「お前の名前はユアだ」




スクアーロは私の目を真っ直ぐに見詰めながらそう言った。

そうか、私の名前、ユアって言うんだ。変な名前。


そんな事を考えながらも素直にこくりと頷くと、スクアーロは一瞬満足そうな笑みを漏らしてからまた口を開く。笑い方が少し気持ち悪…、いや、少しだけ受け付け難いものだったのは心の内に秘めておこうと思う。




「そんで、お前は分かっちゃいると思うが女、歳は23…いや、24だったかぁ?」

「私に聞かないでください」
「んな事分かってる。確かベルと同い年だったよなぁ」
「…ベル?」



聞いた事のない名前に小首を傾げると、目の前の銀髪男からは小さなため息が返ってきた。

きっと私は記憶を無くす前、"ベル"って人と深い繋がりがあったんだろう。まあ記憶がない私には、そんな名前もただの言葉の羅列にしか過ぎないんだけれど。




「お前の同僚だぁ」
「…同僚、」
「因みにお前の仕事は暗殺だぞぉ」
「暗殺…って、暗殺ですか?」
「それ以外何があるんだ?」



そうですか、と言葉を押し戻してから目を伏せる。

正直私は暗殺者なんだって聞かされても実感なんて沸かないし、人を殺めたい願望もない。

ただ自分が以前暗殺家業をしていた事に、少し驚きはあった。

スクアーロみたいな鋭い瞳に真っ黒い服を着てる人が私をよく知っていた時点で、そういう裏の仕事をしていたって気付いても可笑しくは無いんだろうけど。


視線を下に向けたままそんな事を考えていると、スクアーロが遠慮がちに言葉を投げてきた。さっきから思うんだけれど、この人は私に妙に気を遣っている気がする。


もしかして私は、彼と何か特別な関係でもあったんだろうか。

知りたい気持ちはもちろんあるけど、スクアーロの深い銀色の瞳を見ていると何故かすぐに気持ち悪くなってしまう。

きっと私は彼の持つ銀色が大嫌いなんだ。



「ユア、お前は本当に何も覚えてないのかぁ?」

「はい、多分何も」
「多分?」
「自分の中にうっすらと、何かあるのは分かるんです。でも、その中身は全く分かりません」
「…そうかぁ」



残念そうに呟くスクアーロを一瞥してから、改めて今いる部屋をぐるりと見回してみた。
どうしても豪華絢爛と言うに相応しい立派な造りの室内からして、ここに私が住んでいたなんて信じられなくて。

自分が召使いが大勢いるような人間だなんて何かの間違いだと、誰かが言ってくれたらどんなにいいだろう。平凡ていうものは、自分が思っていたより幸運な事なんだなあってぼんやりと考えた。



「スクアーロ、」
「あぁ゙?」
「私はあなたとどういう関係だったんですか?」

「……同僚だぁ」
「ただの同僚ですか?」



疑問が拭えずそう問ってみると、スクアーロは一瞬言葉に詰まったような顔を見せてから、小さく肯定の言葉を紡いだ。そういう態度を取られると余計に不信感が募るという事を、たぶんこの人は気付いていないんだろう。

しばらく疑わしい視線をぶつけていると、流石に焦ったのか彼は付け足すように口を開く。



「まあ、お互いが敬語ナシで喋ってたくらいだぁ。と言ってもお前はボス以外に敬語なんて使ってなかったがなぁ」
「…ボス、には敬語だったんですか」
「ユアはXANXUSだけには絶対服従だったからなぁ」
「へえ」
「凄かったぜぇ?お前の忠犬ぷりは」



スクアーロのその台詞には何だか皮肉が混じっているような気がしてならなくて、私は何も言葉を返せなかった。ただ、そうですかと頷いた。



「まぁんな事より、お前はまた今日からここに住んでもらうぞぉ」
「え?だって私、記憶ないですよ」

「分かってる。が、お前は今までこの暗殺部隊ヴァリアーの幹部だったんだぞぉ?」
「…それが?」
「脳に記憶がなくても体は色々覚えてるもんだぁ。ユアの体は殺しを覚えてる、必ずな」



