どうしよう、非常にまずい。

朝の心地よい日差しが室内に差しているにも関わらず、私の心は非常にどんよりと湿っていた。


理由は時の経つ早さにある。
気付けば私がヴァリアーに拾われてもう三週間。つまりあと一週間で私は記憶を取り戻さなくてはいけない訳だ。

でもそれは無理に等しい事。
だって私は今記憶を取り戻すどころか、ヴァリアーの幹部の人達とさえあまり上手くやれていないのだから。

面と向かって認めていない宣言をしてきたフラン君以外は、皆思った以上に私に気さくに接してくれる。でもそれに対して私が気後れしてしまうのだ。


唯一距離が近くなった人物といえばスクアーロぐらいだろうか。

未だに彼の銀髪には嫌悪感で手足が痺れそうになるけれど、それでも私は彼にだけは何の気負いもなしに話す事ができた。
多分フラン君を除けば、スクアーロだけが今の私をきちんと見据えてくれているという確信を持っているからだろう。

ことある毎に話し掛けてくれるベルやルッス姐さん。
私から線引きしている限り彼等との距離を縮める事は出来ないと、そしてそれは駄目な事だとは分かっている。

分かってはいるけれど、彼等の瞳の奥に時々ちらつく「ユア」の残像を見るのが恐い。昔のお前はどこに行ったんだと言われているようで。


けれどそれとこれとは別物で、兎に角私は記憶を取り戻さなくてはいけない。だってそれがボスであるザンザスさんからの命令なのだから。

逆らえない。
あの人に逆らえば待っているのは死だという事くらい、出会って日数の浅い私でさえ簡単に分かる。簡単というより、直感的にと言うべきか。


どうしたら記憶が戻ってくるだろうと、寝起きの所為か鉛のように重い頭を無理矢理回転させながら大きく伸びをしてみた。






*


「しししっ、ユアオハヨー」


朝食を取るべく食堂へと足を運んだ私へと、待ち構えていたかのように挨拶を投げてきたのは金髪にティアラを乗せたベル。

室内に反響し木霊した言葉に対して幾分か落ち着いたお早うと返すとベルに変な顔をされてしまう。前髪で隠れている所為でよく見えないけれど、きっと今彼は眉根を寄せているんだろう。



「ナニお前、最近元気なくね?」
「そんな事ないよ」
「てかユア最近オレの事避けてるだろ?」


金糸が視界を埋め尽くすかと思うくらいにずいと顔を寄せ詰め寄られた。
ギクリとした事がバレないように顔の筋肉を制御しながら二十センチにも満たない近距離にいるベルを見つめ返す。

彼の綺麗な前髪から普段は晒される事のない瞳が見え隠れしないかなあという淡い期待は、鉄壁のような金色に見事粉々だ。

不抜けた思考を隅に置いて、そんな事ないよとさっきと全く同じ返答をすれば、ベルの髪がふわりと揺れた。

それが彼が苛ついて肩を怒らせたのだという事に気付いたのは、自称王子という何ともメルヘンな彼が再び紡いだ言葉の語気が荒くなっていたからだった。



「王子にウソ吐くなし」
「嘘じゃないよ」
「ユアが何考えてっか知らねーけど、オレに隠し立てはナシだかんな」
「隠し事……ね、」



隠し事かぁ、と無意識に口から零れていた。

きっとベルは私が思っているより優しい人間なんだろう。
でなければこんな風に他人に言葉を掛けられる訳がない。まあ、ただ単に嘘を吐かれるのが嫌いなだけかもしれないけれど。


隠し事なんてないよ。
口に出そうとした半分正解の答えは、ベルが隣の席に座るようにと、何時ものフラン君の席にあたるイスを顎でしゃくったお陰で喉元で止まってくれた。

大人しく隣に腰を下ろしてから再びベルを見据える。

せき止められていた言葉をもう一度出そうとしたのに、何故か声にならなかった。
よく分からないけれど隠し事なんてないとは言えず、ただ代わりに小さく唇が震えただけ。なんでだろう。



「ユア、お前何色が好き?」


言葉を無くした私を見かねたようにベルは少しだけ小首を傾げてそう聞いてきた。

ベルにしては可笑しな質問。
そう思って拍子抜けしたからか肩の重みがスッと消えていく。案外肩に力が入っていた事に今更気付く自分がいた。

それに乗じて一度浅く息を吸って呼吸を整えてから、脳内を思い付く限りの色で埋め尽くしてみる。


「…淡くて綺麗な紫がいい」


勿忘草のような、紫色。
何だか不本意ではあるけれど、それが私の脳内の色彩の中で一番綺麗に見えたんだから仕方ない。

素直に答えた私に、ベルはただ「ふーん、」と意味ありげに頷いただけで。

彼の表情を探りたい私は覗き込むようにベルを見てみたけれど、残念な事に何も見えなかった。というより、ベルがそうはさせまいと私を腕でガードした為見ることは不可能だった。



