「真ちゃん、おはよう」


カーテンがぴっちり閉まっている所為で降り注ぐ朝日も微かにしか感じる事の出来ない仮眠室の中で、布団にくるまっている彼、福田真太の背中を優しく撫でる。

相当疲れているらしい、何度体を揺すっても死んでいるかのように微動だにしない彼を見て、微笑ましくもあり心配でもあり、ただ小さな溜め息が口から零れた。

原稿の下書きがようやく終わって仮眠したいから、十時半になったら起こしに来てくれないか。そう頼まれていたので時間ぴったりに来たんだけどなあ。

まあ大方昨日根詰めすぎたのだろう、そんな風に脳内で結論付けてから立ち上がってカーテンに手を伸ばす。昨日は安岡くんが帰ってからも粘っていたらしい、その証拠にさっきちらりと覗いた仕事部屋の安岡くんのデスクの上には、処理を待つ沢山の原稿が束になって置いてあった。

そんな厳しい状況で疲弊している彼を起こす事に少しだけ躊躇したものの、私が起こさなかった事が原因で締め切りに間に合わなかったなんて事態になったら大変だという気持ちが勝って、気付けばゆっくりとカーテンを開けていた。

西側の窓にも関わらず、途端に朝日、というにはもう遅いかもしれないけれど、とにかく日光が薄暗かった部屋を満たしてゆく。後ろで彼が小さく身じろぎしたのをなんとなく感じ取って、また逞しい体のそばに膝を付いた。


「十時半だよ、起きて」
「……」
「真ちゃん、起きてってば」
「…おー…」
「でも仕事に余裕あるなら、」


寝てていいよ、そう締め括ろうと思ったけれどそんな台詞は突然の彼の行動によってどこか彼方へ飛んでいってしまった。代わりに私の口からは、ふえっ、なんて可笑しな奇声が飛び出ていた。

でもそれも仕方無いだろう。
何故か、今わたしの体は彼の厚い胸板あたりにぎゅうっと押し潰されているのだから。

一体どんな早技を使ったんだろうか。一瞬の出来事に驚いた私は相当目をまあるくしていたらしい、正面から小さな笑い声が飛んできた。息が顔にかかるくらいの至近距離で、何だか心臓がばくばく煩く動く。


「真、ちゃん…?」
「何そんな驚いてんだよ」
「だって突然だったじゃん」
「そうかあ?でもまあ、ワリーな」


言いながら私の肩を引き寄せる彼に、心臓がふわふわ浮き上がりそうになる。その上隙を逃さず彼の匂いに鼻孔をくすぐられて、得も言われぬ幸福感で一杯になった。


「…あったかい」
「そうか」
「疲れてる?」
「まあな、すげー眠ぃ」


漫画家というのは本当に大変な仕事だと、彼をみて改めて実感する。

不規則な睡眠に食事、不安定な収入。
彼も今ではジャンプ作家として立派に連載を持っているけれど、一時はアシスタントとバイトで生活をしていたらしい。それでも漫画が好きで書き続ける姿勢は尊敬の一言だけでは言い表せないのだけれど、その反面心配も強かった。

もし過労で倒れて体を壊してしまったら。そんな風に考えると、心臓が痛くなって漫画家なんて止めてと言いたくなってしまう。
けれど彼は漫画家であることに誇りを持っているから、だから私は今日もそっとその大きな肩に目頭を押し付けるだけにするのだ。


「おい、どうした?」
「…私、漫画書いてる真ちゃん好きだよ」
「いきなりだな」
「格好良くて独り占めしたくなる」
「おっ、お前なあ…!」
「照れないでよ」
「て、て、照れてねーよ」


うそ。照れてる。耳真っ赤だもん。
色素の薄い髪まで赤く染まりそうな彼が愛おしくてどうしようもなくなって、広い背中に手を回す。

彼は参ったとか適わねぇとかぶつぶつ呟いたと思ったら、そんな私の頭を優しく撫でてくれた。私にだけ効く魔法を携えた彼の手は、所々インクで汚れていて。

それが私をもっと心配にさせて愛しく思わせて、少し泣きそうになった。
大好き、大好きなの。情け無く譫言のように零れた言葉に、彼は溶けきった氷みたいな嬉しそうな笑みで応えてくれる。


「心配かけて悪ぃな」
「カップ麺ばっかりは駄目」
「ああ」
「いっぱい無理しないで」
「…今日はしばらくこのままでな」


心臓の奥から押し出されたような彼の声音に、私の芯がふるりと震えた。堪らなくなって口付けた真ちゃんの手の甲は、何よりも暖かくて何にも勝る幸せが詰まっていた。




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熱しやすく冷めやすい今の標的は福田(と雄二郎)です



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