少年時を止める3


トイレの個室に腰を下ろし、腹の底で大荒れをしている自分の感情をなんとか落ち着かせると、次に湧いてきたのはまことへの懺悔の気持ちだった。
優しいまことはあんな自分の態度を不審に思い、「もしかしたら佐助さんは自分の言った『好き』という言葉を不快に思ったのかもしれない」とまで考え込んで落ち込んでしまうだろう。
まことの『好き』という言葉で自分は傷ついたけれど、まことが想像するような理由のせいではないのだ。まことが想像を絶するような理由のせいだ。まことは悪くない。
まことは自己否定のケが強いと佐助の脳内ノートの「宝野まこと」欄に書き込まれたのは出会ってすぐの頃だった。
「僕なんて」「僕なんか」と、何かにつけてこのフレーズを口にするまことに幸村あたりは歯がゆそうにしているけれど、惚れた欲目か佐助の目には穴蔵でぷるぷる震える小ウサギのようにケナゲで可愛らしいと映っている。
追いかけて来てくれるかと思ったけれども来ないということは、自分の妄想通りに今頃教室で落ち込んでいるのだろう。
幸せそうに桃色に染めていた顔色を真っ青にして「佐助さんを不快にさせてしまったかも」とあのきらきらした瞳を虚ろにさせて、頭の中は俺の事ばかり考えているのだ。それを考えるとズクリと下腹部に快感が走り、思わずぶるりと身を揺すった。
そして冷静になり働くようになった五感が、体が揺れた肩元から涼しげなトワレの移り香を嗅ぎ取ったのに「ゲッ・・・」と小さく声を漏らしてしまう。
さっき教室を飛び出した時にぶつかったのは伊達だったのか。これはやばいかもしれない。小さく溜息をついて個室から出ると、用を足していないけれどもついつい癖で手を洗う。

トワレなんて付けている男はあのクラスには伊達くらいしかいない。かなり強くぶつかったから教室に戻ったらうるさく文句を言ってくるだろう。今頃地の底まで落ち込んでいるだろうかわいい俺のまこちゃんに素早く謝らなければいけないのに・・・。でも伊達もぶつかった時点で何か言ってきそうだが教室を飛び出た時自分を止める声なんて一つも聞こえなかった。取り巻きも多いだろうに、しかしあいつらのリーゼントは今時どういうつもりなのか、まこちゃんが怯えていた───・・・

「・・・───?」

トイレを出て、その入り口近くに立っていた存在に違和感を感じた。
同じクラスの黒田が立っているのだが、こいつは自分がトイレに入る前にもここにいたのだ。でかい図体に対して大荒れしているさっき、トイレに駆け込む時にも頭の隅で『黒田だ、邪魔だ』と思ったのだから間違いない。
そう考えながらついトイレから出た所で足を止めてしまい、黒田と無言で見つめ合う。

「・・・・・・何?」

声をかけてもこちらを無視したまま、黒田は長い前髪の奥の瞳を瞬き一つさせずにこちらをじっと見下ろしている。
普段は隣のクラスの形部や石田にいじられてギャアギャア姦しい奴だったはずだが、その人形のように微動だにしない様子にさすがにおかしいと「おーい?」と顔の目の前で手を振るが、視線がまったく動かないのに気付くと思わず一歩後ずさる。
これは異常だ、と振り返り、そこに広がった世界に息を飲んだ。

すぐ隣で走った格好のまま制止している者がいる。前のめりになって、ほとんど足が地についていない。
その後ろにいる教師、片倉が大きく口を開けている。いつものように走る生徒を叱っているのだろう。しかしそこから声など聞こえない。そうだ、そういえば音が何も聞こえない。耳鳴りがしそうな程に静かだ。休み時間の校舎内でこんな事って、

「ありえない・・・何これ・・・」

生徒が多々いる人ごみの中、自分の出した声、身じろぎした衣擦れの音だけが響く、異様な空間だった。
おそるおそる周囲を振り返りながら廊下を歩く。
まるでオブジェのようにランダムに立つ人を避けるのは骨が折れる事だと知った。
目の前に伸びた誰かの腕、それをくぐろうとして回っている腕時計が動いていない事に気が付いた。

「時計・・・全部止まってる・・・」

壁時計も、中庭の時計も、そこらにいる人の腕時計、携帯、すべての時計がカウントを止めている。
もちろん自分の携帯の時計も止まっていた。
電波は届いているようで、アプリは起動したし電話も使えるようだったが幸村にかけても呼び出し音が鳴るだけで繋がらない。

時が止まった?そうしたら一体なぜ自分だけが動けるのだろうか?どうやったら元に戻る?

緊張と焦りで喉が渇いたようで、近くの水道から水を飲む。もしかしたら出ないのではないか、と心配したのでホッと息を付く。
他に動ける人はいないのか、他に、そう、まことはどうしただろう。
ぐるぐると混乱する頭を抱えながらなんとか教室に戻り、ドア近くに立っている伊達を見つけた。

水が飲めた事で人心地ついたのだろうか。つい戸惑いと恐怖を忘れて好奇心が湧き、こんなに近づいた事がないという程に近づきマジマジとその顔を覗き込む。
まぁ顔はいいがいかんせん人相が悪い。今も爆笑したまま止まっている舎弟のリーゼント達と一緒に輪になり瞳を細めてニヤリと左の唇を吊り上げて笑っているのだが、これが伊達にとって普通の笑顔だとしたらかなり人生損をしているだろうという人相で、少し彼がかわいそうになった。
鼻先に香るトワレは先ほど自分の肩元の残り香と同じで、しかしこんな状況だったら伊達の旦那本人も何をされたか分らないだろうし、笑ってるし、まぁ大丈夫でしょ、とホッと息を吐こうとして、自分も周囲と同じく動きを止めてしまった。
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