その人は強気な人だった。強情で、物怖じしない。
跡部さんと渡り合えるほどの自分主義者。現に跡部さんとはいつも対立しあっていた。
キングと呼ばれるだけあってか、跡部さんの言葉には生徒が従う。
けどその人だけは違っていた。その人だけは跡部さんの言葉に従わなかった。

「なんでテメェがずっしり腰掛けてんだよ」
「たかだか椅子程度でうるさいわね。誰がスケジュール管理してやってると思ってんのよ」
「そこは俺様の席なんだよ。いいから譲りやがれ」
「断る。なんであんたのためにどいてやらなくちゃいけないのよ」

レギュラー専用の部室の扉を開けるとすぐに見えた光景。
一触即発とはこのことを言うんだよな、と感じずにはいられなかった。

強気で強情で、物怖じしないその人、苗字名前さん。
氷帝唯一のマネージャーであるその人は跡部さんからの勧誘(というよりは強制)でマネージャーになった。
基本的にマネージャーを募集しない氷帝では異例らしく、許されているのも跡部さんの権力故だ。
跡部さんの勧誘を受けたにも関わらず、苗字さんは最初断っていたらしい。
珍しい人もいるものだと、その話を聞いた時に思った。

「あ、長太郎。いいところに来てくれた!」
「どうかしたんですか?」
「いくつか連絡、っていうか指示なんだけど、伝えてほしいの。頼める?」

小首をかしげて俺に問いかけてきた苗字さんの言葉に頷くと、苗字さんは真剣な面持ちでバインダーを開く。
俺によく見えるようにか隣に立つ。俺よりも苗字さんは小柄だから少し屈んだ。
細かく文字の並べられたそれはテニス部の様子が事細かに記されていた。

「向日と日吉にこのメニューを一度通すように。宍戸の足に疲労が溜まってるからよく伸ばしてあげて。あとは…」

苗字さんの口から説明が始まる。ふと横を見れば彼女の顔が思っていたよりも近くにあった。
意識し始めた瞬間に心臓が少しずつうるさくなっていく。何を、意識したんだろう、俺。

「…長太郎?」

俺からの反応がない事に疑問を持ったのか苗字さんは少し心配そうな声色で問う。
咄嗟にすみませんと謝罪すると疲れてるなら無理しなくていいと気遣いの言葉が返ってきた。
心臓が高鳴る。バクバクと音を立てる。いつも以上に近いその距離と俺を見据える目に。
このままこの場にいたら全て苗字さんに気付かれてしまうような気がして、顔洗ってきますと俺は部室を出た。
いってらっしゃいと苗字さんの声が届く。終始心臓は鳴ったままだった。



「…行っちゃった。どうしたんだろ、長太郎」
「どうしたじゃねぇよ。うちのレギュラーたぶらかすな」
「たぶ…っ!?」

長太郎の奴、今までは苗字に憧れの意味で好意持ってたが完全に変わったな。
顔赤くしやがってよぉ。苗字の奴も口開けば長太郎の話ばかりだからいい機会だろ。
当の本人は全くと言っていいほど無自覚だが。

「…前途多難だな、あいつも」

呟かずにはいられなかった。

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