ユアを見付けた。

今まで探しても探しても見付かんなかった奴が、ヴァリアーの敷地近くの草が鬱蒼と茂る道端に倒れていやがったんだからそりゃ驚いた。

倒れている、というのは語弊があるかもしれねぇ。

正しくは落ちている、だ。
まるで物のように虚ろな表情で転がっていたユア。おかしいと思ったら見事に記憶を無くしてやがった。
忘れはしねぇ、「すいません、あなた誰ですか」と言われた時の衝撃は。

ただ彼女から記憶がない事を告げられた時に、俺は無意識にだが泣きそうになった。
ユアを見付けた以上に、嬉しいんだか悲しいんだか分からなくなって涙が出そうになった訳だ。

ユアを見付けたのはそりゃあ嬉しい。だが今まで彼女と共有した記憶が無くなった事にも、喜んでいる自分がいた。

ユアが自分の記憶を戻したいと願うのだから、それが叶えばいいと、彼女は彼女のことを全て知る権利があるとは思う。
だが一方で、もう記憶なんざ取り戻さないで欲しいとも思う。

ユアが全て思い出したとしたら、彼女は迷わずヴァリアーを…いや、俺の側を離れていくだろう。

今も昔も彼女に思いを寄せる身としちゃあそれだけは避けたい。
そうなる位ならユアの記憶なんていらねぇ。

俺の中では相反する二つの気持ちがせめぎ合い一体となり、気が付けば馬鹿馬鹿しいとしか言いようのない意地を張っていた。彼女を『他人』と線を引くという意地を。

昨日ユアから「私を介して過去の私を見ないで」と言われた時がいい例だ。
本音を言やあ、あの時俺は図星で面食らっていた。

だが、それを悟られまいと鉄仮面みてぇな変に冷たい表情を繕って、彼女にお前はどちらにせよ他人だなんて言い放った。全く、自分の考えと行動が矛盾し過ぎていて笑えちまう。

でもな、そうでもしねぇと抑えらんねーのも確かで。
ユアと一緒にいる時間が増えれば増える程、彼女への思いは厄介な夏風邪のようにぶり返していく。


これも一種の病気なのだろうか。
…病気なんだろうなぁ。


ただし治しようのねぇ、なんて柄にもなく感傷に浸っていると、不意に部屋の戸が音を立てて小さく揺れた。
気配で何となく察しはついていたが、思いもよらない訪問者に物凄い勢いで顔を向けずにはいられなかった。


「ユア、どうしたぁ…?」


まさか今まさに考え、思い煩っていた彼女がそこにいるとは。誰だって考えやしねぇだろぉ。

ユアは少し困ったように眉根をきゅっと寄せる可愛らしい姿を無防備にも晒してから、小さく口を開いた。俺が胸中でひたすら平常心平常心と呟いていたのは言うまでもねぇ。



「スクアーロ、困ったの」
「困っただぁ?」
「うん。あのね、お腹減った」
「…はあ゙!?」
「ご飯作って、スクアーロ」



至って真剣にそう口にするユアからは、おちゃらけた雰囲気は微塵も感じない。
が、ふざけているのかと聞かずにはいられなかった。
自分で作れよ、と言ってしまうのだって自然の摂理というヤツに入るに違いねぇ。



「私、料理壊滅的なの」
「雇ってるコックはどおしたぁ?」
「帰省中らしくて」
「つーかなんで俺なんだぁ?」
「部下の人に命令ってし辛いし、幹部は皆任務みたいだから、」


スクアーロしか作る人いないよ。
あっけからんと言い放ったユアを見たら何故だか腹の底から笑いが込み上げてきた。なんだそりゃあ。

ユアの女子力が底辺であるのは前々から承知しているものの、こうも偶然が折り重なって彼女が俺に料理を作れと頼むような事態が起こるとは思わなかった。
一食くらい我慢出来ねえのかと問えば、今日は寝坊して朝食も食べていないっつー何とも呆れる返答が返ってきたから尚更だ。


