情報通りの空き家の鍵の壊れた扉を開けるまでは、リンネはきっとまだ無事でいるのだろうと頭の片隅で信じていた。だが、現実はそうはいかないらしい。

部屋の中に入るなり私の鼻腔を刺激したのは下劣な男の匂いだった。そして顔をしかめる暇も、まして鼻を摘む暇もなく視界に映ったのは、突然扉が開いた事に驚いたらしく立ったまま固まる男性五人と、彼等に囲まれるようにして床に寝転ぶ彼女という最悪な景色である。ああ、遅かったのだ。

そう認識した丁度その瞬間、服は剥ぎ取られその白い肌には痣と穢らわしい精液を付けられた状態の、みるも無惨な姿で力無く横たわったリンネと目が合った。虚ろな瞳だった。一瞬彼女がリンネである事を疑ってしまうような、何の色も映さない目。腹の底から脳みそに渡る全範囲が一気に熱くなってゆく。

一対多数、女性対男性、手足の拘束、暴行、無理強いの性行為。どれも吐き気のする、人としての価値を疑う行為だ。
それを一度に一人の女性、しかも人の命を救おうとして行動したリンネに対して行うとは。最悪だ。

こいつらが堂々と生きている価値はない、そう頭の中で結論付けたのは彼女の瞳を映してから僅か三秒後の事だった。ただ三秒あれば相手も精神面での何らかの気構えをする事は十分可能であり、彼等は私を囲むようにして、じわりじわりとその輪を広げてゆく。が、無意識のうちに眷属器を握っていた私にはたかが五人の生身の成人男性など赤子同然である訳で。激昂している事も作用してか、なんの言葉も気配も発さずに二つの刃物を投げれば、魔力を使うまでもない、造作もなく彼等を一括りに縛り上げる事に成功した。

だがそれだけで気分が収まる筈もなく、怒りに任せて締め殺す勢い縛り上げてやった。苦しそうに呻くこいつらは、彼女が受けた辱めを死でもって償えばいい。本気でそう考えての行動だったが、全員が気絶したところでようやく、殺してしまっては尋問も何も出来ないだろうという冷静な考えが手を緩めさせる。と、同時に視線は勝手にリンネの元へと移ってゆき、私の思考もそれに習ってまずは彼女を救出すべきだという正常なものに変わっていった。

気を失った敵には目もくれず、そのまま彼女の元に駆け寄る。するとリンネは私の足音を感じてか、無理矢理開かされていたらしい下肢を閉じようとぎこちない動作で脚を動かそうとした。しかしどうやら脚がきちんと動かないらしく、彼女の肢体は彼女自身の思い通りにはいかなかった。それでも私に見せまいと、リンネは必死にその脚を閉じようとする。

見ていられなかった。
見ていられなくて、思わず横たわったままの、文字通り痣だらけの彼女を抱き締めていた。近くで見るまで気がつかなかったが、右の二の腕辺りに大した止血も施されていない刺し傷も確認できる。最悪だ。何故こんな事ができるのだろう。

暫く彼女の頭を自分の胸元に抱き寄せたままでいると、腕の中から「ジャーファルさん」と私の名を呼ぶ声が微かだが聞こえてきたので彼女を一度解放する。普段と違って弱々しい声音に耳を塞ぎたくなった。何度も身じろぎをするので、手足の拘束を解いてそれから上半身を抱き起こしてやれば彼女は再び私の名前を紡いだ。まるで私の存在を確認するかのように、小さくたどたどしく私の名前を噛み締める。そんな彼女が矢張り痛々しくて見ていられなくて、それと共に何故かとてつもなく愛おしく感じられてもう一度強く抱き寄せてしまった。


「…ジャーファル、さん」
「はい」
「ごめ、ん、なさい」


ごめんなさい、ごめんなさい。
彼女は三度の謝罪を私に零した。指先が震えていた。それなのに謝りながら、私の頬にぎこちなく指を滑らせて。

何に対する謝罪なのかは正しくは判別が付かなかったが、恐らく私達に黙って独りで出ていってしまった事に対してだろう。若しくは私達に、自分を捜索させる手間を掛けさせてしまった事か。リンネなら後者の場合も大いに有り得そうだ、そんな風に考察するも、実際この状況下においてそのような質問などが出来る筈がない。

その代わりに辛うじて大きく頭を振った私は、彼女の上半身を抱きかかえたまま部屋の隅に無造作に放られていたリンネの物と見られる荷物の中から白い大布を取り出した。彼女が、存在しない架空の女の為に心痛めて用意したのであろう白色で、衣服がそれとしての機能をまるでなしていない状態の哀れな彼女を包んでやる。何となく、運命というやつは残酷であると、そう思った。

するとまた再び、彼女が私の名前をぽつりと漏らす。はい、と再び私は返事をする。


「すみません…こんな、汚い私に、触らせてしまって」
「何を馬鹿な事を」
「…馬鹿、ですよね」
「…ええ、まあ」
「自分の所為、なのに、わたし痛くて」


痛いと言うくせに、彼女は笑った。触れただけで壊れてしまいそうな、ひびだらけの陶器のような寂しい笑顔だった。
何故、笑えるのだろう。皆目見当が付かない。が、それがリンネという人間なのだろうと勝手に納得して、消え入りそうな笑みから目を逸らした。やはり見ていられない。

貴方は、本当に馬鹿ですね。
無意識に、そんな言葉がいとも簡単に口から滑り出してきた。無論視線は余所に飛ばしたままであるが、それでも腕の中の彼女はほんの僅かにたじろいだ、ような気がした。


「そう、ですね」
「ええ、貴方はただ黙って私に抱きかかえられていれば良いのです」
「……」
「誰も、貴方を責めたりなんてしません。というより、私がさせませんから」


安心して丸まっていなさいと、自分なりに十二分に柔らかく煮立てた口調で言葉を掛ける。彼女は一瞬だけ目を見開いたが、次の瞬間にはもう元の様子に戻っていた。

それを見届けてから、さて、と言葉を置く。何時までもここにいる訳にはいかない、そろそろ戻らなくてはいけないのだ。シンなどは今頃心配で気が気でない筈である。男共、いや、犯罪者どもは一応ひとつに括ってある事だし、今は放置して後で兵に捕まえさせれば良いだろう。例え運良く目覚めて逃げたとしても、シンドリアを出国することは万が一にでも出来まい。

ふう、と一件落着の(落着、とは口が裂けても言えないが)吐息を落としてから、彼女を腕に抱いた状態のままその場に立ち上がる。持ち上げたリンネは、まるで空気のように軽かった。質量が、というよりもこれは彼女の存在そのものが軽く儚いという事なのだと思う。先程シンが言っていた事を肯定するようで癪だが、確かにそうなのだ。

そのままゆっくりと数歩進んだ辺り、ちょうど開いた儘の扉をくぐろうとした時に、リンネが小さく身体を捩ったのが分かった。何かあるのかと白い布に包まれた彼女へと視線を落とすと、その黒々とした瞳と必然的に目が合う形になる。ジャーファルさん。聞こえもしないのに、何となくそう呼び掛けられている気がした。


「…助けてくれて、ありがとう」


小さく柔らかな微笑みが、そこにはあった。不覚にも逆にこちらが泣きたくなった。
ああ、なぜ。どうして彼女は微笑む事が出来るのだろう。掠れた声で紡がれた感謝は彼女のその陶器のような笑顔と相まって、私をもえいわれぬ感覚に深く深く突き落としてゆく。

思い切り泣きなさい。
一番に言ってやりたい言葉の筈なのに、喉につかえて出て来なかった。






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