「中々様になっているじゃないか」
「あ、シンさん」
「やあリンネ、調子はどうだい?」


扉からひょいと顔を覗かせたこの国の王様が、最初出逢った時と何も変わらない満面の笑みで片手を挙げた。シンさんは相も変わらず笑顔の鎧を纏っている。それが素なのかそれとも作り物なのかは、王宮に来てもう一週間が経った今でも分からないけれど。


「手探り状態ですけど何とかやってます」


言いながら、どうぞ中へという意志を示す為に患者さん用の椅子の上に平たいクッションを引いたものの、どうやらシンさんは中に入ってくる気はないようで手でやんわりと制された。ただ国のトップと話すのに片手間で、という訳にもいかないのは子供でも分かる事。そこで私が彼の近くに行く事にした。


「別に気を遣わなくて良いんだよ?」
「いえ大丈夫です」
「そうか。今は患者はいないんだな」
「はい。今日は平和ですね」
「良いことだ」


目を細めて頷いたシンさんからは、シンドリアという国への想いみたいな物が否応無しに感じられた。

きっと彼は、私の考えている以上に色々なものを背負っているのだろう。それらの為に自分を犠牲にしてきた事だって多々あるに違いない。そういう部分を、現代日本の、いや日本に限らず世界中の政治家も見習えば良いのに。なんて戻れる兆しのない世界の情勢を思ったって、最早なんの意味もないけれど。

そんな事を考えていたら、ふとシンさんは気になったかのように声を上げた。視線の先は治療台の横の私の机。正確に言えば、その机の上にある書物たちだった。


「リンネは勉強してたのか?」
「はい。私も医学を学ばなくてはいけないと思いまして」
「熱心でいい事だな」
「ありがとうございます。あ、でも今は勉強ではなくて、ジャーファルさんから頼まれた医学会の名称を考えていたんです」


思い付かなくて困っているんですけどね。
苦笑いでそう付け足すと、シンさんはそんなのは適当でいいんだよと何ともお気楽な様子で言ってくれた。でもそれは私の心が許せない。適当に付ければ後々に後悔するのは目に見えているのに、わざわざそうするなんて馬鹿らしいではないか。

そういう訳にはいきませんよと微笑むと、シンさんはどこぞの冷徹政務官殿とは違って私の頭頂部にポンと手を置いてくれた。その掌から、私なんかを労るような温度が伝わってきてなんともこそばゆい気持ちにさせられる。照れる。


「何だか、新鮮です」
「え?」
「頭を撫でられるなんて、ここ十数年なかったもので」


自分では変わらぬ笑顔で口に出した筈なのに、何故か正面の主さまは一瞬虚を突かれたかのように目を細めた。けれどそれは先程と同じ暖かな光を含んだ物ではなくて、どちらかと言えば寂しそうな淡青色のそれを含んだものだった。

そう言えば私は彼に、船長さんに拾われた経緯を家族に捨てられた的なニュアンスで話していたのかと、憐憫を滲ませる黄金色の双眸を捉えてから思い出す。

これじゃあ同情されたがっているみたいではないか。そんなつもりはさらさら無いのに、なんて今更後悔したところでもう遅く、結果いたたまれない空気を存分に味わう事となってしまった。自分で撒いた種だけに、なんだか収まりも悪い。

更にどんな魔法が発動したのかは知らないけれど、情の深いシンさんはそんな私の表情を過去を懐古し憂いているものだとがっつり勘違いしたらしい。彼なりに気を遣ってくれたのだろう、依然私の頭を労る手は止めずに、但し何事もないような顔をして話題転換をしてきた。
空気が空気だっただけにその心遣いはとても有り難い。…のだけれど、シンさんは天然で他人の痛いところを突くのが得意であるからして、その内容は余り触れて頂きたくないもであった。

そう、ジャーファルさんと上手くやっているか、という旨だったのだ。気を抜くと笑顔が引きつってしまいそうになる為、口角の維持、口角の維持と呪文のように脳内復唱を繰り返す。


「あいつも手厳しいからな、もしやリンネがいびられたりしているんじゃないかとふと心配になったんだ」
「いえ、ジャーファルさんは良くして下さってます…とても」
「それは本当か?」
「あー、まあ、少し疑られてはいますけれど、でも、不自由を強いるどころか、こうして仕事も居場所もくれますから」


感謝、しています。
自分でも驚くくらいにすんなりと出てきた言葉は、シンさんにというより私自身の体内に浸透してゆく様に感じられた。

感謝。この二文字には、一概には言えない感情たちがせめぎ合いひしめき合っている。勿論シンさんにも抱いている気持ちだけれど、彼に対しての「感謝」はジャーファルさんに対してのそれとはまた違う意味合いを持っている、と思う。

シンさんへの感謝というのは言わずもがな私を助けてくれて職までくれた事、生活場所をくれた事、優しく接してくれる事などである。それに対してジャーファルさんへの感謝という奴は多少ひねくれているかもしれないけれど、私を疑ってくれる事、それである。

考えてみればそもそも、誰一人として自分の事を知らない場所に来て最初から全員に受け入れられるなんて有る筈がないのだ。それこそ夢物語だ。なんせ人間なんていうものは、自分の世界を守る為だけにしか身を賭する事など出来ない小さな生物なのだから。

だから、私はジャーファルさんが私を信用しないでいてくれる事が、少しだけ嬉しい。もちろん信じてもらえればもっと嬉しいけれど。でも、それは時期尚早な気がするのだ。時間をかけてゆっくり信頼を貰えるようになるのと同じリズムで、この世界に馴染んでゆければ良いじゃないか。そんな、楽観的ともとれる思いに覆われていた。

私の言葉にどんな反応を示すのだろうとシンさんを仰ぎ見れば、彼は矢張り笑顔のままだった。


「感謝、か」
「はい」
「ではリンネ、俺も君に感謝しよう」
「え?」


ジャーファルを信頼してくれて、ありがとう。
本日一番の表情で、シンさんは右の拳を左胸に当てる。思いもよらない感謝を受けて何も言えずに瞬きを数回繰り返すと、その度にこの部屋の空気が澄んでゆくような錯覚に襲われた。

しんらい、私はジャーファルさんを信じて頼っているのだろうか。

心なしか銀色に見える酸素を肺に取り入れながら、そうであればいいなあ、とまるで他人事のように考える。少なくとも私がここまで疑心暗鬼にならずにいれたのは、ジャーファルさんが疑ってくれた事が大きくその点私は彼を信用するに足る人物と思っている。それにそう、魔法より人の医療が良い、そう言って貰った時から、多少なりとも私の心は彼に寄りかかっていた。


生かされているってこういう事、なのだろうか。何となくそんな事を思ったら、暖かい潮風が私の頬を撫でるべく窓から侵入してきた。
眩しい眩しい、昼過ぎの事だった。






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