「ユアちゃーん!」 「わっ!?」 爽やかな朝。 窓から差し込む朝日がより一層の清々しさを演出する中、物凄い勢いで飛び付つかんばかりに私に迫ってくる人がいた。 その人は私と同じヴァリアー幹部で、ルッスーリアさんという年齢不詳な女性で男性の人。 三日前の会議の後に私に話し掛けてくれた彼女には、どうやら私が記憶をなくす以前にも随分お世話になっていた様で、何故か私の部屋にある私物を逐一把握していた。…失礼かもしれないけど、怖い。 「ルッスさん…びっくりしますよ」 「んま!ルッスさんなんてヤダわ」 もう、と腰をくねらせて私を小突いてくるルッスーリアさんに好きなように遊ばれそうな危険を察知して小さく身構えると、甲高い笑い声がダイニングルームの中に響く。 耳の近くで言われたものだから、危うく鼓膜が破れるかと思った。 「どうせならルッス姐さんがいいわん」 「る…ルッス姐、さん…」 「そう!それよそれ!」 「……そう、ですか…」 今にも唾が飛んでくるのではという距離ではしゃぐルッス姐さんに内心気後れしつつ、それでも失礼をするのは避けたくて無理矢理な笑顔を繕った。少し、いやかなり綻びが見えるけど仕方無い。 だってルッス姐さん、なんか今近寄りがたい雰囲気だから。 自分にそんな風に言い聞かせていた為か、注意を散漫にしていたらしい。 ギギ、と椅子を引く音に驚いて身を竦ませた私の視線の先には、先ほどまでは見受けられなかった翡翠色の髪の少年が座っていた。 情けない事に驚いたじゃ済まない程驚いた私は、思わず隣に平然とした面持ちで立つルッス姐さんに身を寄せてしまった。 …ルッス姐さんの筋肉が意外に物凄くて、そちらにも小さく悲鳴を上げそうになった事は心の内に秘めておこうと思う。 「え、フラン君…」 「もー、ユア先輩ってー、相変わらず鈍臭いですねー」 暗殺者のクセにー。 そう付け足して私をちっとも興味なさげに見据える蛙頭のフラン君は、私が素直にごめんなさいと謝罪をした事に不満を抱いたらしい。 無論理由は分からないけど、何故か座ったまま私の足をむぎゅうと踏みつけてきた。 私としては彼が鈍臭いと嫌そうに言うから仕方無く下手に出て謝ったのに、踏んだり蹴ったりだ。スクアーロもボスさんに虐待らしきものを受けていたし、暗殺部隊というのはやはりそういう物なんだろうか。 心の隅に生まれたそんな疑問を抱えつつも、取り敢えずフラン君をきっと睨み付ける。 隣のルッス姐さんも私の味方のようで、女の子の足を踏みつけるなんて、と言って既にお小言らしき事をフラン君に向かって喋っていた。 「うっさいですねー…オカマ、」 「オカマですってぇ!?」 「オカマですー」 「ワタシのどこがオカマなのよ!」 「えー。どっからどう見てもオカマでしょー」 庇ってもらっている立場だけれど、内心フラン君の意見に頷いてしまう私。 確かにルッス姐さんは、オカマにカテゴライズされると思う。 キー、という有りがちな効果音が付きそうなくらいに憤慨するルッス姐さんを見て、ますますその思いが増していくのが何だか申し訳なかった。 そう思って何も言えずにただ二人を見ていると、ふとこちらを何とも言えない冷たい目で見やるフラン君と目があった。 彼は何か私に怨みでもあるんだろうか。思えば彼は初対面から、私に風当たりが強い気がする。 「それより腑抜け先輩ー、」 「腑抜けって、私?」 「モチロンですー。堕王子が探してましたよー」 ミーって親切でしょう?なんて間延びした喋り方で言葉を放つの瞳が一瞬翳りを見せた気がして、思わずそのまま固まってしまう。なんだか魔法にかかって動けなくなるような気分だ。 なんでそんな詰まらなそうに睫を伏せるんだろう。 気になって仕方がない自分がいた。 元来私は他人からの視線を逐一気にしてしまう面倒くさい人種のようだ。 きっと記憶をなくす前だって、ぐるぐるぐるぐる悩んでいたに違いない。 そう思えば自分の不器用さに少し腹立たしささえ覚えて、私は至極不満そうに私を見詰めるフラン君に軽くお礼の辞を述べてからその場を後にする事にした。 