未だに見詰めてくるユアに料理を作ってやろうか迷う間に俺の脳裏を掠めたのは、以前彼女が無理をして作った真っ黒に焦げた哀れな目玉焼き。

あの味は強烈過ぎて今でも忘れられねぇ。なんせ焦げの味しかしなかったかんなぁ。

そんな惨事を思い返してしまった俺の脳は、彼女を二度と調理場に立たせてはいけないだろうと判断したらしい。無意識のうちに頷いていた。

料理なんて何時ぶりだぁ?
自分のユアへの甘さに内心苦笑しつつ、俺が了承した事に素直に喜び顔を綻ばせるユアに近付こうとソファから腰を上げる。


昨日の任務の帰り道で、俺達の距離はだいぶ縮まった。

まあそれを幸運と捉えるか不幸と捉えればいいのかは微妙なところだが、こうやって頼られるのはやっぱ悪くねぇ。

緩みそうになる頬を必死に抑えつつ、何を作ろうかと考えを巡らして彼女と共に心なしか普段より暖かな部屋を出た。






*


「い…いただきます?」
「おい何で疑問系なんだぁ?」
「いや…こんなにちゃんとした料理とは思ってなくて、」


スクアーロすごい、というユアの感嘆の声は二人きりのだだっ広い食堂に空々しく響いて小さく反響する。


ずらりと並ぶはフェットチーネを使ったカルボナーラに温野菜のサラダ、手軽に作れるコンソメスープとデザートのパンナコッタ。

幸いヴァリアーのキッチンには食材、特に肉類が有り余る程あった。
多分どっかの横暴なボスさんがいつ何を食いたいと言うか分からないからだろう。

俺も長テーブルの一角に並べた彩りの良い料理たちを改めてじっくりと眺めて、我ながら結構な出来映えだと頷いた。いや、別に自惚れてる訳じゃねぇんだが。



「食べていいのこれって」
「食べる為に作ったんだろぉ?」
「だってなんか勿体無い…」
「食い物には違いねぇんだ。食え」



そう言って腕を組んでユアを見下ろすと、彼女がまるで初めて上京した人間のようにキョロキョロと首を小さく振るのを止めて小声でいただきますと挨拶するのが嫌でも視界に入る。

別に嫌な訳じゃねぇが、なんだか彼女が座っている所為でよりはっきりと観察できるつむじが何とも落ち着かねぇ気持ちにさせやがる。因みに言っておくが俺は変態じゃねえぞぉ。


そんな下らねー事を考えている間にも、ユアは放漫な手付きで俺の作ったパスタをくるくると掬っていた。

一度確認するように俺を見上げてくる可愛らしい仕草を挟んでからそれを恐る恐る口にする彼女に無意識に口角が上がるのが分かる。
くそ、これが惚れた弱みってやつか。



「おいしい…!」
「不味い訳ねーだろぉ」
「スクアーロ天才だね」
「当たり前だぁ」


お前こそ女のクセに料理も出来ねえのかぁ。
そんな皮肉を言えたら一番なんだが、今の舞い上がっている俺ではそんな言葉は喉にも上がって来なかった。

他人に、しかも好きな女に自分の作った料理を美味いと言ってもらえる事がこんなにも喜ばしいとは。


パクパクと頬張るユアを俺らしくないふわふわと暖かい気持ちで見守りつつ、ふと思う。
矢張り彼女は記憶を取り戻すべきではないと。

ユアにとっては記憶を取り戻す事で色々と得るものはあるだろう。だからこそ彼女はそれを望んでいる。
だが、ユアの記憶が戻る事での俺のメリットは無いに等しい。

彼女が全て思い出して、またあの時のように最悪な展開にでもなったらどうするんだぁ?
俺は一度ならず、二度も好きな女を手放さなくちゃならなくなる。それは御免だ。

唐突に俺の頭の中に、過去の記憶とユアに勿忘草の質問をした時の記憶とが混ざり合いフラッシュバックする。


『私を忘れないで』
果たしてこの言葉は、本当にユアに向けて放った言葉なのだろうか。実は自分自身を当てはめたんじゃねえのだろうか。

彼女に、俺を忘れないでくれと。
否、俺との幸せな記憶を、無かった事にしないでくれと。



「…スクアーロ?」


しまった。考えに耽り過ぎていた。
ハッとして焦点を鈴を転がしたような声で俺の名前を呼んだユアへと合わせると、そこには心配そうな表情で俺を覗き込む彼女がいた。

何一人で浸ってんだ俺は。
ほんと柄でもねぇ。

取り繕うように彼女に向かって何でもないと首を振る。
今し方空になったサラダの皿がぽつんと、空恐ろしいと意思表示をしている様でその場の空間を異様な空気へと変えていく。

彼女にだけは俺の思いを悟られまいと、ただ小さく謝罪の意を表した。



「え、何で謝るの?」
「いや、考え事してたみてぇだ。悪い」
「スクアーロでも考え事するんだ」
「んだそりゃあ」
「ん…、まあ考え過ぎは良くないよ」



物事は案外なるようになるからさ。
まるで自身に言い聞かせるように言葉を出力したユアの、器用にスプーンとフォークを動かす音が室内に木霊する。


そうか、考え過ぎかぁ。

小さく息を吐いてから、空になった皿を厨房へと運んでいった。




06:あれこれと、あべこべに


(20120108)


[]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -