なにもわからなかった。




何も分からず、気付いたら草の上に寝ていた。

寝ていた、と言うと語弊があるかもしれない。正しくは転がっていた、だ。



自分で言うのも何だけれど、私の意識ははっきりしていて、混乱もしていない。



ただ、どうしても思い出せない。

私の名前、親の顔、私の職業、年。
自分に関する情報が全く思い出せない。


体を見て、辛うじて自分が女であることだけは分かった。でも、それ以外はさっぱり。


何故私がこんな森の中みたいな場所に倒れていたのかも、どういう経緯でこの場所に来たのかも到底分かる訳がなくて、私はただ木に背を持たせかけてうずくまっていた。


人気のない森の奥でする事なんてあるはずもなく、さっきからぼんやりと朧気な記憶の輪郭をそっと撫でる事を単調に繰り返している。


曖昧で、薄い薄い記憶。

覗こうとすれば透明になってしまう、掴もうとすれば私の手からすり抜けていってしまう、そんな不安定なもの。


でも、確かに私の中に存在する記憶。
私だけの、記憶。



どうしたら取り戻せるんだろうか。



そればかりを考えていた所為か、いつもなら兎の足音でさえも聞き漏らさない、私の敏感な耳がきちんと機能していなかったらしい。


突然、誰かが低い独特な声音で私に声をかけてきた。


ハッとして声の主を目の捉えた瞬間、得も言われぬ感情が私の心を覆い尽くして、何かが私の中で弾けて。



そして私は、意識が真っ白な海に引きずられていくのを、確かに感じた。





ー勿忘草ー




(20111119)


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