体中に存在していた筈の痣の数が、三分の一にまで減った。

四日前のジャーファルさんの訪問を皮切りに、私の部屋には沢山の人が訪れるようになった。沢山、と言っても私がここで親しくしている人など両手で数えられる程しかいないのだけれど、それでもヤムライハちゃんとしか会話をしていなかった事からすれば、かなりの倍増だと思う。

皆さんが会いにきてくれる事は、とても嬉しい。私も私で、四日前よりは幾分か男性への嫌悪感を感じる事が少なくなった。

ただ、侍女さんやシンさん、みんな口々に私を労る言葉ばかりを並べてプレゼントしてくるのは少しだけ居心地が悪かった。何度私が自業自得という言葉を口にしても、彼らは「そんな事はない」と真っ向から否定してくるのだ。気を遣われているようで嫌だ、なんて文句を言ったら恐らくもっと気を遣わせる事になってしまうだろうから、そんな事口が裂けても言えないけれど。

それともう一つ、もう一つだけあまり好ましくない事があった。





「リンネさん、入っていいすか?」


小気味良いノックの音に続いて、聞き慣れた低い声が部屋の空気を伝ってこちらに届いた。はーい、と随分気の抜けた返事をすれば直ぐに扉は開いて、溶け込むような動作でノックの主であるマスルール君が入ってくる。

マスルール君はここ数日は毎日この部屋に来てくれるひとりだ。どうやら彼は私を尋常でない程に心配してくれていたらしく、久し振りにきちんと顔を合わせた三日前の夕方なんてそれはもう強い力で抱き締められた。骨が折れちゃう、と冗談混じりで言ったら本気で心配して今度は真面目に申し訳なさそうな顔をした時には流石に困ったけれど。

そんな彼の赤毛は今日も太陽に愛されていた。見ていて心地良い、綺麗な色だ。


「こんにちは、マスルール君」
「ハア」
「毎日来てくれてありがとう」
「…別に」
「好きで来てんだもんな、お前は!」


突然のマスルール君とのほのぼのした心和らぐ雰囲気を壊すような台詞と声のトーンに、ひ、と思わず素直な拒絶が零れる。入り口の方へと目をやれば、その空気の読めない声の主は今正に後ろ手で扉を閉めようとしていた。
褐色の肌に、銀色の髪。そしていやに露出の多い格好をしたシャルルカン、その人だ。

彼はずかずかとこちらに歩み寄ってくるなり、調子はどうだリンネサン!なんてまるで旧友に対するように話し掛けてくるのだからもう返す言葉もない。

というより、男性に少なからず不信感を抱いている私にとって、まだ知り合って日の浅い彼に気さくに近寄ってこられる事は一種のストレスであるのだ。ストレス、は言い過ぎかもしれないけれど、でも確かに私の中にはこのジャーファルさんとはまた違った雰囲気を醸し出す銀髪の彼に対する不安や抵抗感があり、それ故私はそう、彼が苦手だった。
まあそうなったのには、実は別の理由もあるのだけれど。


急繕いの薄い笑顔を顔にぺたりと貼り付けて、掠れた声でこんにちはと挨拶をする。幸か不幸かシャルルカンは単純で人の表情の機敏なんかにも疎いらしく、私の本心など鑑みもせずに陽気な笑顔を浮かべた。彼の明るい性格は嫌いではない、とは思う。けれどその後、何故か調子に乗った彼が今開発している新しい剣技の話やら、今日のマスルールの様子やらを変わらず大声で話始めた事は全く頂けないと思った。

まず根本的に言わせてもらうと、この面子だと必然的に男性二人に囲まれる状態になってしまう事が一番の問題だった。情けない話だけれど、異性に囲まれる、特になおかつ見下ろされているという状態になると未だにあの時の記憶がフラッシュバックしてしまう事があるのだ。だから実は、今も少し、気持ちが悪い。

一向に止みそうにないシャルルカンの話に最早相槌を打つ事も止めてただシーツの端を握り締める。脳が、段々麻痺してきた。やだ、だから、こっちを見下ろして喋らないで。笑わないでよ。

