くらい穴1

その日は天気が良い日だった。
幸村と佐助はぽかぽかと暖かい陽気を楽しみながら、上田の領地を散歩していた。
秋分も過ぎたというのに季節がぶり返したのだろうか、妙に暑い日で、少し先には逃げ水ができている。
汗を拭いながらこのまま城下に団子を食べに行きたいという幸村に苦笑を返し、瞬間ふ、とよぎった嫌な予感に佐助はビタリと足を止める。

「どうしたのだ、さす・・・」

「旦那っ!危ないっ!」

幸村の言葉は最後まで続かず、口を「け」の字に開けたまま、その姿が足下の穴に落ちてゆくのが妙にゆっくりと見えた。

足下に丸く、黒い穴が開いていた。
先ほどまでこんな落とし穴はなかったはずだ、逃げ水に気を取られて見落としていたのだろうか。
そう脳裏で考えながら佐助はひらり、と揺れる幸村の鉢巻を握ろうと手を伸ばし、しかし寸でで届かない。
穴の中に落ちていった赤い鉢巻は、落ちるというよりも暗闇に溶けるように色をなくし、佐助は息を呑み穴を覗く。

「旦那、旦那!聞こえる?!」

返事は返ってこないだろうと予感はしていた。
佐助の怒鳴り声を吸い込む丸い穴はただただ真っ暗で、まるで底がないようだった。
躊躇したもの一瞬で、佐助は小さく舌打ちし、自らも穴に飛び込む。
とん、と地を蹴り、穴に入った瞬間、それまで聞こえていた風が木々を揺すり葉がざわめく音や、その合間に響く小鳥の鳴き声がすべて聞こえなくなった。

「・・・ッチ、旦那、旦那ぁ!!!」

飛び込んだはずなのに落下している気がしない。それどころか穴を見上げ、明かりを探そうとも、辺り一面真っ暗でどこが上かもわからない。
目を開けているのか、閉じているのか、立っているのか、落ちているのか。
気が狂ってしまいそうな状況だというのに、しかし何か暖かいものに包まれているような、妙な安心感があった。

「はっ、・・・こりゃまたもの凄い術だこと・・・」

佐助は必死に目を開き、手のひらに爪を立てて気を持とうと歯を食いしばるが、しかし次第に薄れゆく意識の中ただただ幸村の身を案じていた。




かつん、と何か硬いもの同士がぶつかる軽い音に、佐助はは、と目を開く。
気を失っていた。なんという事だ。内心舌打ちをすると、明るい周囲を警戒してとりあえずは、と薄暗い天井の隅に飛びつき身を隠す。


光に目が慣れ周囲を伺うと、そこは夕日が射し込む広めの四角い部屋の中だった。
壁には大きな透明な膜が張られ、存分に橙色の陽が差し込んでいる。
床にはところ狭しと足の長い文机が置いてあり、外からは遠く子供の笑い声が響いてくる。

『ここは一体・・・。っ!』

どこなのか、と思う前に部屋を見回していた佐助の視界に、部屋の隅の文机につっぷした後毛の長い後頭部が見えた。
見間違いようがないあの頭、しかし仄かに違和感を感じるのは何故なのか。
とりあえず天井から飛び降りようとした瞬間、ガラリと扉を開け現れた一つの小さな気配に佐助はまた小さく舌打ちをする。

「・・・やっぱりまだ寝てる。幸村、もう放課後」

入ってきたのは黒い服に身を包んだ小柄な少年だった。
よくよく見るといつの間に着替えたのか幸村らしき人物も同じ格好をしており、少年の声に「ううむ」と小さくむずがるともぞりと顔を佐助のほうに向ける。
ああ、ほら、やっぱり旦那じゃないか。
自分は一体どのくらい気を失っていたのだろうか。この少年も旦那と親しいようだがいつの間にこんな知り合いができていたのだろうか。
しかしやはりどこか拭いきれない違和感を感じながら、佐助はそれを見知らぬ場所で夕日に当たっている寝顔を見ているからだと理由を付け、小柄な少年が幸村におかしな事をしないかどうか、じっと気配を殺して二人を見つめる。

