ええと、状況を説明します。一言で言うと、ピンチ。本当に。 というのも、私が恩人と思い尽くそうと決めていたガタイも愛想も良い船長さんは、あろうことか悪いヒトだったのだ。 当たり前だけれども人生初、の手刀というヤツを食らった私は、どうやら意識を手放しているうちに全然知らない場所に連れてこられていたらしい。いやまずこの世界のほとんどが知らない場所だけどまあそれは置いておいて。 兎に角そこは言うなればそう、家畜輸送トラック。 いや流石にそんな代物はここにはないと思うものの、それに匹敵するような物だと思う。何たって小さめの貨物船の、貨物がまさしく私のいる檻なのだ。 狭い檻の中には私の他に同年代らしき女の子が二人程、一人はで涙を目一杯に溜め、もう一人は諦め切った様子で膝を抱えていた。 私はと言えば、ここに入れられた時に船長さんが一緒に投げ入れでもしたのであろう唯一の私物のボストンバックを抱え、四角く狭い空間の角で呆然とする事しか出来ないでいる。残念な事に私は、鞄が戻ってきたからこれで勉強できる!なんて眩しいくらい楽天的にはなれない人間なのだ。 状況は飲み込めずとも、これから起こりそうな事なら容易に、しかも何パターンも予想出来るのも更に悪い。これはドラマなんだ、なんて現実逃避も一度してみたけれど女の子の啜り泣きの声で直ぐに挫折した。 けれど、余りにも展開に置いてけぼりを食らうのも癪であるし何より余計な不安まで募るので、取り敢えず私は肺に空気を溜めた。 「あ、あの」 勇気を出して、言葉が一切無かった空間に声を浮かべる。すると泣いている金髪の子が顔を上げ、その腫れた眼で私を見詰めてきた。因みにもう片方の女性は未だに俯いたままだ。 「私、その、状況が分からなくて」 「え?」 「私たちは、どうなるんですか?」 「…あなた、もしかして騙されて?」 「はい、恥ずかしながら」 小声でそう言えば、私が向いている方向より少し右の、つまり黒髪美人さんの方から嘲笑するかのような小さく鼻を鳴らす音。どうやら美人さんの方も私の話をしっかり聞き取ってくれていたらしい。 怒る気力も何もこれっぽっちも芽生えず、ただ「すいません」なんて掠れ気味の声で余り深い意味も無しに謝ると、今度はとても鋭く睨まれてしまった。髪と同じ漆黒の瞳には強い光が宿っていた。 「…娼館よ」 「え?」 「海を越えた国に、娼館があるの。しかも貴族から賊まで出入り出来るような、有名な娼館が。」 ズズッ。憎々しげに美人が言い放った言葉に私が反応を示すよりも早く、美少女が濁音の付いた大きな鼻をすする音が木霊する。 身売り、しかも淫行を強要される娼館に、とは。 このパターンも予想しなかった訳ではないけれど、現実として突きつけられると胃がシクシクと痛んだ。そんな風に言葉を失っている間に、美人さんは訥々と色々な事を話し始めてくれた。 彼女はこのシンドリアの住民であるのだけれど、父親が他国に遊行した時に負った借金をお前が返済しろと、見ず知らずの外人に無理矢理連れてこられたと憤りを隠せない様子だった。シンドバッド王と八人将様方のこのシンドリアで無理強いの身売りなど、決して起こってはいけないのに!そう息巻いて口にした彼女の言葉から察するに、シンドバッドとかいう王様が仕切るこの国は余程治安が良いらしい。今、捕まってから王様の名前を知ったって遅いのだけれど。 美人さんと入れ替わるようにして今度は美少女もその身の上を涙ながらに話してくれた。彼女も美人さんと同じような理由だった。もしかすると、船長さんにも借金があったのかもしれない。だから私がその肩代わりとして売られるのかも。とても有り得そうな事だ。 そう自然に考え着いた。けれどそうなると、私が娼婦となる事は則ち船長さんの役に立ち彼を窮地から救うという事になりはしないだろうか。もしそうなら、私の目的である「船長さんに恩を返す」はクリアされる事になる。故に文句は言えない…なんて嘘、それじゃ納得いかないもの。 勝手に結論付けた後、ノリツッコミ的な心境をこんな状況でも持てる事に少し感動しながら、この船はいつ出航なのだろうかと考える。設計上の歪みであろう檻に密接した木質の壁の隙間からオレンジが滲んでいるという事は、今は夕暮れ時だ。まあ今が何時であろうと、危機を脱出する見込みがかなり低いことには変わりないけれど。 思わず俯いて深い溜め息を吐くと、虚しくもそれが三人の気持ちを表すかのように頑丈な鉄の柵に纏わりついた。美人さんも美少女も、心のどこかで諦めが付いているような表情だった。きっと私も今はそんな顔をしているのだろう。 つまり、考えることはみんな同じな訳だ。もう逃げられない。それだけ。 それを証拠付けるように、あんなに強気な目をした美人さんがもう足掻けもしないだろうと呟いた。私も美少女も何か言い返そうとして、決して多くはないボキャブラリーを脳内で漁る。 そして一応は適切かと判断した言葉を口に出そうとしたその瞬間、今までは微塵も開く気配のなかった扉が開いた。 