「リンネ!」 「ヤム、ライハ、ちゃん」 私の名前を叫ぶように口にしながら部屋に入ってきたのはヤムライハちゃんだった。彼女は俯き気味の私を見るや否や、またもや凄い勢いで扉を閉めてから私のもとへと駆け寄ってくる。元々そんなに広い部屋という訳でもない所為か、瞬きをする間もなく抱き付かれ、結果私の視界はその美しいエメラルドで埋め尽くされた。 腕がきつくて、少しだけ苦しい。でも、確かに暖かい。あたたかくて優しくて、安心してしまう。 静かに目を閉じると同時に、彼女の掠れた声が直接に鼓膜を揺らす。ほんと馬鹿ね。涙混じりの声音に、思わず彼女の形の良い頭を撫でている自分がいた。 震えている。ヤムライハちゃんは私より辛そうに、私の事を思って震えているのだ。そう考えたら申し訳なさと有り難さで胸が一杯になって、「ヤムライハちゃん」と彼女の名前を呼んでいた。ああ、私はなんて最低な人間なんだろう。彼女にこんなにも心配を掛けてしまうなんて、本当に最悪だ。 ゆっくりと数回頭を撫でた所で、彼女は漸く私を抱きしめる手を緩めてくれた。途端に我先にと入ってくる酸素達を彼女にバレないようにゆっくりと享受しながら、今度は小さくごめんねと呟いた。 「ああもう!心配したんだから!」 「うん」 「本当に本当に馬鹿ね!」 「うん」 「辛かったね、ごめんね、ごめんね助けてあげられなくて」 私が謝った筈が、何故か逆に謝罪を返されてしまった。彼女に非などないのに。シンさんといいヤムライハちゃんといい、この国の人々はみんな優しすぎる。何で私を責めないんだろう。全ては私の身勝手から引き起こされたと言うのに、何故。 自問の答えは容易に見付かるはずもなく、だからと言って目の前でその整った顔を歪める彼女に問い掛ける事が出来る訳でもなく、ただ小さく息を吸って、吐いた。ヤムライハちゃんは何にも謝る事はないんだよと言いながらすべすべの手を握れば、彼女は涙の膜を目一杯張って大袈裟に首を振る。 本当は昨日の時点で私の元に来たかったのにシンさんに止められていた、と声高に訴える彼女は、まるで宝石のような涙を白いシーツへと零した。その宝石達は音もなく、ただじわじわと丸い形を成してゆく。綺麗だなあ。場の雰囲気も何も関係無しに、ただ純粋にそう思った。汚い私とは大違い。綺麗な綺麗な、ヤムライハちゃん。 羨ましいと同時に自分の浅はかさに嫌気が差して、静かに目を伏せた。すると敏感にもそれをしっかりと察知したらしいヤムライハちゃんは、今さっき私が彼女にしたのと同じように柔らかな掌を私の頭に載せてくれた。じんわりと暖かな彼女の体温が、私の頭皮をゆっくりと懐柔してゆくのが何となくだけれど感じ取れた。 「リンネ、どうしたの?」 「…本当は言うべき、じゃないんだけど」 「え?」 「わたし、ね、」 「…うん」 「…もし、妊娠してたら、死にたいの」 怒られると、思っていた。そんな気弱な事を言ったら、自分の生までも否定したら、彼女は私を嫌ってしまうかもしれないと覚悟していた。とても恐ろしかった。 でも、実際は違ったのだ。 彼女は溢れ出してしまった私の狡い本音に一瞬目を見開いたものの、直ぐに表情を戻して、一言だけ零した。じゃあその時は私が殺してあげる。だから、だから安心してと、そんな彼女の気持ちは言葉にされなくとも肌を伝って私の心臓へと染み入ってきた。たまらなく嬉しくなって、でもやっぱり痛くて悲しくて悔しい思いを拭えはしなくて。 ただただ、ヤムライハちゃんの体温に縋るように手を握った。体中から彼女に聞いてもらいたい気持ちが喉へと集まってきて、息が出来なくなる。 「ヤ、ムライハちゃん、怖かった…」 「うん」 「痛くて、でも子供が出来てたら、私、どうしたらいいの?それが、一番こわい、よ」 「…リンネがその子を愛せないと言うのなら、私が育ててあげるわ。顔も見たくないというのなら、どこか遠くに私が捨ててきてあげる。それに本気で死にたいと思うんだったら、私があなたごと殺してあげるわ。」 約束、これは約束よ。 そう言って、ヤムライハちゃんは涙の筋を拭きもせずに柔らかく微笑む。私の馬鹿みたいな発言に怒るどころか肯定して確約までくれる彼女に、声を出して反応する事が出来なくなってしまった。 私は、こんなにも思われている。 彼女の暖かさに触発されたかのように唐突に姿を現した安堵感を右手に抱いて、左手は未だ彼女の手を握ったままにして大きく頷いてみせた。不思議な事に、やはり涙は出てこない。きっと今の私にとって、涙という奴はそう簡単に出て来るものではないのだろう。別にいいや、この国と、ここの人々と繋がっている糸が切れなければ、目尻から塩水が落ちようが落ちまいがどうだって。 寝台に預けていた体をゆったりと起こして、彼女がシーツに作った涙の染みを力一杯握ってみた。冷たい。 「私は、立ち直れると思う?」 「それは女として?人として?」 「どっちも含めて」 「…ええ、もちろん」 「そう?」 「だってリンネ、あなたの場合例え自分の傷が塞がっていなくたって、目の前に病人がいれば何もせずにはいられなくなるでしょう?」 「…そっか。うん、そうだね」 ありがとう、ヤムライハちゃん。 |