人間は生まれるときは一人ぼっちだ。
それは貴族階級の人間だろうと下町のパン屋の娘だろうと、暗殺者だろうと関係ない。みんなみんな、一人なんだ。

要はそこからが重要なわけだ、と思う。
どんな親に当たったのかとか、どんな街に住んでどんな出会いを果たすかとかそういう事が何より大切なんだ、と思う。


だから私は分からない。
何故私は今、こんなにも寂寥感に襲われているのかが分からないのだ。

ただのつまらない口論だった筈なのに、こんなにも涙が止まらなくなるなんて誰が予想しただろう。


「もうお前なんて知んねー」


知らなかった。いや、きっと記憶がある頃は知っていたのだろうけど、今の昔の私の抜け殻である私は知らなかった。
言葉は剣なんかよりよっぽど力がある事を。



「ちょっとベルちゃん言い過ぎよ」
「るせーオカマ。ユア、そんな顔してんだったらマジ殺すかんな」
「ベルちゃ…って、ユアちゃんどこ行くの!?」


あーあ、なんでこんな事になっちゃったんだろう。元はと言えばベルが私に突っかかってきたのが悪いのに。
でもベルがそうして来たのは私がベルのナイフを一本おじゃんにしてしまったからで、でもでもそうしてしまったのはベルが私の体型を寸胴だとからかったからで、でもでもでも…。

口喧嘩の理由なんて、いくら辿ったって出てくる筈もない。きっと口論の始まりは、私が考えつかないくらいに小さな小さなものなのだろう。もしかしたら、それこそ遺伝子レベルのような一つ飛んだ次元になってしまうのかもしれない。


ずぶずぶ、ベルへの苛立ちとほんの少しの罪悪感に意識を埋めていけば、それに呼応するかのように重い腰も弾力性十分なソファへと沈んでゆく。

もういっそ、このまま寝てしまおうか。
夕食になってまたベルと顔を合わせるのも気まずいし、というかご免だし、そうするのが一番だろう。

深い溜め息と共に眠りにつこうと目を閉じる。
けれど喧嘩してもやもやした心持ちのままで、そのまま快眠できるなんて事があるはずもなく。
何度目を閉じたって、すぐ瞼の裏にベルの金髪が浮かんできてダメだった。

ああ眠れない。
何であんな詰まんない事でささくれ立ってしまったんだろう。

軽い自己嫌悪を抱きながら必死に睡魔を呼び込もうと格闘していると、不意に部屋の扉をノックする音が聞こえた。

…ベル?ぴくんと揺れる肩を右手で押さえて、くぐもった声で戸を叩いたその人物に返事をする。


「誰です?」


気配はしない事から幹部の誰かだろう。
やっぱりベルか…いや、ルッス姐さんかもしれない。そう見当を付けつつ相手の返答を待つ。

どちらにせよ今は会いたくない。
でも会いたくない時に限って、何で彼は来るのだろう。

ガチャ、とノブを回す音と共に、無遠慮にも私の質問に答えもせずにその人は入ってきた。うふてぶてしい顔。これは犯罪で訴えたら裁判に勝てるだろうか。

けれど残念なことに、その不躾な態度に口を尖らせる気力も、逆にきちんと彼を迎える気力も今の私には無かった。
ただ少し身を固くし、ソファの肘掛けの部分に顔を埋めて彼の存在から目を逸らすだけ。無論、そのまま空気のように扱うつもりだった。つもりだったのだ。

彼が私の方へ歩み寄って来、あろうことか私の頭をぽんぽんと優しく撫でてくるまでは。



「どういうつもり?スクアーロ」
「別にどうもしねーよ」
「じゃあさっさと出てって下さい」
「そんな不細工なツラした馬鹿、放っておける訳ねーだろぉ」



スクアーロの手が私の後頭部をいったり来たりする感覚を大脳に焼き付けながら、うるさいと吠えるように声をだしだ。うるさいうるさい。

ずっと顔を上げてないんだから、不細工かどうかなんて分からないのに。
こんなに優しく宥められたくてソファに埋もれてる訳じゃないのに。

なのに何故だろうか、スクアーロの手のひらを強引に剥がそうという考えは微塵も浮かばなかった。

ヴァリアーに来て私は、この組織にというよりはスペルビ・スクアーロという存在に絆されているような気がする。気がするだけである事を願いたい。


「ベルと喧嘩したらしいなぁ」


私が大した抵抗をしないと分かったのだろう。スクアーロは手は止めずに続けて言葉を落としてくる。
なんと反応したらいいか分からずただより肩に力を込めて体を強ばらせれば、フッと年の差を見せ付けるように笑われた気がして何だか気に食わなかった。