我慢がきかなくなって頭を抱えようと両手を動かした瞬間に、ぱし、なんて誰かが誰かの腕を掴む音がした。


「先輩、うるさいっス」
「んだとぉ?マスルール」
「…リンネさんも先輩の話のあまりの詰まらなさに、耳塞ごうとしてます」
「え?ってマジかよ」
「い、いや、つまらないというか…」


言いかけて、口を噤んだ。マスルール君の真意を何となく感じ取ったからだ。
きっと彼は、私が可笑しくなりそうだった事に気付いて、適当な理由を付けてシャルルカンを止めてくれたのだろう。その証拠に、マスルール君はシャルルカンのマシンガントークを中断させただけでなく私の目線に合わせるようにしゃがみ込んでくれた。ああ、なんでこんなに気が利くんだろう。

マスルール君の優しさが、残りの痣なんて全部消してくれるんじゃないかと感じる位に身に染みた。


「ごめんリンネサン!話そんな詰まんなかった?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど…、こちらこそごめんなさい」
「笑える話をと思ったんだけどさあ、」
「…あの、シャルルカン君」
「ん?」
「大変言い難いんだけど、その、わたし」
「先輩!」


突然の声に、びくんと肩が揺れる。野太く大きな低音はもちろんマスルール君のもので、それに大きく目を見開いていると、彼は徐に立ち上がり落ち着き払った声で「先輩もう休憩時間終わりっすよね、行かなくていいんすか」と口にした。

当のシャルルカンもシャルルカンで、やっべマジかよ、なんて声を上げて私に再見の挨拶を手短に述べてからバタバタ忙しなく扉を開いて外へと走ってゆく。シャルルカンの半ば乱暴な動作によって扉が音を立てて閉じた頃には、マスルール君はひとつ大きな息を吐いて再びしゃがみ込んでいた。


「マスルール君…?」
「…今、先輩に直接『苦手だ』とか言おうとしましたよね」
「あ、…バレてたの?」
「まぁ。…駄目っすよ、ああ見えて先輩は打たれ弱い人ですから」
「…ごめん。ありがとう」


小さく頭を下げると、マスルール君はゆっくり微笑んでからその柔らかそうな赤い髪に手を添えた。
柔らかい日の光を全身で受け止めるうちに、ほんの少し、シャルルカンへの罪悪感を覚える。心根は優しい人間なんだろうな、というのも、きっと私は彼とも仲良くできる筈だ、というのも分かっていた。でも、やっぱりまだ怖い。それに。


「…私、最初にあの子がここに来た時に言われた言葉が、あんまりにも的を射すぎてて、多分、苦手意識が出来たんだと思う」


一昨日の昼過ぎ、マスルール君の二回目のお見舞いに付いてきたシャルルカンは、ベッドに座る私を一目見て言った。なんだこの暗い女。シンドリアに似合わない面して、なんでお前はこんな奴の為にわざわざ昼寝の時間を削るのかと。

恐らくその時点では、シャルルカンは私にあった出来事など知らなかったのだろう。若しくは私があの事件の被害者だとは知らなかったのか。
どちらかは分からないけれど、兎に角シャルルカンが私に関して全くの無知であった事は分かる。だって、その日の夜会った彼はとても申し訳なさそうな表情で、同情と親しみを込めて私の名前に敬称を付けて呼んだのだから。

でも、私は怖くなってしまった。
彼に言われた言葉が否定のしようもないもので、どうしようもなく心が痛くなって。

私はシンドリアには似合わない。暗くて、寂しい。
どれも正しすぎて、肌を刺すように痛くて、弱い私はそれを彼への苦手意識としてみなす事しか出来なかったのだ。分かってる。全部私が弱いのが、いけないという事は。

肩を落として俯けば、マスルール君がベッドの縁に手をかけたのが視界の端にちらりと写った。


「…大丈夫じゃないすか」
「え?」
「どうせすぐ、苦手じゃなくなります」
「…そう、だね」


今すぐは無理でも、きっといつか。
この苦手は克服出来る、いや、克服しなくてはいけない。

ただその為には、まず私がシンドリアという明るい国に似合うように精力的に働かなくてはならないのだ。早く、出来るだけはやく男性への恐怖を拭おう。そう心中で一層の努力を誓いつつ、是しか返ってこないだろう事を問うてみた。
あの子を、明日も連れてきてくれる?






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