嬉しくない、という言葉は飲み込んで、そのままスクアーロの次の言葉を待つ。

まあでも、大体想像はつく。
「だからお前はまたヴァリアーで働かせるぜぇ」とでも言うんだろう。



「て訳で、お前にはもう一度ヴァリアー幹部としての暗殺業をこなしてもらうからなぁ」

「分かりました」



ほら、きた。
私の予想とほぼ同じ内容の返答が来たおかげで、その受け答えには迷わなくてすんだ。



「随分すんなりだなぁ」
「…だって従わなければ、私はスクアーロに殺されてしまうんでしょう?」



彼の瞳を真っ直ぐ見据えて言い放つと、スクアーロはたじろぐように小さく肩を揺らす。


仮にもこの人は暗殺者。
しかもたぶん地位が高い。

暗殺部隊の根城に足を踏み入れたのに、そこから生きたまま見逃してもらえると考える程、私は馬鹿じゃない。

スクアーロは数秒の間をたっぷり使ってからどこか悲しげに目を細めた。



「ああ、俺はユアを殺すぜぇ」
「…だから従います。私も自分の命は惜しいので」

「賢い選択だと思うぞぉ」
「自分でも思います」
「ハッ、記憶が無くなっても、そういうとこは変わんねー女だ」



スクアーロは微笑を携えたままそう吐き捨てるように言てから、くるりと私に背を向けた。

背筋がぴんと伸びたスラリとした彼の立ち姿は、思わず見とれてしまう程に美しくて、喉から出かけていた言葉さえ出せなくなる。
見詰めていると何故か気持ち悪くなる銀髪も、それも息を飲むくらいに美しいと思えた。

美しいって賛美がこんなにも似合う物を見たのは初めてかもしれない。
まあそれも、記憶を無くしてから初めて、という意味だけれど。




「お前が前から使ってた部屋はメイドに案内させる。時間になったら幹部の誰かが迎えに行くから、自室で大人しく待ってやがれよぉ」


私が何も言わずにその背中をじっと目に焼き付けていると、スクアーロはこっちを見向きもしないでそう言い放った。


私としては時間って何の時間なのかとか、何をしに行くのかとか、質問が無かった訳じゃない。

でも何となく、後ろ姿のスクアーロに質問をするって行為が憚られたので、とりあえず黙って彼の背中を見送る事にした。


カツカツとブーツの音を響かせ去っていく…と思ったら、ものの三歩間歩いただけでスクアーロの足は止まってしまった。

ん?なんて疑問符を頭に浮かべている間にも、スクアーロは首を捻って私に視線を送ってくる。



「何か?」
「…なぁユア、」
「はい」

「勿忘草は知ってるかぁ?」
「へ?…えっと、花ですよね」



いきなり振り向いたと思ったら多年草の花の名前なんて口にしてくるものだから、思わず拍子抜けした声が出てしまった。

この男は一体、何が言いたいんだろう。
皆目見当がつかないのは私の頭が足りないって事だろうか。



「…春から夏にかけて咲く花だぁ」
「たぶん分かります。淡い青とか紫とかの綺麗な花ですよね」
「花言葉は分かるかぁ?」
「花言葉まではちょっと…」



そう言って小さく首を捻ると、スクアーロは言葉に詰まったような顔をした。

そんな表情をすることに若干驚いて瞬きを何度か繰り返している間には、彼はいつもの気の抜けない表情に戻っていたけれど。


「そうかぁ」
「…すみません」
「別にいい」



問題の花言葉は何だろうか気になったけれど、スクアーロがまたすぐにブーツの音を響かせながら歩いていってしまって、聞けず終いという結果に。

いいや、後で自分で調べよう。




勿忘草、勿忘草…どこか聞き慣れた響きを含むこの花の名前を忘れないようにぶつぶつ呟いていると、スクアーロに命じられたらしいメイドさんが近付いてきて私を部屋まで案内してくれた。


記憶を無くす以前にも私が使っていたらしい部屋の中には、私の私物らしきものが適度に散らかっていた。

勿論この部屋を思い出した訳ではないんだけど、不思議な事に私の口からは自然に言葉が零れていく。



「ただいま、ただいま」


ここに私がいた記憶も確証もないけれど、でも、私はどうやら帰ってきたみたいだから。


だから、自然とただいまの挨拶が口から落ちた。それは何だかよく分からないけど、少し照れくさかった。






01.わすれなぐさ



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