ヴァリアーに帰ってきた。

ボスのところへ直行して、記憶が全て戻ってきた事を告げると、彼は別段驚いた様子もなく「そうか」とだけ口にして私を見据えた。それでテメェは、何で戻ってきた?声に出ていなくとも、そう問われているのが分かった。

ボスはきっと、私が記憶を思い出したならヴァリアーには帰ってこないと、そう思っていたのだろう。にも関わらず、私が記憶を探しに行くことを承諾してくれたのだ。彼が恐ろしいだけの「ボス」ではない理由を、お腹の底でなんとなく感じ取れた気がした。

目一杯に張っていた筈の肩の力がふっと抜けて、体中の筋肉が弛緩してゆく。その次の瞬間だった。

ヒュ、と高い音を立てて、「何か」が私の頬を掠めていった。
これは何か硬質な物が空を切った音だろうか、なんて自分の中で考えが纏まった時にはもう、その「何か」は派手な音を立てて壁と衝突し、見事に粉砕していた。そのときの音からして、ガラス類だろうか。

恐らくグラスかな、という推測は、瞬きを終えた後に視界に映ったボスの右手から、持っていた筈のウイスキー入りグラスが綺麗に消えていた事から容易に成り立った。

更にボスの目は、今にも私を殺さんとする勢いである。なんというか、怖い。一瞬緩んだ事が嘘であったかのように、私は無意識のうちに身を固めていた。


「ボ、ボス…」
「勘違いしてんじゃねェ」
「勘違い…?」
「俺はお前を許してねえ」
「……」
「何故、のこのこ殺されにきた」


ライオンでさえ身を竦ませるであろう鋭い眼差しに、一瞬息が出来なくなる。この部屋だけ、酸素という元素が無くなってしまったかのようにも思えた。

分かっていた。
ボスが、六年前に私がヴァリアーを出て行った事に対して怒りを抱いている事くらい、分かっていたのだ。記憶を持って帰って行けば殺されるかもしれない、ということだって承知していた。それでも私が、こうやって帰ってきてしまったのは。

それは、ただ、私は。


「全て、清算したくて」
「ハッ、逃げ出したお前が何言ってやがる」
「…確かにその通りです。けれど私、記憶が戻ってきても、まだ『私』のままなんです」
「…あ?」
「記憶をなくす前の私は別人みたいに思えて…戻ってきた記憶も、他人の物を見ている気がして」


今自分が抱いている気持ちと、前の自分が抱えていた気持ち、それは本当に正反対で、それなのにどこか似ていて。
何が本当の自分なのか、よく分からなくなってしまった。

けれど、スクアーロときちんと向き合えば。そうすれば、答えが見つかる気がするのだ。私がずっと蓋をしていた記憶の底にある彼への黒い感情と、記憶を無くした私が抱いた彼への慕情。果たしてどちらを選ぶべきであるのか、分かる気がするのだ。

静かに余分な息を吐き出して、ボスの真っ赤な瞳を見据える。私は帰ってきた。殺されることすら覚悟して、それでもこうやって、ボスの前に立った。無論、物怖じしなかったと言えば真っ赤な嘘になってしまうけれど。


「スクアーロと話を付けられたら、殺されても構いません。だからどうか、私に機会をください」
「……」
「曖昧なまま生きるんだったら、きちんと気持ちを明確にして死んだ方がましです」
「…チッ」
「…ボス、お願いします」
「…勝手にしろ、ドカスが」


吐き捨てるように、ボスはそう口にした。
粗雑で横暴な言葉を投げつけられたはずなのに、何故か泣きそうになった。急に感謝の言葉が出て来なくなってしまって、声の代わりに確実に九十度以上に背骨を曲げて、勢いの良いお辞儀を返す。

ボスからは、不機嫌そうな表情のまま今一度の舌打ちが飛んできた。






空は今日も、目に染みる青色で堂々と手を広げていた。その様子を窓ガラスというフィルターを掛けて眺めつつ、迷いのない足取りで廊下を歩いていゆく。向かう場所はひとつしかない。あの人の部屋しか。

目的地にもう直ぐ着こうという時、突然名前を呼び止められた。まさか私に声を掛けてくる人なんていないだろうと予想していただけに、肩が派手に揺れる。が、次に聞こえてきた耳慣れた笑い声に緊張は一気に溶けて消えていった。


「…ベル」
「しし、ひっさしぶりだなユア」
「久しぶりって言っても一週間だけどね」
「うしし、で?記憶は?」


見えずとも容易に分かる。今、彼の表情を覆い隠すこの金髪の壁の向こうでは、ニンマリとした笑みが広がっているに違いない。
楽しんでるなあ、と思いつつも、溜め息に限りなく近い吐息を零して、小さく肩を竦めてみせた。


「…思い出しました、一応」
「マジ?」
「マジマジ。でも、なんか私の中では別人かな」
「フーン」
「変な気分だよ。前世の記憶があるみたいな感じで」
「ししし、オツカレサマ」
「思ってないね全然」


言いながら微笑むと、釣られるようにベルもまた口角を上げた。その上、まあ良かったんじゃね?なんて零して柔らかく右肩を叩いてくれるものだから、不器用な中から滲み出る優しさみたいなものを少し感じ取ってしまって参った。

ベルはきっと、本当はとても仲間思いのいい人間なんだね。
口に出すと怒るだろうから、心中だけでそっと呟く。


「殺していい、って言ったのに」
「あ?」
「前の私、戻ってきたら殺していいって言って出て行ったじゃん。なのに、いいの?」
「…殺されてーの?」
「ううん。それはあくまで前の私」
「じゃあいーじゃん」
「うん」
「ま、ユアのコト殺してスクアーロに殺されんのもヤだしな」
「…ありがと、ベル」


私は本当に良い仲間を持っていたみたいだ。今まで何でそのことに気がつかなかったんだろう。

少し、暗殺なんて許されない行為を生業としている理由が分かった気がした。いや、記憶が戻った、というより記憶を知った時点で気付いてはいたのだけれど。それでもハッキリといま、分かった。

私はヴァリアーの仲間が好きなのだ。不器用で冷たくて残忍で沸点が低くて狂っていて。そんな人間ばかり集まった、普通の社会じゃ確実に爪弾きにされるであろう黒い集団が暖かくて心地よくて仕方ないのだ。

胸の中にどうしようもなく熱いものがせり上がってきて、ただそれを気付かれるのが嫌で、顔を見られないようにしっかりと俯く。ベルはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、ただ何時もより柔らかいリズムで独特の笑い声を立てた。


「ユアがお礼とかキモチワル」
「うるさいなあ。有り難いでしょ?」
「どこが」
「全体的に」
「別に」
「あっそ」
「つーかさ」
「ん?」
「…しし、オカエリ、ユア」


うん。ただいま。ただいま帰ってきたよ、ベル。殺さないでいてくれてありがとう、仲間だって思ってくれて、ありがとう。


16:神様の瞬きが終わる前に


(20130225)


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