[クリオネ番外編|謝肉祭]


「まはら、がーん?」

謝肉祭、という慣れない響きに単語に小首を傾げると、シンさんは誇らしげな笑顔で「まあまあ見ていれば分かるさ」なんて言って私の頭をぽんぽんと撫でた。是非楽しんでくれ、とも付け足した彼は、私にくるりと背を向けるや否や快活に周りに指示を飛ばし始めた。

さてはシン、公務をサボれてラッキー、なんて思っている訳じゃありませんよね。
そう零したのは言わずもがなジャーファルさんであり、そんな光景を目の端に捉えつつ、謝肉祭とは一体どういう祭なんだろうかと思案したのはたった数十分前の自分だった。





そして今。そんな私の目の前では、大きな大きな生き物が地の上をのた打ち回っている。

この大きさや色合い、忘れる筈もない。少し形こそ違えど、恐らく南海生物というやつだろう。船上にいた頃のあの騒動を思い出して一瞬鳥肌が立ったものの、直後にシンさんが仲間をぞろぞろ引き連れてやってきた事、それに応じるように周りの国民が、老若男女問わずに今まで以上に沸いた事によって危機感はきれいさっぱり無くなった。

その代わりに私の思考の対象は、シンさんの後ろを誇らしげに歩いてくる華やかな人々に移ってゆく訳で。
ただ単にこちらに向かってくるだけなのに得も言われぬオーラ的な何かを感じさせる彼らに、自然と息を飲み見詰めてしまう自分がいた。一団の中にマスルール君とヤムライハちゃん、それにジャーファルさんがいる事からして、この人達があの八人将という人々なんだろうか。

疑問は声に出すまでもなく、近くで賑わう民たちが口々に「王と八人将様だ!」だとか「偉大なる我が王と守護天使達が来た!」とか何とか叫んでいたので確信に変わった。ジャーファルさんが守護天使、と考えたら吹き出してしまいそうになった事は、是非とも確実に何があっても黙っておこうと思う。

そんな下らないことを考える間にも、一段高い場所にいるシンさんが高らかにマスルール君の名前を呼んで、今回はお前が仕留めろよと命令する声が聞こえてきた。

仕留めるって、あの生き物を、ひとりで?
スケールの大きさ、というか何だか世界観の差を感じつつもマスルール君の身を案じる。シンさんの口調からしてさして大変な所行ではないのだろうけれど、それでも心配なものは心配なのだ。

もし万が一の事があったら、私が助けてあげなくては。彼に関してだとどうしても先輩風を吹かせたくなってしまう私はきっと年上失格なんだろう、なんて考えが頭を過ぎった瞬間に、当の本人は南海生物の元へと降りていった。そして地面に降り立ったかと思えば、すぐさまマスルール君の鎧がピリピリと輝き出す。きれいな色に光るんだなあ、と感心する間もなく彼はそのまま自分の何倍もある生き物へと突進してゆき、そして何ということか、それを瞬殺してしまった。

無論私の周りの大観衆は一気に熱を上げ、マスルール君の名前がどこからともなく飛び交いもう地鳴りのような歓声が私を覆う訳なのだけれど、それを気に出来ないくらいに驚いて声も出なかった。今まで私が何の気なしに接してきた彼はこんなにも凄い人なのだ、と今更気付いたなんて私はやはり年上失格、というよりは彼の友達失格なのだろう。

半ば放心状態でボーっと見詰める視界の先には、倒れた巨大な生き物と、何食わぬ顔で命令を全うしてシンさん達の元へと戻ってゆくマスルール君。世界が違う。違い過ぎる。

その事実が痛いくらいに心臓をはじめ私の臓器という臓器に刺さり、何だかとても寂しい気持ちになった。
いくら彼等が心を砕いてくれても、結局私は違う世界の人間としか生きてゆけないのだろうか。彼等とは相容れない存在なのだろうか。悲しい話である、けれど。


その後、マスルール君に入れ替わるようにして銀髪で褐色の肌の青年が見事な剣捌きであっという間に魚をおろし、更に等間隔に切り分けていった。すごい。スケールに随分差があれど、まるでマグロの解体ショーを見ているような心境になった事は、言わずもがなだろう。そして彼の解体が合図であるかのように人々は一気に動き出し、各々が料理をしたり酒樽を運んだり急に忙しなさを見せ始めるものだから驚いた。

結果、気が付いた時には、広場は正に祭り一辺倒となっていた。
賑やかな民の声、綺麗な踊り子さん達の化粧品の匂いとお酒の匂い、所々で上がる焚き火。それら全てが、驚く程優しく暖かく混ざり合って、この活気に満ち溢れた空間を形成していた。

