シンさんとジャーファルさんは、いま外交の為にアルテミュラとか言う国に行っているらしい。

と、侍女さんは何の気なしに言っていた。マスルール君もこの間シンさんとエリ何とか国に行っていたと言うし、第一私がシンさんと出会ったのも元を辿れば彼がバルバッド港に来ていたからであるし、シンドリアの王様は案外忙しなく働いている。と言うよりこの国に限らず、王様だからと言ってずっと自国の玉座に座っていられる訳ではないようだ。


「休憩しよう」


日差しが良く入るからなのか換気を怠っているからか、ぽかぽかと暖かい蔵書庫。その片隅にあるデスクの上で開いていた分厚い本の間に手元にあった赤い髪結い紐を栞代わりに挟みながら、欠伸を右奥歯で噛み殺す。

この世界の医学について知る為に、昨日今日と暇な時間を見つけてはここに入り浸っているのだけれど、古い文献ばかりが目立ってあまり有益と思える物は見付かっていなかった。この国は新興国であるらしいのに、何故だろう。不思議に思いつつも、一度退室しようと椅子から重い腰を上げる。その時だった。

決して広いとは言えない書庫の入口から、濃紺のとんがりがひょいと入ってきたのだ。書庫特有のじんわりした空気の中、その人物を見て思わず「あ」なんて上擦った声で空気を振動させてしまう。何故かってそんなの、見覚えがあったからに決まっているだろう。

エメラルドのような長い髪を持つ、美女でナイスバディという非の打ち所のない容姿の魔女さん。きっと年は同じくらいだろう。同世代なのにこんなに差があるなんて、って思いはするけれど。

そんな考察を瞬間的に頭に巡らせている間にも、彼女は私に怪訝そうな一瞥をくれてからゆっくりと入室してきた。確かに彼女からすれば、知らない女からいきなり声を上げて見詰められるなんて気持ち悪い体験以外の何物でもないだろう。分かってやっている私って。自分は結構悪い人間なのだろうかと苦笑混じりに考えた。彼女はどうやら奥の書棚に用があるらしく、声を掛けようか思案する間もなく書架を使って姿をふわりと消してしまう。

でも、気になる。
思えばこちらに来てから同世代で同性の知り合いなんて侍女さんくらいしかおらず、勿論友達と呼べる存在など一人たりともいなかった。というか性別に限らず、友達なんてマスルール君くらいしかいない。まあ、彼も友達と呼べるものかと問われたら曖昧に笑う事しか出来ないのだけれど。

兎に角いまここの私は女の子で、出来れば同世代の知り合いが欲しかった。迷路のような書架に埋もれ見えなくなった彼女の綺麗な髪を思い浮かべて、すう、と一つだけ息を吸う。よし、決めた。

自分を奮い立たせる為にも勢いよく立ち上がれば、木造の椅子が苦しげに軋んだ。それをデスクにきちんと戻す事も疎かにして彼女の後を辿るように、書庫の奥へと向かってゆく。すると案外彼女はすぐに見付かった。真剣な眼差しで文献を探す彼女に声をかける事に躊躇を覚えなかったと言ったら嘘になるけれど、それでも。約二メートルの距離で、小さく深呼吸して肺に空気を溜めた。


「あの、魔女さん」
「え?」


声を掛けてくるとは思っていなかったのか、驚きを隠さずに表情に出す美人さんの身に付ける官服が軽やかに揺れる。見れば見るほど美しい人だった。果たして同じ人間なのだろうか。


「私、あの、ずっとあなたと喋ってみたくて」
「あなた、ここの食客か何か?」
「いや、王宮の医務室に勤務してる者です。たまに窓からあなたが魔法を使うのを見る事があるの」
「ああ、試作魔法を試してる時ね」


あそこは医務室から丸見えなのね、と彼女はクスリと笑う。それからその美しいお顔をもっと崩して、私へと手を伸ばしてきてくれた。握手、これは、握手と受け取っていいんだよ、ね。

思ったより気さくそうな美人さんにどぎまぎしながらもこちらも手を差し出そうとしたのより一瞬先に、彼女の掌が先手を取るようにして私のそれを捉える。滑らかな手をしている人だ。なんてシンさんに負けず劣らずな事を考えてしまった。


「私はヤムライハ、宜しくね」
「あ、リンネです。よろしく」
「ふふ、リンネね」


少し気恥ずかしいかったけれど「ヤムライハ、ちゃん」と小さく名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに顔を歪めてくれた。





「へえ、じゃあヤムライハちゃんは魔法学校からきたんだ」

休憩と称して前庭にあるテラスで彼女と話していくうちに、いくつか分かった事がある。

とても話しやすい子だということ。ジャーファルさんやマスルール君と同じ八人将のうちの一人だということ。それに私の一つ下であるということ。これに関しては私よりヤムライハちゃんの方が驚いており、いつぞやのシンさんのように二十代には見えないと声高に言われた。褒め言葉なのだろうけれど、素直に喜べないと言って笑ってみせたのはつい先程の事だ。


「そう。シンドバッド様に助けて頂いたの」
「そうなんだ」
「そういうリンネは?」
「え」
「リンネはどこの国の出身なの?」


至って笑顔で問い掛けられた質問に、言葉を詰まらせる。医学より何よりこの国の国名を勉強しておかなきゃ駄目だと痛感しながら、少しだけ間を置いて口を開いた。バルバッド、からきたの。良心の呵責を無理矢理退けて声に出した嘘は、ヤムライハちゃんより私の心臓に刺さるように感じられた。

でも、やはり折角できた友達のような存在の子に、ジャーファルさんの時みたいに疑われるのは我慢ならない。だから、ごめんなさい。胸中で深く深く頭を垂れるのと裏腹に、表では私の返事を素直に丸呑みした彼女に合わせるように笑顔を繕う。ちくりちくりと、肌を刺すのは眩しい太陽の日差しかそれとも罪悪感か。後者だと分かってはいたけれど、狡い私は意地でもそれを信じたくなくて、こころの中の靄ににゆっくりゆっくりと蓋をした。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -