勤め始めて早1か月。晴れてシンドリアの王宮内に空き部屋を改造した分娩室、ひいては妊婦専用の診療室が出来ました。私の発案を受け入れてくれた為分娩台に似た道具も生まれました。何より私は助産師としても、働く事が出来るようになりました。が。


「妊婦なんて、そうそういないよなあ」


そう、王宮内の診療室というのは食客さん達やここの兵士達、若しくは外交に来ている他国の官僚くらいしか利用しない為、妊婦さんは本当に稀だった。現に新設した診療室には未だ患者さん、つまり妊婦さんは三人しか来ておらず、さらにその内二人は臨月を迎えるまではまだ相当時間があった。要請があれば王宮外でも出動する気であるのに、悲しい事にまだそれさえもない。

という訳で、私の仕事の大半が医務室勤務になるのも必然というやつであって。まあそれは別に構わないのだけれど、実はここ数日、医務室勤務による別の問題に悩まされていた。

実はそう、私が異様に人気なのだ。
自分で言ってしまうと何だか真実味に欠けるが、私は何故だか男性の食客や兵士たちに異常なまでにアピールを掛けられていた。きっと最初は、シンドリアに女医が出来たぜみたいな噂と、よしじゃあ顔見にでも行ってみようぜなんて軽いノリから始まったのであろうけれど。

でも、何がどうしてこうなったのやら、医務室には連日、私の「顔をみにくる」事が目的の自称患者さん方が波のように押し寄せてきているのだ。全くこちらとしてはいい迷惑である。本当に具合が悪かったり、病気を患っている患者さんにまで差し障りが出るのだから。


臭化水素でも詰まっているのではと考える程重い溜め息を零して、簡易のカルテ的な物を作成する際に使用しているデスクに頬杖を付く。そんな私と対面する形で円椅子に座っているのは、例に漏れずこの国の食客であるという男性だった。先の尖った、映画なんかでよく目にする濃紺の帽子を被っている事からして、恐らく魔法使いだろう。国を良くする為に雇われた食客がこれじゃ呆れたものだ。


「ええと、昨日から微熱があると」
「ええ」
「他に、腹痛などは?」
「ないです。…あの、」
「はい?」
「触診、とかはしないんでしょうか」
「しません。」


する訳ないだろ仮病相手に。
胸中だけで毒づきながらも、手元のカルテに大きな字で微熱と書き綴った。この国は日本語を喋るのに文字は全く異なった物であるけれど、このカルテ的な物は私以外には見せないのだから気にする事もないだろう。

健康な人間のカルテなんて資源の無駄遣いに相違ないと多少の苛つきを心臓の奥でくすぶらせつつ、心なしか不満気な顔の一応患者さんに向き合う。ヤナギの樹皮お渡しするんで向こうにいる初老の薬剤師さんに貰って下さい。機械的な口調で、但し一応は口元に笑みを浮かべて魔法使いさんを扉方向へと促すと、彼は渋々といった表情で席をたった。

肩を回す暇もなく、並んでいた次の患者さんが呼んでもいないのに円椅子に座る。もう直ぐお昼だというのに、まだあと軽く十人くらいは診察待ちで並んでいる。それだけでなく、列には並ばずに医務室の中で様子を窺う、ただ単に冷やかしに来たらしい兵士なんかも何人かいた。お前ら仕事しろよ、と言いたいけれど仮にも具合が悪いと言って来ている人達をそんな言葉で突き放すのは気が引けて、注意も何も出来ないでいた。私は馬鹿だ。

今度の患者は若い兵士だった。どこが悪いかと聞くとニヤリとほくそ笑んだ辺り、多分どこも悪くなんてないのだろう。分かってはいたけども。


「症状がないなら帰ってください」
「オイオイつれないな」
「ここは具合の悪い人がくる場所です」
「わざわざ噂の美人女医の顔拝みにきてやったんだ、文句言うなよ」


美人女医、ですか。どこでどう尾鰭が付いたのか知らないが、噂の中での私は美人らしい。だったら実際見てしまったら拍子抜けだろうに。

噂と違って大して美人じゃなくてごめんなさいという意味合いも込めた溜め息を一つ、書く気も起きなくなったまっさらなカルテの上に落とす。もはや患者とも言えない男性はそれが気に入らなかったらしい。突然立ち上がると、耳障りな声音で何だその態度はみたいな台詞を喚きながら、なんと拳を振り上げてきた。