いい国、なんだなあ。そんな事をしみじみと感じつつ、賑わう王宮前の広場を歩いてゆく。するとその時、王宮のバルコニーでシンさんが私に向かって大きく手を振っているのが見て取れた。しかも私の名前と「こっちに来ないか」みたいな台詞も口にした、と思う。周りの喧騒に掻き消されて本当かどうかはいまいちだけれど。

とにかく、王様の誘いを断るのも気が引けて、王宮内に入り彼等が揃うバルコニーへと足早に向かう。石造りの階段を上がればすぐである為、考え事なんてする暇もなくそこに着いた。


普段なら広さばかりに目が眩むこの場も、今はたくさんの人が集い、あの生き物で作った食べ物なんかを食べたり笑ったりしている。その中央あたりに、手すり脇の椅子に悠然と腰を下ろしつつ酒を煽るシンさん、そしてジャーファルさんとヤムライハちゃんと、先程まばゆい光を放っていた八人の内の一人の、名前は知らないけれど何度か廊下ですれ違った事のある美しい茶髪の青年が談笑する後ろ姿を確認出来た。

思わず、目を伏せてしまいたくなる。この人達と私とでは、違いすぎる。そんな一種の疎外感を感じて、引き返してしまおうかと右足を後ろに引いたその瞬間。

幸か不幸か、ヤムライハちゃんに見付かってしまった。
可愛らしく私の名前を呼び、おいでおいでと手を振ってくれる彼女を断る事なんて出来る訳もなく、何より彼女の所為でシンさんとジャーファルさんにも気付かれてしまった事もあり、曖昧な微笑みを携えて彼女たちの元へと歩いてゆく。ヤムライハちゃんも少しお酒が入っているのだろうか、何だかいつもよりも陽気な気がした。


「どうだ、楽しんでいるかい?」
「はい。予想以上にスケールが大きくて驚いてます」
「ははは。凄いだろう、国民全員が楽しみにしているんだ。もちろん俺もな」


屈託なく笑うシンさんに本当に凄いんですね、と素直な感想を漏らせば満足そうな笑みが返ってくる。ヤムライハちゃんは矢張り少しお酒の力に犯されているらしく、いつもなら決してしないだろうに、私の首に巻き付くように腕を回して抱きついてきた。かわいい。

こんな事されたら誰だって一発で落ちるよなあ、なんて考えながら少しだけ首を捻る。と、今までヤムライハちゃんの陰に隠れて見えなかったあの茶髪の青年と目が合った。と、思ったら神速で逸らされた。と、思えば今度は何故かお腹辺りの位置に視線を落とされた。結構な美声年の挙動だけに残念である。

きっちり斜めに切られた前髪をぼんやりと眺めつつ「はじめまして」と挨拶をすると、視線は交わらないまま同じような挨拶を返された。無論少し不本意だ。何故こんな、拒むような態度を取られなければならないのだろう。
内心ムッとしたけれど、彼の行動の謎はジャーファルさんが当たり前のようにフォローを入れてくれたお陰で解明された。

ジャーファルさん曰わく、彼の母国では家族や許嫁以外の女性と目を合わせる事が禁じられているそうだ。だから彼も女性とは目を合わせないのですよ、と落ち着き払った政務官さまの声になるほどと頷いたのと同時に、彼はシンさんに向かって私の紹介を求めた。私も彼の名前を知らないのと同様に、彼もまた私の名前なんて知らないのだ。


「ああ、二人とも初対面なのか」
「あ、はい」
「でもヤムライハとは知り合いみたいじゃないか」
「まあ、それは少しありまして」


うやむやにするように口にした私の後ろで、未だに巻きついたままのヤムライハちゃんが、私たち仲良しなんですよ王様、みたいな事を勝手に口走る。酔うと倍可愛いなこの子。

ジャーファルさんはあまりに強いヤムライハちゃんの破壊力にやられつつある私を、疑わしげに白々とした視線をくれていた。大方、この女国一番の魔導士を懐柔しやがったやっぱり油断ならんみたいな事を考えているのだろう。流石に大げさかもしれないけれど、恐らく。

空は今日も赤から濃紺へと切り替わる準備を着々と進めていて、その所為か彼の銀色の髪は柔らかな赤紫を色濃く映し出していた。悔しいけれど、撮れるものなら写真を撮りたいくらいに美しい。ふう、と感嘆に近い息を吐くも、それは見事に私に対するシンさんの声音と衝突して、そしてもちろん負けた。


