説明、させてください。
私とシンさん、双方の動きが魔法のようにピタリと止まった数秒後、気付けばそんな言葉が私の喉元から飛び出していっていた。説明、と言っても一体何から話せばいいのかは、自分でもよく分からないのだけれど。けれど、取り敢えずこのまま私がだんまりでは埒が明かない事くらいは分かった。



「で、何を説明するんだ?」


場所を変えようと言ったシンさんに連れて来られたのは、以前一度だけお邪魔したことのある彼の自室だった。私をテーブルを挟んで向かい合う形で座らせたシンさんは、にこりと冷ややかに微笑んだ。こんな笑い方が世の中にあるのか、と内心で小さく悲鳴を上げたのがバレていないと嬉しいのだけれど。

そんな風にいつものあの爽やかさを脱ぎ捨てたシンさんを前にして少なからず緊張と不安を抱きつつも、小さく息を吸って、それから自室から出る時に咄嗟に掴んで持ってきた黒くて大きいボストンバッグを大理石で作ってあるというテーブルの上に静かに置いた。その横に、いまさっきシンに見られてしまった分厚い医学書も並べて、一度肩で息を吸う。何だか今なら、空気以外のものも吸い込めるような気がした。


「これは、リンネがここに来た時に持ってきた荷物だろう?」
「はい。あの、すこし聞いていただけますか?」
「もちろん。気の済むまで話してくれ」
「あの、私、なんと言いますか、違う世界から来た…人間、みたいなんです」


日本にいる時、漫画やドラマでさんざん聞いて散々に鼻で笑った台詞をいま自分が吐いているかと思うと、気恥ずかし過ぎて消え入りたくなった。それでも私のこの体験は、トリップと言わなければ他に言葉が見つからないものであるから、仕方なく最後まで言葉を紡ぐ。ある日路上で、特に何もしていないのに目の前が真っ暗になって、気付いたらこの世界に来ていた、と。

こんな話は、もしかしたら信じてもらえないかもしれない。それは理解しているつもりだった。
いくらここが魔法なんていう非科学的かつ末恐ろしいものが存在していると言っても、私だったら矢張り異世界から来たなどという言葉は信じられないだろうから。譫言だと、片付けられる事だって可能性としては十分有り得るのだ。

けれどそんな私の考えは、違う世界、そのフレーズを聞いた瞬間のシンさんの表情によって否定された。いや、否定されたも同然だった。
なんせ彼は、今までの疑心混じりの視線が嘘のように、まるで新しい玩具を見つけた子供のように顔を輝かせ始めたのだから。

ああ、私は助かるかもしれない。
最悪、頭の狂った人間としてこの国から追い出されるという展開も考えていた為、一気に肩の力が抜けたのが分かった。一呼吸置いてから顔を上げると、視線で先を促すシンさんと目が合う。もう既に、その瞳の中には明るい好奇心しか見えなかった。この人は、本当に強い生き方をしている。


「それで、一応その証拠みたいなものも持ってきてみたんですけれど…」
「証拠とは、この無駄に細かい文字の事か?」
「はい。それと、この鞄の中に入ってる、服と歯ブラシと、ああ、あとこれなんですけど」


言いながらバッグの底の方を漁って、お目当てのそれを右手の中に収める。ちょうど一年前くらいに買い替えたスマートフォン。本当に久し振りに触った。勿論こちらにきてもう4か月以上経っている為、電池はとうに切れてしまったから別に何が出来る訳でもない。それに元々、こちらに来てからは何時でも何処でも圏外になってしまって使い物にはならなかった。まあ、当たり前と言ったら当たり前なのだろうけれど。

黒い液晶画面をシンさんの視線に合わせて持ち上げて、携帯の機能を簡単に説明する。
離れた相手と電話が出来たり、手紙のやり取りがこれ一つで可能だったり、あとは今自分が見ている景色を写真という媒介として保存出来たりもするんです。
なるべく易しい言葉を用いながらの私の、お世辞にも上手いとは言えないような辿々しい説明を、シンさんは矢張り子供のように大きく頷いたり、感嘆の声を漏らしたりしながら聞いてくれた。


