2貫600文の銀細工


三年前、光成様に拾われて、俺は色々な事を知った。
戦場の生臭さ、自分と同じ人を崇敬する事、自分と同じ人の肉を絶つ感触、この人を守りたいという思い。

家康様に裏切られ、秀吉様を失い、三成様は修羅になってしまった。
東北の伊達政宗を打倒すべく川中島を駆けるその薄い背中を追いながら、何故皆この人を守らず、怯え、裏切り、逃げて行くのだろうかと激しい憤りを感じる。
言動は激しく、厳しいが、こんなにも真っ直ぐで悲しい人なのに。
誰が逃げても、裏切っても、自分だけは最後までこの人を守る。
拾ってもらった恩だけではない思いが胸の中を熱く駆け巡る。

「石田三成ぃ!」

雪が吹き荒れる中、男の怒鳴り声が響く。
雪寄せされ、盛り上がった雪山の影に小高い土手があった。
そこに立つのは小柄な男で、ぶるぶると刀を握る手を震わせながら三成様を必死に睨みつけている。

「よくも慶次を、かすがちゃんを、・・・っ、こん、ちっき、しょう!」

バッと刀を振り上げ、土手から光成様に向かって飛び掛ろうとする男は、ただ気合だけで刀を持っているのだろう、型も何もなっていなかった。
大体あんな所に隠れて奇襲のつもりだったのか、それなのになんであんな大声を上げたのか。
しかし震える手の指先は綺麗なもので、剣だこ一つないそれに、ああ、人を殺めた事がないのだな、戦にも慣れていないのだな、と少しだけ哀れな気持ちが沸いて出た。
足を止めた三成様は顔色も変えずに冷たい瞳で男を見上げ、腰に下げた柄に手も伸ばさない。
そうして興味が失せたとばかりに背中を向け、「正義」とただ一つだけ自分の名を呼んだ。

「はっ」

寸での所で刃がその背に触れる、という瞬間、男は俺にその横っ面を殴られ、雪煙を上げながら柔らかな深雪の中に吹っ飛んでいった。




「何か、言い残す事は」

雪まみれになり、くそう、しんじまえ、ひとごろし、と口汚く罵る男の肩を足で踏み、意外に細い首筋に狙いをつける。
ボロボロ涙を零しながら真っ赤になった瞳でこちらをギラギラと睨みつけるが、振りかぶられた刃の切っ先を見ると、くしゃりと顔を歪ませ、ううう、と鼻を垂らしながら呻き声を上げる。

「う、うう・・・、慶次、かすがちゃん、謙信様・・・・・・・・ル、ルリちゃん、ごめんオレこんなわけのわからん所で死ぬわ、ツーリング行けんくてごめん、DVDデッキ、テレビに繋いでやるって言ってたのに守れんでごめん、借りてた映画も返せんでごめん、死んだらそっちに帰れるのかな、帰ったらオレ、」

ワンピースの続き、読みたい、と小さく呟いてギュッと目を瞑り、「チクショー!早くころせ!このクソ野郎!」と首を反らして大の字に寝転がる。



少し離れた所から「何を訳の分からぬ事をほざいている」と呟く三成様の声も、びゅうびゅうと吹いていた吹雪の音も、何も聞こえず俺はただただ反らされた首にかかる銀細工に目を奪われていた。

「・・・俺は」

振りかぶっていた刀をゆっくりと下ろし、首元を撫でるとチャラリ、と金音がするのに、大の字になった男の体がビクリと戦慄く。

「俺は、あっちでは広島に住んでて、俺もコレが欲しくて、でもコレ、原宿店で限定だったろ?新幹線のチケット買ってさその後気付いたんだけど、その日俺、進級がかかった試験があったんだよね。どうしても行けなかった。お前コレ、いくらで買った?」