「彼はスパルトスといって、八人将のひとりなんだ」
「スパルトスさん、ですか」
「ははは、君よりはずっと年下だし、気遣いはいらないさ。なあスパルトス」
「はい」
「だそうだ。ヤムライハ同様良くしてやってくれ。そしてスパルトス、」
「はい、王よ」
「紹介するよ。彼女は俺の妹だ」


は?と、奇しくも私とジャーファルさんの声が重なる。

何を言っているのやらと刮目した私たちとは相反するように、シンさんはさも愉快そうに笑って「こう見えても優秀な妹でね、医術を心得ているんだ」なんて言って私の名を紹介している。そして私とシンさんの外見に共通点なんて見いだせないにも関わらず、スパルトス君?は完全に信じ込んでいるようだった。もしかしたら目が悪いのかもしれない。


「王に妹御がいたなど知りませんでした」
「そうか?そっくりだろう、特に目元が」
「ちょっとシンさん、酔ってます?」
「そうですよシン!スパルトスに変な嘘を吹き込まないで下さい。しかもこんな得体の知れない女性を妹だなんて…!」
「え、ジャーファルさん毒舌…」


こうもハッキリと得体の知れない宣言されてしまっては、流石に参る。
ただ彼は肩を落とす私なんて見てみぬ振りで、スパルトス君に私の本当の立ち位置なんかを早口で教えていた。その傍らで頬を仄かに上気させて、俺は信じているけどな、なんて高らかに宣言するシンさんに感謝したらいいのか寂しさを噛み締めれば良いのか分からなくなってしまった私は、やっぱりこの国をどこか遠くに感じているのかもしれない。

私と彼らとは、距離が有りすぎる。もちろん距離感は大切だとも思うけれども。

少し、この場にいるのが息苦しく感じられて、酸素の足りる逃げ場を探すように首を捻って辺りを見回す。すると少し離れた場所にあるテーブルで、マスルール君が黙々と料理を頬張っているのが目に入った。あそこしか、ない。情けなくも瞬間的にそう思った私の体は正直にも既に向きを変えはじめ、喉も勝手に「私、少し失礼しますね。スパルトス君も、また今度」なんて音を作り出す為に震えていた。因みにヤムライハちゃんは抱き付いたまま何時の間にか睡魔に襲われていたらしく、耳元で眠そうな声が度々上がるのでそのまま引っ張ってゆく事にした。

小さく会釈をしてからゆっくり踵を返して、マスルール君の方へと向かう。ジャーファルさんの視線を感じた気がしたけれど、あくまで気がしただけだ。きっと本当に「気がした」だけなのだろう。

大量の料理を食べ進めるマスルール君の隣の席は幸いな事に空いていたので、ヤムライハちゃん共々ゆっくりとその空席に座らせてもらう。もう大分暗い色を呈する夕暮れの下、少し離れた場所では確か他の八人将である、今日大活躍の褐色の肌の青年と背が小さくて可愛らしい、ギリシャ神話なんかに出てきても可笑しくないような女の子が一緒になって大笑いしながら杯を傾けていた。あの二人、特に女の子の方は明らかに未成年に見えるけど、いいんだろうか。

ぼんやり考える私を揺り起こすようなマスルール君の視線を捉えるまで、そんな事を考えていた。


「…どうしたんすか」
「ああ、勝手に隣ごめんね」
「…別に」
「今日、お疲れさま」
「見てたんすか」
「もちろん。怪我するんじゃないかってハラハラしてたよ」


でも実際そんな心配は杞憂だったね。マスルール君強くてびっくりしちゃった。なんか、やっぱり次元が違うのかな。

辛うじて笑顔で言い切る事は出来たものの、やはり鋭い彼は私の声に何か違和感を感じたのかピクリと眉尻を上げた。唇の中心に寂しそうに光る銀色のピアスが、何故かジャーファルさんの銀髪と重なって見えた。


「…いつも思うんすけど、」
「うん」
「俺は結構、身近な存在だと思ってますよ」
「身近…?私、が?」
「次元も同じだし、距離も世界観もさして変わりはないっス…まあ、普通に」


そう口にするマスルール君の視線の先には、向こうでまだ談笑をするシンさんやジャーファルさんがいる気がした。

次元も、距離も変わりはない、か。
背中にヤムライハちゃんの温もりを確かに感じつつ、ゆったりと食物を口元に運ぶマスルール君にそうなら嬉しいなあと微笑むと、無言のまま、ずいとそのスプーンに掬った料理を差し出される。すっかり濃紺へと姿を変えた空に、派手な音と共に染みるほど大きな花火が咲いた。



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謝肉祭を一話で纏めようとした私が馬鹿でした






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