「それはやはり魔法で動いているのか?」
「いえ、電気というか電池というか…」
「でんき?でんち?」
「ええと、一種のエネルギーみたいな物なんですけれど、その技術開発の産物なんです。それに、私のいたところでは魔法は存在しませんでしたし」


苦笑いでそう答えると、シンさんは魔法が存在しないのかと言って目を見開いた。この世界と今まで住んでいた世界とは正反対のものなのだ、と改めて実感する。
こちらの世界がファンタジーというのが正しいのか、それとも元いたあの世界がファンタジーというべき世界なのかは、これはもう完全に価値観の問題なのだと思う。その証拠にこちらの世界の代表者と言っても過言ではないこの国王さまは、電気エネルギーの話を聞いて「夢のようだ」と零していた。

つまりそう、私たち人間は結局、目の前にある現実しか信じられない。それだけなのだ。そしてそれは、どんな世界においてであっても共通しているのだろう。


電気機器の話の他にも、日本語や衣服、それに教育の話などを一通り終えた頃、ふと思い出したかのようにシンさんが口を開いた。そう言えばリンネは、いつか俺に「世界に捨てられた」と言っていなかったか。
心底不思議そうに紡がれた言葉を、改めてゆっくりと自分の喉に通す。そうだ、私は捨てられたのだ。静かに頷いて、すこし座り心地が悪いと思ってしまうくらいにフカフカしたソファの上で僅かに身じろぎをした。


「だって、本当に捨てられたみたいなものでしょう?ある日突然、違う世界にいるだなをて」
「まあ、確かに間違ってはいない気もするか」
「それだけちっぽけな存在だった、って事ですかね」


少し自嘲的に言えば、正面の彼はその端正な眉間にきゅっとシワを寄せるような妙な面持ちになった。でも否定はしてこないから、恐らく強ち間違いではないと思っているのだろう。
こんな私なんか、なんて自分を否定したら以前シンさんに言われた「自分の評価を自分でするな」という言葉に反してしまうから声には出さないけれど。


「…リンネは、家族はいないのか?」
「います。父と母と兄が」
「じゃあ、彼等も心配しているだろうに」
「…さあ、どうでしょうねえ。両親は私というより、自分達のブランド品としての私って感じで扱ってましたし、兄も自分にしか興味はないし」
「……」
「だから、あまり、家族があったかいんだな、とは思った事はないかもしれません」


場の雰囲気を暗くしてしまうのは分かっていたけれど、けれど何となく、ここで嘘を吐くのは嫌だった。折角全てをカミングアウトしたのに、また新たに後ろめたい事をつくるなんて、私の話を信じてくれるシンさんにも自分自身にもいけない気がしたのだ。

ただ、一応の対応として申し訳程度の微笑みを浮かべる。するとシンさんは眉間のシワをもっと深くして、そんな風に笑うなと彼にしては珍しく厳しい声音で私を諫めた。

でも、そんな事言われたって。
他にどんな顔をしたら正解なの、とは流石に聞くことは出来なかった。代わりに今度は少しだけ目を伏せて、彼からの視線をモロに受けないようにする。大して離れてはいないからか、シンさんが溜め息を吐いたのが否応なしに感じとれた。


「リンネは、家族が嫌いなのか?」
「別に、嫌い、という訳じゃないんです」
「じゃあ何故、帰りたいと一言も言わないんだ?」
「それは…」


それは何故だろう、と自分でも考える。
家族が息苦しいから、いま居るこの場所があたたかいから、自分が成長出来るような気がしているから。どれもが理由になるけれど、どれも今一つ足りない気がした。

答えに迷って言葉を放てずにいる私の前で、シンさんは至って真面目な表情を浮かべている。早く答えなきゃ。そう思うのに、脳が返答を催促しているのに、それなのに矢張り声が出せない。おかしい。なんで。元の、あの世界にだって未練はあるのに。私は何故、帰りたいと思わないの。


