「ねー、腑抜け先輩」 くたくたに疲れる任務を終え、ヴァリアー邸に帰る為移動用の真っ黒い高級車の中で、仰々しい蛙頭の後輩が隣に座る私へと声を掛けてきた。 フラン君から辛辣な言葉を受けてから早数週間、それ以降殆ど会話を交わしていなかったのでそれはそれは天地がひっくり返るかと思うくらいにびっくりした。彼から私に話し掛けるなんて事は、もうないと思っていたのに。 「な…なに?」 「もう記憶って戻りましたー?」 「見れば分かるでしょう?」 「あー、すみませんー」 ミーうっかりしてましたー、なんて心にもない事を口にするフラン君を睨むように見詰める。 彼が嫌みでそんな事を言っているのが分かっている所為か、余計に苛ついた。多分自尊心とか、そういう下らないものに引っ掛かってしまったからだろう。 私は嫌になる位自分本位だから。 小さくため息を吐くのは生意気だけど自分より力のある後輩へか、それとも私自身へなのか。 それすらよく分からないまま、もう一度言葉を紡ごうと肺に息を貯める。 こんな時、記憶があれば。 過ぎる無い物ねだりな思いは頭を振って無理矢理に押しのけて、取り敢えず口を開くという動作に落ち着いた。 「それに腑抜け先輩も出来れば止めて欲しいんだけど」 「でも似合ってますよー?」 「似合ってるって、どの辺が?」 「何に置いても無能な辺りがー」 「…辛口だねぇ、フラン君は」 吐息混じりでそう言うと、フラン君の常時潤った唇からはご丁寧にも感謝の言葉が返ってくる。 別に誉めたつもりじゃないのに。 皮肉を込めてみた筈だったのだけれど、矢張り私の弱々しい攻撃なんて彼には無効なようだ。私の完敗だ。 そこから会話が動くことはなく、私は至極居心地の悪い時間を過ごす事となってしまった。 フラン君の隣は落ち着かない。 何をしていなくとも、何故か咎められているような気分に陥ってしまうから。 そんな事を頭の片隅で意識しながら暫く無言で車に揺られていると、不意に私の肩に何かが当たる感触を覚えて体がびくりと震えた。 もしかしてフラン君が私に何か意地悪でもしかけてきたのかもしれない。 嫌な予感がして秒速で右肩に目をやる。 何か変な物とか付けてたら、絶対にちゃんと叱ってやるんだから。 そんな似合いもしない年上思考に駆られていた私の視界に入ってきたのは、予想とは全く違った光景だった。 「あれ、フラン君…?」 すやすや、と心地良さそうな寝息を立てて眠るフラン君。 その姿からは、普段私に冷たく当たってくるような棘のある雰囲気は全く感じられなくて、悔しいけれど翡翠に見惚れてしまった。うわぁ、可愛い…。 どうやらさっき肩に当たったのは彼の代名詞である蛙の被り物らしい。 でもそれはさて置き、人間はいつの世も好奇心に駆り立てられる物であって、そしてそれには絶対に勝てない。 そんな訳で私は、もし彼が起きていたら殴られる事を覚悟で、試しにその柔らかそうな頬を人差し指でつついてみる。 ふにふにと、自分では絶対に味わえないであろうマシュマロのような感触に、知らず知らず目尻が下がるのを感じた。 暗殺者がこんな風に無防備に寝ていいものなんだろうか。 答えが分かりきっている質問が脳裏を掠めるものの、それもこの可愛らしい寝息を立てる彼の前では愚問と化していく。 この姿を目に焼き付けておこうとかなりの眼力でフラン君を見詰めるけれど、彼は相当疲れているらしく私の視線にも一切気づかずに眠ってくれていた。 そう言えば前、幻術というものは精神疲労が伴う物だと何かの本で読んだ気がする。 私の前で寝顔を晒け出すフラン君。 何だか無性に嬉いのは何故だろう。 いつもあんなに尖った態度をとってくるフラン君、でも彼だけは一度として、私を昔の私と重ねて見ていた事はない。少なくとも私はそう感じていた。 まあそれは過去でもフラン君が私を嫌っていたからかもしれないのだけれど、それでも私の小さな支えとなった事は確かで。 これから私はフラン君にどうやって接していくのが一番いいのだろう。 先輩らしくした方がいいのかな。 でもそれだとウザイとか言われそう…というかもう言われてる。 なんてぐるぐると考えながら、私は静かな車中、時々左右に揺れる蛙を右肩で受け止めていた。 * 「ししっ、ユアおかえり」 「丁度良いやベル、頼んでいい?」 「何を?」 「このおっきい荷物」 やっと着いたヴァリアー邸。 丁度玄関前で子供が遊ぶようにナイフ投げを楽しんでいたベルに突き出したのは、目覚める気配が全く感じられないフラン君。