おまけの悪夢2


違和感は、まず鼻からだった。
どこかで嗅いだ、馴染みのある他人の生活臭。
それと、先ほどまでの考えを見透かすように刺激がある旨そうな匂いが漂っている。
政宗様がこんな朝から厨でも使っているのだろうか。と思ったが、一つ瞬きをした瞬間、視界がぱ、と明るくなり思わず目を眇めた。
今は確か明け方も近い真夜中だったはずだが、いつの間にか小十郎は暖かな夕暮れに染まる廊下に立っていた。

「な・・・・・・こ・・・ここは、」

くらりとした眩暈を感じる。
来た事がある場所だ。つい最近。
横にある曇りガラスに目を向ける。
そう、ここは風呂場だった。この中で自分とまことは身体を触れ合わせた。
なんでまたここに、自分はどうして、

「あれ?もう帰ったんですか?今日は早くないですか?」

思考の渦に巻き込まれていた小十郎だったが、ぱたた、と後ろで立った小さな足音と、柔らかい声にひゅう、と息を呑んだ。

「おかえりなさい!晩御飯、カレーですよ。コロッケも作ったんです。・・・ちょっとコゲちゃったけど・・・。後もうちょっとで出来ますから、待ってて下さいね」

耳を澄ませるとクツクツと何かを煮込む音と、小さな鼻歌が聞こえる。
そうだ、風呂場の向かいは厨だった。見た事のないものがたくさん置かれたこの場所は、政宗様ならきっととても喜ぶだろう──。

風邪のせいか、小十郎の頭はうまく回らなかった。
つらつらと現状と関係のない事を思い巡らせながら、ゆっくりと振り返る。
目の前で揺れる暖簾が邪魔だ。
白い布をめくるとこちらに背を向け、鍋を掻き回している青年の姿があった。

「・・・ン、おいし。・・・あ、今用意しますからあっちで・・・えっと、ビール、ビール・・・」
「まこと・・・?」

つい、ほんの二・三日前に会ったばかりだと言うのに、まことの背は随分と伸びていた。
前は胸元に潜り込める程だったのに、今は肩程にまではあるのではないだろうか。
暖かい気配も、肉付きの良い尻の形も変わっていないが、その違和感に小十郎は目を細める。本当にこいつはまことなのだろうか?
しかし小十郎が声をかけた瞬間、まことと思われる後姿はピシリ、と一切の動きを止めた。
クツクツ、と鍋の煮える音だけが響き、小十郎はその過敏な反応に戸惑い、また「まこと?お前・・・随分背が伸びたな」と声をかける。

「こ、小十郎、さん・・・?」

ふるり、と薄い肩が震えた。
その肩幅もいくらか広くなっただろうか。筋肉も付いているようだ。
だぶついた服の上からでも透ける背筋、そこからなだらかに続くキュッと持ち上がった双丘。
今の目の前のまことは、少年の危うい雰囲気がなくなり、青年としての色気を持つ、たまらなく魅力的な身体つきをしていた。

『・・・ってなんだ、男にこんな。俺はそんなケはなかった、はず、だが・・・』

頭に過ぎったまことの身体に対する感想にぷるぷると首を振る。
そんな小十郎をまことはゆっくり、ゆっくりと振り返った。

「小十郎、さん・・・っ!」

信じられない、とばかりに見開かれた瞳は震える声に反して意外にも乾いていた。
小十郎の中のまことは色々と汁気が多いヤツ、という印象だったので、これだけ声が震えていれば、もうボロボロと涙を流しているのだろうと思っていた。
そして自分はそれをそっと指先で拭ってやり、胸を貸すのだ。
幾度か髪を撫で、胸元で鼻をかむまことに小さく拳骨を落とし、細いおとがいを持ち上げて、桃色の唇に───。

「・・・いや、だが、まこと、お前なんだか随分・・・」
「こじゅうろうさん、小十郎さん・・・本当に、本当に小十郎さんだ・・・!」

振り返ったまことは、つい先日とは印象がガラリと変わっていた。
スケベ、スケべ、と言っていたが、普段の子ども子どもしたまことは日向でぽわんぽわんと咲いている、蒲公英のような雰囲気だった。
しかし今、料理をしている後姿しか見せていないこいつは、ただそれだけで日陰の匂いを漂わせていた。
日陰でひっそりと咲く儚い花─。
白い項にかかる髪がそう見せているのか。
チラリチラリと見え隠れする桃色の耳たぶのせいか、細い体のせいか、何がこいつをそう見せるのか。
背が伸びたように見えるからだろうか。
いや、こちらを懐かしそうに見つめ、飛びついてくる体、腕、指先、どれもが美しく伸び伸びとして、成長をしている。