じゃあまたねユアちゃんと力いっぱい一時の別れを惜しんでくれるルッス姐さんとは対照的に、まだ浮かない顔のフラン君はギリギリ聞こえるくらいの大きさで私の背中へと舌打ちを投げてきた。 私は過去、一体この美しい後輩にどんな酷い仕打ちをしたんだろう。 ここまで嫌な態度を露わにされるなんてよっぽどだよなあ。 何だか過去の自分がいたたまれなくなってきたので、歩調をキツくして足早に二人の元から離れていく。 …だけれど私の足は、部屋を出て一メートルも歩かずに動きを止めた。 理由は至極簡単極まりない。後ろから誰かの小さな足音が響いてきたからだ。 私の後を追うように聞こえてくる事からして、フラン君が付いて来たのかもしれない。 私の予想は的中し、振り返れば吸い込まれそうな翡翠色の瞳がえもいわれぬ表情で私を見ていた。 哀れむような、睨みつけるような。 私自身どう反応したら良いか分からないような、一歩間違えれば間抜けともとれるような表情だったので、フラン君には内緒だけれど実は一瞬だけ怖くなった。 表情と同じ、えもいわれぬ恐ろしさ。 「ユアセンパイに、チョット言わせてもらいますー」 真っ直ぐに私を見て、不満そうに尖った唇で言葉を紡ぐ彼を息をのんで見詰める。 私の無言を了承の意と見なしたらしいフラン君は、小さく小首を傾げるという何とも彼らしく可愛らしい仕草をしてから息を吸った。 でも、仕草とは裏腹に声音には棘。 眠り姫なら二千年くらい眠らせられるんじゃないか。 「ミー、あなたの事先輩と思ってないんでー」 「……」 「勘違いしないでくださいねー」 「……」 「ユア、あんたが期待外れで正直ガッカリなんで」 なんだ不抜けたような喋り方じゃない普通の喋り方だって出来るじゃないこの後輩は。 ぐさりと刺さる言葉をどこか遠くで受け止めながら、私はぼやぼやと考える。 何も言えない私を見てどうやらフラン君はご満悦の様子で、丸見えのしてやったり顔を私に隠すように背を向けた。 そのまま何の挨拶もなしにスタスタ歩いていってしまうから、私は改めて彼が私を嫌っている事実に目を向けざるをえない。 何故。なんでだろう。 私に好意的な人はみんな、私じゃなくて前の私を見てる。 記憶を失う前の私。 みんなの笑顔の中心だった、だらしないユアを。それが辛くて堪らないと、欲張りな私は考えてしまう。 しかも、唯一私を過去の私と重ねていない雰囲気の後輩は、敵意を剥き出しにしてくるし。 …もう、分からない。 何で私の記憶はなくなったんだろう。 なんで前の私は、暗殺業なんてしていたんだろう。 どうして、なんで、なんで、何故。 私の中に溢れるのは到底答えなんて見つからないような疑問ばかりで、脳裏に焼き付いて離れないのは冷めた棘棘しい緑色とうざったい程に輝く銀色だけで。 頭の中がぐちゃぐちゃになっていく感覚と共に、また自分の記憶が無くなるんじゃないかと危惧するぐらいの頭痛に襲われる。 何で私はこんなに悩んでいるの。 スクアーロに拾われた直後は、自分の住んでた世界に運良く摘み戻されるなんて幸運だと思っていた。…いや、勘違いしていた。 でも実際は違う。 ヴァリアーに戻ってきた事で私は、ほかの誰でもない過去の自分と比べられては劣等感に浸って、挙げ句頭が割れそうな思いをしている。 どんよりと重い頭を抱えながら、とりあえずはベルのいる所へ向かおうと足が進む。 でも、行かなきゃ良かったんだ。 だってベルの用事は、私に昔借りていたCDを返す為だったんだから。 知らないよ、いまの私はその曲聴いたことなんてないんだから。 「いいじゃん。ユアこのCDはやく返せってうるさかっただろ」 だから、私は返せって言った記憶もないんだよ。 逃げるようにベルの手から真っ青なジャケットのCDを奪い取ってバタバタ走り去ると、今度はベルから詰まらなそうな舌打ちが飛んできた。 ごめん、記憶のない私で。 04.ひすいいろの後輩 (20111228) |