていた訳だし)、付き合いが深いらしいマスルールやヤムライハになら漏らし兼ねない。いや、別に秘密を喋っていけないなんていう規則は無いのだが。

一瞬、頭の中が正体不明のパニックを起こしたがそれはすぐさま収まった。彼女が控え目に首を振ったからだ。なんていう思わせぶりな態度だろう、とは流石に口に出せはしなかった。


彼女、リンネが違う世界からきた人間だと知ったのは、今から3か月も前のことだった。リンネとの買い物のあと、シンに渡さなくてはいけない書類を抱えて彼の自室まで来た私の耳に、分厚い扉の隙間から彼女の細い声が聞こえてきたのだ。

最初はとうとうシンがリンネに手を出したのかと、怒りのような悔しさのような、自分でもよく分からない気持ちに駆り立てられたのをよく覚えている。だが、そば耳を立てているとどうやらそんな甘い雰囲気ではない事が分かった。無論言葉全てを聞き取ることは出来なかったが、異世界、とか日本、とかそんな耳を疑うような単語や耳慣れない単語が断片的に鼓膜を震わせたのだ。

流石に彼女のその発言を鵜呑みには出来ないと思ったが、私と違いシンはすぐさま信じたようで、中からは二人がワイワイと会話する声。ああ、と主に対して呆れると同時に、とても詰まらない気持ちになった。何だかこう言うと自分がちっぽけな人間に思えて嫌なのだが、疎外感のようなものを二人に感じてしまったのだ。今思っても、自分自身が情けない。

とにかく、私は扉一枚隔てた先の人物たちに対して得も言われぬ感情を抱いていた訳だが、それが明確な怒りとなって表れたのはもう少し先の事だった。
「これは、俺と君だけの秘密だ」言わずもがなそれは、シンがあろうことかそう言った瞬間である。二人だけの、秘密?この言葉に私の中で何かがプチリと切れたのが分かった。そして気付いた時には私は、重い扉を開け二人の前に姿を現していたのだ。

それからの展開はご想像にお任せしたい。ただ言っておくと、何故だか体を震わせる二人に罰という名の鉄槌を軽く食らわせただけで別段酷な事をした覚えはない。


とまあ回想はここまでにして、取りあえず目の前で私の質問に対して小さく首を振った彼女を見やる。ホッと息をついたのも束の間、リンネは「ただ…」と言葉を濁らせた。自分の眉根が寄ってゆくのが嫌でも分かる。


「ただ、何ですか?」
「…私、実は、ヤムライハちゃんに嘘を吐いているんです」
「嘘?」
「出身を聞かれたときに、咄嗟に私、バルバッドって答えてしまって…」
「なるほど」
「だから、ヤムライハちゃんにはいつかきちんと言おう、と思っています」


伺いを立てるような視線を向けられて、今自分は是非を問われているのだと漸く気付いた。それと共に、彼女の言葉が違和感として臓腑にちくりと刺さる。ただその違和感の正体までは分からず、暖かい温室の中取り繕うように笑顔をつくった。


「良いんじゃないですか?」
「本当ですか?」
「ええ。ヤムライハならば貴方の帰る方法を知っている可能性も無きにしもあらずな訳ですし、私が反対する理由はありませんよ」
「帰る、方法…」
「帰りたくないのですか?」
「…実は、今はまだ、ここにいたい、です」


駄目ですか、と問うてきたリンネに、驚きを隠せなかった。自分の世界に戻りたくないという彼女。嬉しくもあるが、可笑しいとも思う。
いくら成人女性とはいえ家に帰りたくないなど、何か理由でもあるのだろうか。何か知っていそうなシンを問い詰めておかなかった事を心中で後悔しつつ、小さく空気を吸った。薬草で色付いた窒素が、喉を通って肺腑へと落ちてゆく。


「私は別に構いませんが…あ、懇意にしているマスルールには教えなくても良いのですか?」
「…マスルール君、ですか」
「…マスルール、君?」
「え?」
「あ、いや何でもありませんよ」
「マスルール君は、きっと直感的にもう分かってる気がします。何ですっけ、ファナリス?の勘みたいなもので」


ぺらりと薄い笑顔の膜が彼女の顔面に張り付いている様を、確かに見た。その瞬間、いまさっき感じた「違和感」の正体に気付いた。というか、今まで何故気付かなかったのか。帰りたくない、というくせに彼女は確かに私達と自分とを、こんなにも明確な線で区切っているというのに。

暖かい室内の温度に反するように、体温が一気に下がってゆく。彼女は踏み込まれたくないのだろうか。自分に、自分の世界に。でもなら何故、帰りたくはないなどと言う?
どうにも読めない彼女の気持ちも、その事に対し無性に苛立ちを感じている自分も、どこかおかしいのではないかと本気で危ぶむ自分がいた。


「…リンネ、」
「はい?」
「それは予防線ですか?」
「…は?」
「同性でも年下でも、どんなに親しくとも絶対に敬称を付ける。貴方は自分の世界にいる時も、そうだったんですか?」


リンネの動きが止まる。返答は無かった。
言葉にし難い、先程とまるで同じショックに全身を襲われるのをどこか他人のように感じながら、静かに彼女から視線を外す。それはどこか憤りに似ていた。

…ん?ショック?何故私はショックを受けている?
先程も今も、いやこの数か月ずっと、何故私は彼女の言動にいちいち気を立てるのか。おかしい。確実に、何かがおかしい。ほら、それを裏付けるように、喉がカラカラに乾いてゆく。





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