どうやら彼は完璧に熟睡モードに入っているみたいだ。 「は?ンで王子がバカガエル運ばなきゃなんねーんだよ」 「だって私じゃ重くて持てないし」 「オレだってナイフより重いモンは持てないし」 「嘘だ、何そのお坊ちゃん体質」 「ししっ、ホントだかんな」 百パーセント嘘の言葉に、色々な意味合いを込めてがくりと肩を落とす。 この間ベルが悪戯でスクアーロの明らかにナイフより重量があるであろう剣を担いでいたのを私はばっちり目撃していた。あれは幻覚ではないだろうに。 ただ、一度嫌だと拒否をしたベルに無理矢理何かをやらせようとするのなんて、自分の命を奪ってくれと言っているようなモノである訳で。 仕方無く息を吐いて、自分より少し…いや、だいぶ重いフラン君を引きずるように車内から出した。 体に掛かる圧力が予想以上に重い。 一体この細い体のどこにそんなウエイトがあると言うのだろう。全く羨ましい限りだ。 「蛙なんて起こしゃいーじゃん」 「安眠妨害とか言って怒られそう」 「そん時は王子がサクッと殺してやるって」 独特の笑い声に合わせ口が裂けるのではと心配するくらいに口角を吊り上げたベルに、一瞬背筋に冷たい電流が走った。ベルの場合、本当に殺してしまいそうで怖い。 いや駄目だよそんなの、絞り出した声は心なしか震えているように思えて、ベルをちらりと伺い見れば彼は案の定肩を小刻みに揺らしていた。 畜生、笑ってやがる。 「ホンキにすんなって、しし」 「仕方ないでしょ?大体ベルが、」 「ゔお゙ぉい、何してんだユア」 「スクアーロ!」 私の言葉を遮るように表れたのは、今日も苛々するくらいにサラサラの銀髪を輝かせながら剣を担いだ作戦隊長だった。 生憎私は今、背中に侍らせているフラン君の所為で容易には方向転換が出来ないので、一応首だけをスクアーロの方へと向ける。 もしかしたらスクアーロの事だ、フラン君を引き取ってくれるかもしれない。 そう思えば今だけスクアーロが神様に見えてきた。だって本当に重いんだもの、この後輩。 「何でお前がフラン担いでんだ?」 「まぁ成り行きとベルの意地悪で」 「ししっ、王子の所為にすんなし」 「つーかフラン寝てんのかぁ?」 「うん。ぐっすり」 少し無理をして首を竦めるという大変な仕草をしてスクアーロを見ると、彼は舌打ちと苦笑いをダブルでしながら暗殺者にあるまじき態度だとか何とか言った。 でもフラン君を見詰める目に呆れ以外にも優しさが籠もっていて、私も釣られて笑顔になってしまう。 人の寝顔ひとつでこんなにも暖かい笑顔を零せる人が、暗殺部隊の二番手だなんて誰が思うんだろうか。 思わずそう考えてしまう私は案外このヴァリアーという組織に絆されているのかもしれないけれど、それでもいいかなんて浮かれた事を思ってしまった。私は本当に楽観的だ。 「貸せぇ、ユア」 「え?」 「フラン、重いだろぉ?」 どうやら私は心底スクアーロに代わって欲しいという旨の視線を送っていたらしい。無論無意識に、だけれど。 スクアーロはやれやれという感情を隠しきれない様子で私からフラン君の体を持ち上げると、いとも簡単にその逞しい肩へと担ぎ上げた。 これが男女の差というヤツか。 少し虚しくなって目を細めて彼を見上げていた私をスクアーロは不振に思ったらしく、怪訝そうに眉間の皺を刻んで私に向かってどうしたのかと問い掛けてくる。 「いや、力持ちだなって思って」 「はあ?余裕に決まってんだろぉ」 「でもベルは持てないんだよ」 「あン?ユア何言ってんの?殺すぜ?」 「だってナイフより重い物は持てないって」 キラリと鋭い光を放つナイフを、あろうことか私へと狙いを定めて構えたベルを尻目にけろりと言ってのければ、スクアーロの野太い笑い声が私の鼓膜を叩いた。 極めつけはベルの悔しそうな舌打ち。 初めてベルを言い負かした所為か、心臓の奥からこぽこぽと優越感が湧き出てくる気がして思わずニコリと笑みを漏らしてしまう。 けれどその瞬間に、私は笑顔を繕った事を後悔する事となった。 だって私の頬を銀色の光沢を持つ尖ったナイフが掠めていったんだから。 私の優越感が一瞬で泡となり弾けていったのは言うまでもないだろう。 べ…ベルの顔が、今までに見たどんな表情より歪んでいる。 私死ぬかもしれない。 結果、うさぎ並みの素早さで命の危機を感じた私がその場を逃げ出すのも、頭にファンシーなティアラを乗せた王子様が私をチーターの如く追い掛け始めるのにも、そう時間は掛からなかった。 09:眠り姫と毒王子 絶賛げろげろスランプ中 (20120122) |