一度ヴァリアーを離れてから、三日が経った今日、私はとある民家にいた。初老の夫婦が仲むつまじく暮らす、小さな家。その中の客間のソファの上で、向かいに座るお爺さん言葉を身を固くして言葉を待っているのだ。


「ユアちゃん、久しぶりだね…と言っても、記憶が無いと言うんじゃあ覚えてはいないだろうか」
「…はい」
「はは、いいんだよ、そんなに神妙な顔にならないで。私はただ、君に渡したい物があるだけでね」



ことの発端は今日の朝、私が記憶の手かがりを探す為に、私がスクアーロに発見された場所を彷徨いていた事だった。

道行く人に聞いても、何をしても手がかりらしき情報が見つからず途方に暮れていた時、この夫婦の乗った馬車が私の前を通り過ぎようとした。そしていま思えば大層運が良いことに、私は馬車の中のお爺さんと目が合ったのだ。

そして暫くして突然馬車が止まり、中から出て来たお爺さんに名前を呼ばれ懐かしまれ、戸惑いつつも記憶がないことを伝えるとじゃあ一度家に来なさいと提案してくれた。

この人たちは、何か知っている。
そう直感的に思った私が、すぐにその誘いにのって馬車に同乗したのは、言わずとも分かることだろう。そして、今に至る訳だ。


「これだよ、君に渡す物は」


声にも人生経験が出る、とは良く言ったもので、お爺さんの声音は長い年月を誠実に強く生き抜いてきたことを裏付けるかのように深く、それでいて暖かいものがあった。

そんな声と共に差し出されたヌーディピンクの手帳らしき何かを、小首を傾げつつも受け取る。表紙の四隅が禿げていた。どこか懐かしさを感じるそれに、眉をひそめずにはいられなかった。


「…これ、は?」
「それは、君が預けていった日記だよ」
「に、っき?」
「ああ。五、六年程前だったと思うが、君はこの近くに移り住んできてね。その時うちの家内が世話を焼いたから、君はよくこの家に来るようになったんだよ」


お爺さん曰わく、この日記はある日突然私に「大切なものだから持っていて」と預けられた物だそうだ。そしてその数日後、図ったかのように私はいなくなった。らしい。

私にしてみれば、以前の自分の不可解な行動に頭を悩ませるばかりである。全くもって、前の自分のやりたかったことが分からない。まるで他人みたいだ。そう思ってしまったことも作用してか、日記を開こうとする手が震えた。アルバムの時と同じだ。

果たして私は、ここでこれを読んでしまっていいものか。
少しの間思案して、それから小さく息を吸う。答えはノーである。せっかく私にいい感情を持ってくれている夫婦の前で、この日記を見てはいけない。何故か強く、そう思ったからだ。

きっとここには、アルバムと同じくらい、いやもしかしたらアルバム以上に大切な事が書いてあるかもしれない。それをこの場で読んでしまえば、この夫婦に迷惑をかけてしまう可能性だって否めない。

静かに肩を下げて、目の前の優しい目をしたお爺さんにお辞儀をした。ありがとうございます。素直に感謝の気持ちを述べると、柔らかな「どういたしまして」が返ってきた。一人で読みたいだろうから、遠慮せずに帰りなさいとも言ってくれた。その厚意を有り難く受け取って、もう一度頭を下げる。

ありがとう。私を呼び止めてくれて、記憶をなくしているにも関わらず暖かく迎えてくれて、そして何より、以前の私が預けていた物を捨てずに取っておいてくれて。

伝えきれない感謝の思いは、ひとつひとつ言葉にするには重すぎて、私はやっぱりひたすらにお辞儀をした。またおいで、と、そう言ってくれた夫婦に、たくさんの気持ちを込めて。


***



「…よし、読もう」


適当に入ったホテルの一室で、無意味な気合いを入れた私は改めてその薄いピンク色の日記に向き合った。

ボスには一応、一週間の休暇という形で時間をもらっている。今日はまだ三日目だから、まだヴァリアーに帰るまでには余裕がある。だから、ここで。一人でいれるうちに、知っておかなくては。

一度大きく深呼吸して、ゆっくりとページを開く。そこには確かに私の筆跡で、アルバム同様ヴァリアーでの日々についてが書かれていた。暖かい日記だと思った。

が、それは束の間の事で。
そこには、頭痛がする程に恐ろしい出来事が綴ってあったのだ。知らない方が良かったのでは、とすら思う、私のヴァリアーを出た理由が。

白いベッドの上、心なしか自分の呼吸が荒くなってゆく気がして、その気分に逆らうことなく大人しく身を崩す。頭がいたい。心臓がいたい。考えていたら勝手に涙が溢れてきた。スクアーロの顔で、髪で、手で、頭がいっぱいになる。それらがぐるぐる混ざり合って、私の涙になって、白いシーツに落ちる。

悲しい循環に為すすべなく従っていると、不意に心臓から「何か」が抜ける感覚を覚えた。と同時に、私の頭の中に膨大な映像が、どこか懐かしい記録たちが雪崩込んでくる。

本格的に息が荒くなってきた。何故か耳がいたい。スクアーロの顔がやたらと脳裏を過ぎる。胸も痛い。涙が出る。私の心臓から抜けた「何か」が、血液と共に全身を駆け巡る。抹消神経から中枢神経まで、光が通るような感覚だった。

スクアーロ、スクアーロ、スクアーロ。
なんでこんなにスクアーロの事ばかり考えてしまうのか。答えを自分の中で完結させようと思った瞬間。

それは、私が全てを思い出した瞬間でもあった。


15:終焉を覗く



(20130221)
駆け足でごめんなさい


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