チャリ、チャリ、と耳元で鳴る金音にビクリ、ビクリ、と体を震わせていた男が、ハッとしたように目を開く。

「・・・・・・オレもどーしても欲しくて、前の日から並んで、5番目で、定価で・・・1万7千円で買った・・・」

ザクリ、と耳のすぐ横に刀を突き立てると、ヒィッ、と体を跳ね上げる男に俺は憮然とした顔を向け、刀を離した手で自分の胸元を探り、それを引っ張り出す。

「おい、正義、何をしている、」

「俺はヤフオクで23万出して落札した」

チャラリ、と重い金音を鳴らすシルバーネックレスは転がる男と同じものだった。
人生で一番高い買い物となったコレは、三年前、こちらに来てからも一度も体から離さなかったものだ。

「・・・ハ、ハハ、あんた、馬鹿じゃねーの・・・超ウケるんだけど・・・ハハハ・・・ハハ、23万って・・・しかもコレ、すぐに再販かかってたじゃん・・・今フツーに買えるっしょ・・・」

「ああ、マジ、メッチャ腹立ったわ」

はは、と笑い合いながら、胸元で小さく男に『行け』とジェスチャーをする。
それに気付いてまた男は情けなさそうに小さく笑い、「腰が抜けて立てねぇ・・・」とカクカク笑っている膝を指差す。

「正義、早くそいつの首を狩れ」

「三成様・・・」

三年前、ここが戦国時代だと知って、最初は生き戸惑った。
いっそ死んでしまおうか、そうすれば元の世界に戻れるのかもしれない、と思った時に三成様に拾われた。
死ぬのなら、この自分の命を、この不器用な人にすべて預けようと思った。
一番最初に今と同じように三成様に刃を向けた男を殺した時、後悔はその時にだけして、後はただ何十何百という人に刀を振るってきた。

「三成様、申し訳ございません・・・っ」

それでも、この男だけは切れない。
自分と同じ平成からやってきた、自分と同じシルバーのアクセサリを持つ男。
言葉にするとただそれだけ、ほんとうにちっぽけな理由だが、理屈ではない何かが沸き、突き立てた刀に手が伸ばせない。

「そいつは私に刃を向けた・・・、っまさか正義、お前まで私を裏切るのか・・・?」

「申し訳ございません・・・!申し訳ございませんっ!」

瞬間、重力を感じるほどの殺気が全身を襲った。

「───正義、正義っ、正義ッッ!お前まで私を!私を裏切るのか!」

ドォン、と重い音が響き、その中心で赤く燃える暗い瞳が吹雪越しにゆらゆらと揺れる。
ふらり、とどこか危うげな足取りで一歩、また一歩、とこちらに近づく三成様に、土下座をして額を雪道に擦り付ける事しかできない。
命乞いをしているわけではない、自分は今、三成様に刃を向けた男を殺せないでいるのだ。これは明らかに裏切りで、こんな事で光成様の心にまた傷を付けてしまった事が申し訳なくて、申し訳なくて、たまらないのだ。

「申し訳っ、ございません・・・っ!」
「・・・っ、アアイツ、アイツヤバいよ、なぁアンタ、逃げようぜ、そんで一緒に帰る方法探して、」

擦り付ける額の横に付いた手は、幾度も刀を振るった為に豆が潰れ、タコが出来、短く切った爪の間には血泥がこびり付いている。
体からは死臭がするだろう。こんな自分があの世界に帰れるはずがない。

「お前、人、殺した事ないだろ?お前なら、まだ帰れる。俺は、無理だ。ここで───、・・・行け、早く行け、這ってでも行けっ!走って行け!」

剣幕に押されたかのように、男は震える足で雪の上を這いずり、そうして走ってどこかへ消えたようだった。
間近に立つ光成様は去っていった男に目もくれず、爛々とした瞳に憎悪を滾らせてこちらを見下ろしている。

「──三成様、」

もし時を操れ、帰れるとしたならば。
自分はあの平和な平成の時代に帰りたいのだろうか。
それとも三年前、家康様と秀吉様と、そして三成様がまだ共に乱世を歩んでいた頃に──。


見えない程に素早い太刀筋を首元に感じながら、最後に見えた走馬灯は桜散る中、御三人が笑いあい、酒を飲み交わしている懐かしい姿だった。
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