顔を上げて私の頭上で彼がいまどんな表情なのか確かめたい。是非確かめたい。

でも今顔を上げるのは、元々私の中に存在していたのか最近生まれたのか定かではないプライドのような物が許してくれなかった。私も随分ややこしい人間だと思う。



「お前でも喧嘩なんかすんだなぁ」
「……」
「やっぱガキって事かぁ」
「うるさい。」
「ガキ同士の喧嘩は長引くぜぇ。どっちも詰まらねえ意地張りやがるからな」
「私のは別に…」


詰まらない意地なんかじゃない。
そう言いかけて悔しいけれど止まってしまった。

詰まらない意地じゃないか、私のだって。そうだあの時直ぐにベルに謝れば良かったんだ、殺すって言われたから何だ、逃げなければ良かったんだ。

後悔なんてものはし始めればキリがないようで、私の頭にもそれはぐるぐると渦を巻いていく。潮目になってしまいそうで怖いくらい。ああ確かに怖い。こわいよ、怖いってこういう気持ちなんだ。


ぱたり。怖いが消えた。
認識してああ恐ろしい物なのだと実感したと同時に、私の頭の中からスッといなくなっていったのだ。

何故だろう、愚問のような疑問はすぐに解けた。

バッと顔を上げると目の前に、スクアーロの肩があるではないか。

そして私の顔はその肩、というよりは彼の鎖骨付近に押し付けられている。いつの間にかソファからスクアーロの肌へとシフトしていたらしい。挙げ句その長い腕で抱き締められている。気付かなかった。

でもスクアーロの腕の中の方がソファの数倍心地良い。そう思ってしまった自分を殴りたくなった。
取り敢えず、何故こんな状況になったのだろう。


「な、ど、な、どうしたの」


状況説明を求める為に出した声は自分でも分かるくらいに動揺していた。

でもそれも仕方ないと思う。
だって私は男性に抱き締められるなんて初めてなのだ。少なくとも記憶が戻ってからは。

それをこんなにも自然に、さらりとやってのけられてしまったのだから体が硬直して言うことを聞いてくれなくなってしまうのも当たり前だと思う。



「どうしたって、何がだぁ?」
「と、ぼけないで。今セクハラは社会問題になってるんだから」
「自意識過剰かお前は」
「な、失礼な…!」
「図星だろ」
「っ、カス鮫のくせに!」


そう言うと未だ押し付けられた儘のスクアーロの肢体が小刻みに揺れた。

むかつく、笑ってるよこの人。
無論私の中には苛立ちが芽を出すけれど、それに伴うようにして鼻孔をくすぐる彼の大人らしい匂いがそれを中和してしまう。

何なんだろう、この気持ちは。
私は最近おかしいのかもしれない。いや、可笑しいに違いない。
一人何とも今更な事を納得している私に、スクアーロのまるで言い聞かせるかのような言葉が降ってくる。



「ベルとの繋がりは大切にしとけぇ」
「……」
「あいつは何だかんだ言ってもユア、お前の事を一番分かってる」
「そうなの?」
「そうだろ」
「…ふーん」
「ま、詰まるところ」


友達ってヤツじゃねえか。
ベルが友達っていうのは何だか違和感を感じたし、多分ベルも私のことを「友達」とは認識していないという確信を持ってはいるけれど。

でも知らず知らずの内に、スクアーロの言葉にコクリと頷いている自分がいた。

そしてそんな私を見て満足そうに笑む銀髪幹部を見て少し心臓が高鳴った自分もまたいた、と思う。ちょっと信じ難いけども。


兎に角、私はベルに謝る事にした。きちんと謝る事に。


「ごめん、ベル」


ベルの眩いくらいに輝く金髪を視界に捉えた瞬間、その言葉は案外すんなりと出てきた。ベルの動きが本当に一瞬だけ止まって、それからまたいつも通り口角を吊り上げた時、得も言われぬ感情を抱いたのはまだ記憶に新しい。

なんだろう、心がじんわり、暖かくなるような。

そしてそれはスクアーロがもたらしてくれた物なのだと気付くのに、そう時間は掛からなかったのだ。



12:喧嘩なんて



ほぼ2か月ぶりの勿忘草がこれかおい。
(20120329)


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