いや、開いた、というのにはかなりの語弊があるかもしれない。詳しくは超人的な力で木造の部屋ごと崩壊した、だ。 人間がやったとは思えない勢いで部屋が崩れた所為で、それまで薄暗かった檻の中に一気に痛いほどの光が差し込んでくる。勿論何が何だか分からず、ただポカンと口を開ける事しか出来ない私達である。 しかしその斜め上に見える、本来は甲板であるはずの場所で、ガラの悪い男たちが大柄な男性に捕らえられているのが辛うじて確認出来た。目の覚めるような赤毛に、同じく目の覚める銀の甲冑を身に付けたその人を私と同じように視認した美人が、ハッと息を呑む音が聞こえた。 「マ、マスルール様…!」 そこからはもうあっと言う間だった。 何故かって、そのマス何とかという人がまさに一瞬で片を付けてくれたからである。彼はこの船の乗組員らしき男たちをさっさと伸して纏めて、その後すぐに此方に飛び降りてきた。 美少女の方が彼の名前を恐れ多い様子で遠慮がちに口にすれば彼は私達を暫く無言で見つめ、なんと次の瞬間には鉄、アルミニウム、ニッケルなんかで造られている筈の檻を容易にねじ曲げ出口を作ってくれた。どうやらあの間は鍵がない事を逡巡していた為だったようだ。紛らわしいというよりその前に、人間として恐ろしい。 少しビクビクしながら、一番最後に檻から出る。木の破片をバリバリ踏みつけながら太陽を仰ぎ見ると、目が悲鳴を上げた。 「やあ、リンネ。大丈夫だったかい」 「へ!?」 今度は魂が悲鳴を上げた。それもそうだろう、何たって足場の確かな乗船口の所で、いきなり名前を呼ばれたのだから。 しかももっと驚いた事に、その声の主は爽やかな笑みを携えたシンさんだった。その隣にはセットのようにジャーファルさんもいる。 一体これはどういう事か。 呆気にとられる私の後方で、他二名の女子が悲鳴のような声を上げる。それは確かに、シンドバッド様!と聞き取れた。 シンドバッド。ついさっき初めて耳にした単語に脳みそが揺れる。シンドバッド、ここの王様の名前である筈だ。一体どこにいるんだろう。 端から見るとただの奇行であることは承知でキョロキョロ周囲を見回してみるも、それらしき人は見当たらなかった。 私の見渡せる範囲には、何時の間に到着していたのかせかせか働く警備兵らしき人々と、それから同船していた時よりも幾分か、否、かなり派手な身なりをしたシンさんとその横のジャーファルさんだけだ。…ん?シン、さん…の、シンって。 「まさか、お、王さま…!?」 思わず声に出してしまった言葉は当然のように宙に浮かび、二メートル程先の彼らにも届いたようだった。 違うよと誰かが笑って否定してくれるのでは、という淡い願いはジャーファルさんが苦笑を抱きながらもシンさんを横目で睨んでいる事によって見事に砕かれた。精神的にもう粉々だ。それを体現するかのように前へと動いていた筈の足は自然に止まっていた。 一国の王、なんてつまりイギリスで言えばエリザベス様で生活を想像する事さえ困難なセレブリティで高貴で華やかで。それが私みたいな一般人と一緒に一週間も、ギシギシ言うし壁も薄い船に揺られていたなんて。余りにも衝撃的かつ信じられそうにない事実にクラクラする。 そんな私を面白がっているのか、シンさんは屈託のない笑顔で私に手招きをしてきた。 「ど、ど、どうして…」 「すまないね、立場を明かすと色々と面倒だから隠していたんだ」 「そうですか。シンさ…ま、は王様だったんですね」 「敬称を変える必要なんてないよ」 今まで通り接してくれ。 そんな、もうどうしていいか分からない事を仰る一国の主を改めて首を曲げて仰ぎ見る。もともと気品のある人だとは思っていたけれど、本当に別次元に高貴な人だったのだ。それを物語るかのように、彼を飾り立てる装飾品は夕陽を受けて眩しいくらいにキラキラと光り輝く。 「ところでリンネ、俺の元で働かないか?」 「え?」 「君の恩人も今さっき捕らえたし」 「ええ?」 シンさんの話によると、実は船長さんは輸入禁止の品物を密輸して売りさばこうとしていたらしく、船に乗り合わせたシンさんはその画策に途中で気付きシンドリアに着いてからの彼らをマークしていたらしい。恐らく別れの時にジャーファルさんと険しい顔で話していたのは、船長さん達の動向の事だったのだろう。 一通り話し終えたシンさんは、「だから恩義の矛先は俺に向いてもいいんじゃないか?」とさも当たり前のような顔をして宣った。確かに娼婦にならずに済んだのはシンさん達のお陰だけれども。 「私、役に立つか分かりませんよ?」 切実にそう口にすると、シンさんはにっこりと微笑んで左胸に拳を当ててみせる。 「大丈夫、俺はリンネに感動したのだから」 世界がふわりと重力を失った。シンさんの隣に佇むジャーファルさんが、彼の主を誇りかに見詰め微笑むのが網膜に焼き付く。この人は思わず着いてゆきたくなる魅力を持つ人なのだと思った。けれど私はそんな魅力に今にも引き込まれてしまいそうで、少し、怖い。 |