頑張って、頑張ってハンナさん。

陣痛の間隔が無くなってから、懸命にいきむ妊婦さんの名前を呼びながら分娩を介助した。そして、赤々とした小さな生命体が生まれたあの瞬間。思わず、泣きそうになってしまった。震える腕で、けれど決して落としたりしないようにしっかりと、生まれたてのハンナさんの愛や痛みの結晶を抱いた時のあたたかさは心臓にまで染み渡るようだった。

ああ、出産って、素敵だなあ。
元気よく泣く赤ちゃんと幸せそうに泣く彼女を見て、切ったへその緒を静かに銀のトレイに乗せながらしみじみと思った。二人の涙はそれぞれ全く違う意味合いを持っていたけれど、けれどそれらは共通してとてもとても柔らかかった。

その直後にはハンナさんの旦那さん、つまりお父さんとなったここの文官だという男性が飛ぶように部屋に入ってきて、やはり彼も柔らかい涙をぽろぽろと落とした。目には見えない何かに祝福されているような気がして知らず知らずのうちに目を細めていた私の前髪を、生を受けたばかりの赤ちゃんを包んだ眩しい白布を、包むような風が撫でていったのが印象的だった。

それと同時に、強く強く感じたこと。それは他でもなく命の誕生は、こうでなくてはいけないという思いだった。
幸せな幸せな生命の息吹き。ひとつとして、苦しいのに耐えて子供を生むお母さんが辛い思いを、結果として生まれてくる赤ちゃんも辛い思いをするような出産の現場があっていいものか。


「…そんな訳、ない」


その自答は迅速に私の頭から爪先まで、まるで血管のように根を張ってゆき、気がつけば私は強い決意を抱いていた。

私のほんとうに、したいこと。私が今この国の為に、できること。
日本にいた頃は、親から逃げたいという気持ちも働いて選択した助産師という職業。勿論こころ惹かれたのが一番の理由だけれど、それでもやっぱり家族という要因があった事は否定出来ない、変えようのない真実である。でも、だけど。だけどここにきてやっと、本当の助産師さんの意義を見付けた気がする。

そして私は、その意義を教えてくれたこの世界の為に、そしてその機会をくれたシンドリアと私の恩人たちの為に、この力を役立てたいと思うのだ。そう、だから私は、ある事を決意した。





すう、と大きく息を吐いて、それがシンドリアの窒素に溶けてゆくのを見届けた。目の前には如何にもという雰囲気で佇む大きな石造りの扉がある。分厚い扉ひとつ隔てた先には、私の恩人のひとりであり、この国の中心でもある彼がいる。

王様の部屋に入るだなんてそんなの、すこし前までは予想だにしなかったのに。
何だか環状線に似た形をしている縁というヤツの不可思議さに感じ入りながらも、何かに急かされるようにリズミカルにその石戸を叩いた。コンコン、と予想以上に乾いた音が響いたのは良いけれど、その代償と言わんばかりに私の拳の骨がじんじん唸る。痛い。勢いを付けすぎたのが悪かったようだ。

ただ向こうにいる主さまが無駄に分厚い扉の反対側での私の痛みに気付くはずもなく、誰だという旨の返答が至って柔らかな声で返ってきた。リンネです。シンさんに少しお話ししたい事があります、名乗りに続けてそう言おうと思ったのだけれど、それは目の前の重厚感溢れる扉が結構な勢いで開いた事によって阻止された。


「リンネ!どうしたんだ突然」


心底驚いたような顔をして迎え出てくれたシンさんの自室は、さすが王様と言ったところか、呆れる程広く煌びやかである。特に所々に飾ってある貴金属なんて、豪華で眩しすぎて直視できるような物じゃなかった。庶民なのだから、致し方ないだろう。

そんな呼吸するのさえ何だか申し訳なくなるような部屋に息を呑みながらも、彼の綺麗な双眸をきちんと見据えてからほんの少し口角を和らげる。


「すこしお話があって、来ました」
「話?」
「はい。突然申し訳ないです」
「いや、俺は嬉しいから構わないさ」


言いながら、シンさんは私を中へと招き入れてきた。無論従う気も必要もなく、恐れ多い気持ちはあったもののそのまま部屋に入り、また彼に促されるままに背の高い椅子に座った。そして私の真正面の椅子に、シンさんもゆったりと腰掛ける。その服から覗く引き締まった腕が放漫な動作で机に付けられたのが合図であるかのように、彼はにこりと笑って口を開いた。


「で、話とは何だ?」


朗らかな口調だった。表情も明るく柔らかかった。
でも何故かその笑顔は、最初に彼と出会った時の嘘臭い笑みを連想させた。シンさんへの恩に報いる事が出来るように、とか言ったくせに、私はまだ彼を完全に信じきれていないらしい。全く私も酷い人種である。が、今はまあそれは置いておくとして。


「シンさん、私今日、助産をしたんです」
「ああ、聞いているよ。ご苦労だったな」
「ありがとうございます。それで、あの」
「ん?」
「お願いがあるんです」


願い、シンさんはそう繰り返してから小さく頷いた。それを「聞いてやるから言ってみろ」という意味に解釈させてもらった私は、その場の空気を少しだけ吸って、呼吸を整える。彼がどんな願いを予想しているのかは知らないけれど、心なしかその視線が厳しい物へと変化したような気がした。


「シンドリアに、産婦人科をつくってください」






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