「ねえ、なんでそんな事聞くの?」
「こないださ、オカマと話してたんだよな」
「ルッス姐さんと?何を?」
「お前のコトに決まってんだろ」
「私、何もしてないけど、」

「…ユアは俺らン中のユアとは、同一人物だけど別人だっつう話」



驚いた。
びっくりして言葉を返すどころか、息の仕方さえ忘れた五秒間が静かに流れていった。

きっと最近の私は素っ気ないだとか、前のお前を早く取り戻せとか、心臓が痛くなる単語の羅列を浴びせられるんだと思っていたのに。
なのに、まさかベルの口から、今の私と記憶の中の私を区別しているといった旨の発言が飛び出すとは。

夢ではないかとすら思って何度か強く瞬きしたものの、瞼を持ち上げた向こうの景色は同じベルがいるだけの食堂。ああ、きっと次の私に出す声は掠れてしまうんだろう。



「ど、どういう事…?」
「ししっ、そのまんまだよ」
「ベルは私を過去の私として見てないの?」


予期していた通り掠れ声も今はあまり気にならなかった。

ベルには彼特有の変な笑い方で笑われたけれど、何時もだったらそこで笑わないでよと言うんだけれど、兎に角今はそんな事はどうでもいい。

それより理由が聞きたい。
多分今なら同時に十人が私に喋りかけてきたとしても、私はその中からベルの声だけを聞き分ける事が出来るだろう。



「王子さ、ユアは前と同じだって思ってた」
「……」
「けど、違うんだよお前」
「…ほ、んと?」
「だって昔のユアの好きな色は、淡いピンクだったかんな」



ししっ、とまた音を立てて笑うベル。
だからお前はオレの知ってたユアとは違う、新しいユアなんだと彼は続けた。

新しい私。
その言葉が心臓の右側で引っ掛かって、血液と共に体内に浸透していく気がした。

そうか、私ってピンクが好きだったんだ。だから私物は淡いピンクが多いんだね。でも何度頭の中でパレットを広げても、やっぱり私は淡い紫を一番に選んでしまうよ。


私は、前の私とおんなじじゃない。
深いところで繋がっている、別の人間なんだ。


堅苦しい雰囲気の食堂が、一気に広く開放的に見えたのは錯覚に決まっているけれど、それでも私の体内は清々しさみたいなモノで一杯になっていく。少し大袈裟に行動したら、ベルに抱き付いてしまうだろうと思うくらいだ。

無論ベルも私の纏う空気が一気に透明になっていったのを感じたらしく、いつもより数倍口角をあげて私に視線を寄越していた。

例えそれがにやついて馬鹿にしているのだとしても、今だけはベルが神々しく見える。有り難い。



「ナニお前、昔の自分と比べてへこんでた訳?」
「……う、」
「誰も気にしねーって、ユアだし」
「だしは余計。だって皆、前はああだったとか言うから」
「事実なんだから割り切れよ」


別に今のユアを認めてないワケじゃないんだしいーじゃん?

必要以上に語尾を上げてから笑うベルはやっぱり優しい人間だ。
何故語尾を上げるのかは甚だ疑問だけれど。


知らぬ間に私はベルに微笑み返していたらしく、彼にの頬が妙な角度だと大笑いされた。どうりで顔の筋肉が引きつっている様な感じがした訳だ。
それでも口を尖らせる気にもなれない私は、今相当浮かれているに違いない。


けれど視界が澄んでくると同時に謝罪に類する思いもせり上がってくる訳で。

今まで勝手に思い込んで、勝手に逃げ腰になっていたのは私の方。スクアーロにしたって、誰に対しても殻を防具にしていたのは私。
今まで馬鹿馬鹿しい行動をしていたのは他の誰でもなく私なのだと気付いてしまえば、なんだか羞恥心で顔を隠したくなる。



「何一人で悶々としてんだよ」
「なんかごめんベル…」
「あン?」
「避けててごめん」
「うししっ、今更だな」
「ごめん。でも許して」



案の定なんだそれはと呆れ気味に言われた。

けど生憎私は知ってる。
ベルの今の言い方は、是と同じ意味があるという事を。

思わず零れたありがとうが、先程開放的になった食堂の奥、厨房でコックさんが料理する雑多な音に溶けていく。



「まだ許してねーし」
「嘘、ごめんって許してベル」
「…ま、結局スクアーロとルッスがこちゃこちゃ言ってた事言ってやっただけだし」
「スクアーロとルッス姐さん?」
「あの二人躍起になってんじゃね?お前に笑って欲しくて」



運ばれてきた朝食のいい匂いを背景に、ベルと並んで座る私の頭にはある思考がぐるぐると渦を巻いていた。


食べ終えたらまずルッス姐さんに会いに行こう、と。




07:私は生まれたて


(20120112)


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