殴られ、る。瞬間的にそう悟ったものの、目を閉じる暇もなくそれは眼前へと迫ってくる。顔は、出来れば止めて欲しかったのになあ。噂の美人も形無しじゃない、なんて一瞬で冷たくなった場の雰囲気にそぐわない思考を、零コンマ何秒かの神速で巡らせた。痛いのは覚悟した、つもりだった。

けれど、結果的にそれは無駄骨となったらしかった。
何故って、私の鼻の先にまで差し迫った拳が、ピタリと動きを止めたから。一体、何が起こったんだろうか。


「…何してんだよ」


抑揚のない、聞き慣れた低音。それが何時も中庭で耳にする声である事、そして私に殴りかかってきた男性は動きを止めたのではなく、その声の主によって止められたのだという事に気付くのに三秒間も要してしまった。驚きで、上手く口が開けられない。


「あ、ま、マスルール君」
「大丈夫っすか」
「え、うん。ありがとう」
「間一髪じゃないすか」


言いながら私に向かっていた平均的体格の男性の拳を、その倍はあるんじゃないかと思ってしまうくらい大きな手のひらで押し戻すマスルール君。ギリギリの所を救われた私の驚きも去ることながら、攻撃を仕掛けていた男性も相当驚いたらしく彼の口蓋からはヒイともフウともつかないような奇妙な音が漏れていた。そんな彼を睨み殺す気なのか何なのか、普段は見せないような鋭い視線を送るマスルール君は、どうやら私を心配してくれているらしい。

何だかむず痒い感覚を覚えながらも私も固唾を飲んでその様子を見守る事にした。当事者だけど、こんな時の選択肢には傍観しかないではないか。


「マ、マスルール様…」
「……」
「も、申し訳ありませんでしたっ!」


恐ろし過ぎる無言の抑圧に、見ている私にまで振動が伝わってきそうな位に震えた迷惑患者が涙目で上半身を九十度以下に折り曲げて謝ってくる。もはや先程までの余裕など見る影もなく、可哀想だとすら思えた。

いいえと首を振って、お大事に、何とも嫌みな台詞を送ると、彼は矢のような速さで医務室を出て行く。
いつの間にやら周りにいたはずの冷やかしの人達や並んでいた自称患者さん達は忽然と姿を消しており、気がつけばこの空間はマスルール君と調合師さんと私という、何とも不思議な面子で構成されていた。

結局ほんとうに具合が悪い人などいなかったのだ。脱力感ですごく気落ちした。


「あーあ…」
「…リンネさん」
「ん?」
「…俺、ケガしてんすけど」
「え」


治療は?という疑問を表情にありありと浮かべた彼のお陰で、一気に背筋が伸びた。

そうだ、そう言えばマスルール君が何故医務室に来たのか考えてなかったけれど、そんなの診察を受けにきたに決まっているだろうに。シャキッとしなきゃ。

今まで助けてもらってばかりの年下君にいいところを見せたいという先輩思考も働いて、そうね傷を見せて、なんて少しだけ気張ってみる。マスルール君は大人しく、その筋肉がしっかりと付いた、というか寧ろ筋肉しか付いていない脚を私が見やすいように丸椅子の上へと乗せた。


「うわ」


見事な傷だった。膝の辺りをザックリいっている。筋じゃなかっただけましだろうけれど、それでも痛そうな事には変わりない。
顔をしかめながら、何をしてこうなったのか言及しようという意図もありパッとマスルール君の顔を見上げる。ぶつかった視線がやけに派手に火花を散らした、気がした。


「一体なにしたの」
「ハァ、まあ、一悶着あって」
「いや、それは分かるけども」
「…魔法武器でやられました」
「え、王宮内で?」
「いや、エリオハプトからの帰り道でですけど」
「エリオ、ハプト?」
「…知らないんすか」
「国の名前…ですかね」
「当たり」
「なぜに?」
「仕事で王様に付いてきました」
「仕事って…あの、マスルール君て、何の人?」
「え、八人将ですけど」


マスルール君がジャーファルさんと同じくらい凄い人だと理解したら、何故か薬草を持つ手が震えた。






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