「当ててやろうか?」
「え?…え、」
「リンネは寂しいんだよ」
「え、いや、寂しいって…私、もういい年なのに」
「寂しさに歳なんて関係ないさ。リンネはきっと、元いた場所で寂しい思いをしていたんだろう。まあ、無自覚だったのかもしれないが」


小さな微笑みを携えて投げかけられた彼の言葉は、案外なんの抵抗もなく私の真ん中に落ちていった。

私は寂しかった、のか。家族に見てほしかったのか。兄にもっと、興味を持ってほしかったのか。
とてつもなく自己中心で幼い願いだ。けれど、きっと確かに、私はその願いを持っていた。そしてそれは、この場所に来て、その寂しさを紛らわしてくれる優しい人達がいたから薄れていたに過ぎないのだ、と、たった今気付いた。いや、気付かされた、というべきか。


「私、皆さんに甘えてました、ね」
「…ん、まあそうとも言えるな。でも、だ」
「はい」
「俺は君をとても気に入っている」
「…ありがとうございます」
「だから、俺が兄になってやろう?」
「…は?」


意味が分からない。兄?シンさんが?私のあの、無愛想で人を見下す視線の数だけはピカイチのあの兄と同じ位置付け?
有り得ない、がまず最初に来た感情だった。それはありえない。色んな意味で有り得ない。というか地位ある彼としてもマズいだろうに。


「なあに安心しろ!兄としてリンネのこの秘密は守る、約束だ」
「い、いや兄じゃないですから。そんな恐ろしい事出来ません」
「そうか?でも俺達似ているだろう?髪色とか」
「似てもにつきません!シンさん目、大丈夫ですか?」
「堅苦しいな。なんなら兄さ」
「シンさん!」
「…なんだ」
「ダメですよ、そういう、私を甘やかすというか、そんなの駄目です。努力させて下さい。この国の居場所を失わない為の努力を、させてください」


シンさんの瞳を見て分かった。彼が私に居場所をくれようとして、こんな突拍子のない事を口にしたという事が。確かにシンさんの妹になれば、私は何もせずともこの世界に留まる理由と許可が下りる。

けれど、でもそれじゃあ意味がないのだ。
私は私で仕事をして、このシンドリアという国に居てもいいという許可を自分でもぎ取らなくてはいけないのだ。そしていつか来るだろうこの世界から消える日に、笑顔でいられるようにする。それを目標に地道に自分の力を使わなければ、ジャーファルさんの期待に応えなければ、私は一生、弱くて寂しい人間のままではないか。

右手を強く握りながら大きく深呼吸する。シンさんの綺麗な瞳を見詰める。この黄金色に吸い込まれたなら、たちまち元の世界に帰ってしまうんじゃないかと、そんな可笑しな感情を抱いた。


「胸を貸してください。私を、鍛えるつもりで」


もしかしたらただの傲慢なのかもしれない。
けれど、柔らかい笑みを広げて君は本当に軽いのか重いのか分からないと言ってくれるシンさんを見たら、何だか気分がすっきりした。そう言えば私はここで働き始めた直後に、自分とこの国とに負けない、なんてお腹の中で宣戦布告をしたんだっけ。


「でも、リンネが異世界から来たってことは、皆には黙っておくよ。その方がいいだろ?」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあこれは、俺と君だけの秘密だ」
「はい」


自分なりに精一杯力強く頷き返した。と、そのとき、何の前触れも無しに突然、部屋の扉が胃をもたらせたような鈍い音を立ててゆっくりと開いた。思いもよらない出来事に口をまん丸に開けたのは、私は勿論、部屋の主であるシンさんも同じで。ただ扉の向こうからスルリと入ってきたその人は、そんな私達の驚きを固まらせる程の冷笑、いや最早笑顔には見えない凶器のような笑みを浮かべて、ダークグレイの綺麗な瞳をきゅうと細めた。


「二人とも、酷いじゃないですか。私に黙って楽しい内緒話をするだなんて」
「ジ、ジャーファル…」
「私も混ぜてください、な?」

ここまで恐ろしい笑顔は、初めて見た。






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