・・・そうだ、こいつ、成長している・・・。

もう、小十郎の眼下のまことは子どもではなかった。
体つきも、顔つきも、完全に成人した大人の青年のものになっている。
細身なのは相変わらずだが、背も十分に伸び、その端々から押さえきれない色香がにじみ出ていた。
どうしてだ、なぜこの短期間に、と頭を混乱させる小十郎の腕の中で、まことはにっこりと笑みを浮かべて嬉しそうに小十郎を見上げる。
それはあのパッと花が開くようなものではなく、しっとりと、朝露に濡れた蕾が綻ぶような笑みだった。

「・・・小十郎さん・・・、ふふ、小十郎さん、こんばんは。──お久しぶりです!」
「まこと・・・。ああ、飯時にすまないな。・・・しかし、こりゃどういう事だ・・・?」

なんでこんなにでっかくなっちまったんだ。とわしわし髪を撫で付けると、先日とは別の匂いがその髪から漂ってきたのにどういう訳か胸が痛む。

「ひゃっ!・・・ふふふ、小十郎さんは全然変わってなくってびっくりしました!もう、前に会った時から何年ぶり・・・十年?ん・・・もっとかな?」

前も思ったんですけど、小十郎さんって結構年齢不肖なところ、ありますよね?と目の前で蠱惑的に微笑むまことの表情にも、発言にも、小十郎は度肝を抜かされた。
いつからこいつはこんな色気のある顔を、いや、十年?あれから十年が経っているだと、まだ二日三日ではないか。十年、その十年の間に、こいつはこんな顔を覚えさせる相手がいたというのか。
そしてハッと思い出す。
先程、誰かと自分は勘違いされていた。
「おかえりなさい」と挨拶を交わす相手、屋根の下で二人、暮らす相手がいるという事か。

「・・・小十郎さん?どうしました?」

無言で立ち尽くす小十郎だったが、こてん、と小首を傾げたまことの細い首筋、だぼついた服に隠れるか隠れないかの位置に赤黒い所有印を見つけ、思わず息を呑んだ。
直感的に、男がいる、と感じた。
この年齢の男だ、結婚していてもおかしくはないと思ったが、先程感じた日陰者の匂い、この所有印─。
そしてそれは、言い知れぬほどの衝撃となって小十郎を襲った。
体調が悪い時は、心が揺れやすい、と少し前にまことに伝えたばかりだったが、まさかこんなに早く自分自身にも言い聞かせる事になるとは。
体調のせいでこんなにも心が痛むのだ。こんなガキに惚れた腫れたをする歳でもなかろうに。しかし、こいつはあれから十も歳を取っているという。
自分の過ごした二、三日で、十年という長い歳月を、子どもだったまことは見知らぬ相手と共に過ごしたのだ。そして、こんな顔をするようになった。

首を傾げたせいでとろり、とまことの白い額に前髪が流れる。
その下の瞳が心配そうに瞬き、そして小十郎がじっと視線を注ぐ先、首筋のキスマークに気付いてぽわっと頬を赤らめた。

「っ、わ、・・・お恥ずかしいものを・・・」

ぴょん、と小十郎の腕の中から飛び出し、そっと襟元を上げる仕草も昔とは違うものだった。

「・・・いい相手が、いるみてぇだな・・・」

言葉を口に出すのが酷く億劫だ。
朝まで寝ていれば冷めると思っていた熱が、どんどんと体を蝕んでいくのを感じる。

「えっ!は、はい、おかげさまで・・・って、改まって言われると恥ずかしいですね・・・。・・・小十郎さん?どうしました?体調、悪いんですか?」

なんだか具合、悪そうです。居間で休みましょう?と頬を赤く染めたまま、まことは心配そうな顔をして小十郎の肩に手をかける。
これは変わっていない。相変わらず、暖かい手だ。
前に最後、握った手も暖かかった。

「・・・その、小十郎さんの知り合いなんです、その人。戦国時代の人で、多分、よく知ってる人・・・」

何?!と声を上げようとした瞬間、廊下の先からガラリ、と戸を開ける音がして、肩を貸していたまことが嬉しさを隠し切れない様子で「あ、帰ってきました!・・・おかえりなさい!」と振り返る。

一体誰が、どうして、まことと、なぜ自分はあの時目を閉じてしまったのか、まことが寝ても手を離さず、ずっと握っていれば、しかし、自分は戻らなければいけなかった、守るべき方、政宗様、

様々な思考が入り乱れる重い頭を上げ、小十郎もゆっくりと振り返る。

『誰だ、俺のかわいいスケベ坊主を手に入れた野郎は』

そうして視線の先、自分と同じく驚いた顔をした人物と目が合い、そこでブツンと視界が真っ暗になった。
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