「・・・おきて・・・ゆきむら」

起床を促すはずの少年の声が、なぜかどんどんと小さなものになってゆくのに佐助は気付き、これはそろそろヤバイかな?と天井から足を離した瞬間、本当に小さく吐息のような声を佐助の人並みならぬ忍の聴力が聞き取った。

『ゆきむら、だいすき』

え?は?と一瞬その言葉の意味を考えてしまったのが悪かった。
佐助の視線の先で、夕日に照らされ伸びた二人分の影がぐっと重なろうとしている。
あっちゃーっと思った時には袖口に隠していたクナイを握り、夕日に反射しないように手に包み隠すように持ち、幸村に覆いかぶさろうとしている少年の首元を目掛けて振り上げていた。
少年は佐助の気配にも気づかず絶命するはずだった、が。
完全に首を取ったと思ったのに、佐助はゴッ!と頬に激しい衝撃を受け、いくつもあった文机をなぎ倒しながら不思議なくらいにつるつると滑る床に背中をすり付けていた。

「いたた・・・、なにすんのさ旦那ぁ・・・!」

「な、な、ゆ、ゆきむら起きて・・・わぷ」

クナイが少年の首筋に当たる寸前、今まで寝ていたはずの幸村に渾身の拳で殴り飛ばされたのだ。
思い切り拳を食らった佐助はやっとの事で身を起こし、頬を撫でながら幸村に文句を言おうと口を開ける。
が、少年を胸元に抱き守り、夕日を背負った幸村の顔は伺えなかったがその気配は酷く怒気を含んでいた。

「みつきに手を出す者は、この真田源次郎幸村が成敗致す!!!」

更にそのままうおおおお!と赤い熱気を全身から噴出させ、佐助に殴りかかってくる。
ちょっとちょっと、ウソだろぉ?!と炎を纏った拳を避けながら、佐助は一体全体幸村は何の術にかかってしまっているのだろうか、と咄嗟に隠し持っていた手裏剣を構え距離を取る。
次に来る攻撃に備えようと、チャキリと得物を握りなおすと刃がギラリと夕日を反射させた。
ちくりと目を刺した光に幸村は「む」と眉をしかめ、しかしどこかで見たことのある構えに、感じた事のある気配に、は、と握っていた拳を開く。

「・・・これは・・・佐助・・・佐助なのか?!」

やっと自分に気がつき攻撃の構えを解いた幸村に「まったく旦那ぁ、酷いぜ・・・」とじんじん痛む頬を押さえながら佐助も得物を仕舞い、どっかと床に腰を下ろす。
まったくここがどこかも分からないのにこんなに暴れ回って、っていうかその胸にいるこっちを睨んでる子、一体誰なのさ、と色々言いたい事、聞きただしたい事があったのだが、次に聞いた幸村の台詞にそのすべてが吹っ飛んだ。

「佐助!おお!なんと、二年ぶりではないか!お主、いつこちらに来たのだ!?」

ぴたり、と頬を撫でていた手が止まる。
はぁ?という顔をして幸村を見上げ、何をふざけた事を言ってんの、と口を開こうとしたが、まじまじと見上げた幸村の顔つきが、体つきが自分のよく知ったものよりも精悍になっているのに気がついた。

そうか、最初に感じた違和感は、これだったのか。

「・・・正しくは一年と七ヶ月だけど」

呆然としている佐助に幸村の胸に抱きついたままの少年がぼそりと呟く。
だからこの子は何なのさ、一年と七ヶ月ってどういう事なのさ、いや、もう一体全体、すべてがどういう事なんだ!と佐助は叫び声を上げようとしたが、結局口からは大きなため息しか出なかった。
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