アニキと妹


夕暮れ時の廊下を一人歩いていたまことは、誰かにグッと腕を掴まれ、声を上げる間もなく軽々と担ぎ上げられた。
そのまま埃臭い体育準備室に連れ込まれ、転がされたマットは見た目は汚いけれど、真っ白なシャツに一筋の汚れもつけない事に気が付いたのは最近だ。
頭からマットに転がりそうになったまことを体育準備室にいた男の人が慌てたように受け止めて、その身体の柔らかさに焦ったようにパッと手を離す。
それでもその手がまるで壊れ物を扱うように丁寧なのも、やっぱりここ最近気が付いた事だ。

「あ・・・あの・・・」

まことは一応、いつもの通りに汚れたマットの上に縮こまり、自分を囲んで見下ろす男たちを怯えた瞳で見上げ、声をかけた。
ゴキュリ、と誰かの喉が唾を飲みこんで下品な音を立て、ついピクリとまことの肩が揺れる。
途端に円陣を組んでいた男達が喉を鳴らした男を取り囲み、小声でぽかぽかと罵声を浴びせかけた。

「馬鹿野郎!まこたんが怯えてるじゃねえかっ!可哀想だろっ!」
「わ、悪いって!つい!あの瞳についつい!」
「我慢しろよ!ッチ、お前もうあっち行ってろって!アニキの殴られ要員になってこい!」

小声でも、狭い体育準備室の中。
まことの耳に知っている人物の名前が聞こえ、やっぱり今日もいつものアレなのか、とホッと安心のため息をつく。

「あの、みなさん、長曾我部さんの」

「ア、アアアアニキが何だコラァ!アニキなんて全然、ぜんぜん、ぜんっっぜん!関係ねえんだコラァ!この・・・・・・あ、あ、あ、あ、あんぽんたんがっ!」
「そ、そうだそうだぁ!あんぽんたんっ!」
「オ・・・オラオラオラ!かわいい顔しやがって!っく、かわいい、かわいいじゃねぇか!くっそお!」
「そうだそうだぁ!かわいいじゃねえかっ!」
「む、胸だってこんなにでかくてよぉ!こんな・・・・・・こんな・・・はぁ・・・まこたん・・・おっぱい・・・ぷるぷる・・・」
「そうだそうだぁ!ぷるぷるおっぱい・・・って、あ、馬鹿!あいつ放り出せ!あの目はマジになってるぜ!」

うつろな笑みを浮かべて鼻息荒くまことに近寄ろうとした男を体育準備室から放り出すと、再び男たちはまことを取り囲み、ふんふんと必死になってその小さな身体に罵倒を浴びせかける。
が、その内容は罵倒と言っていいものか何なのか。
大きな瞳を瞬かせ「あんぽんたん・・・」と呟くまことを見下ろして、男たちは背中の後ろで握った拳をブンブンと振りたくり、まことに見えないように身悶えしながら、今にも蕩けてしまいそうな顔を必死で強張らせ、へちゃりと体育マットに座り込んだまことに一生懸命夜通し考えた罵倒を浴びせかける。

「あの、でも、皆さん、こんな事してるとまた長曾我部さんに・・・」
「っく、かわいいだけじゃなく、まこたんはこんな・・・優しいじゃねえかコラァ!」
「そうだそうだぁ!優しいじゃねえかっ!」

必死で自分を詰ろうとしている男たちの顔に、赤黒かったり青黄がかっていたりするあざがあるのに気が付いたまことは、やっぱりこの人達、いつも自分をこうして閉じ込める人達だ、と確信をして、慌ててその行為を止めようとする。

今までもう何度あっただろうか。
この人達は、こうして自分を薄暗い所に閉じ込めて一生懸命罵倒をする。
最初は何をされるのかと怯えていたが、いつもすぐに───

「まことっ!無事かぁ?!・・・・・・まぁたテメェ等か・・・。まったく懲りてねぇみたいだなぁ・・・」

───いつもすぐに、どこに連れ込まれていようと、バァン、と扉をこじ開け長曾我部さんが助けに来てくれて、この人達はボコボコのメコメコにされてしまうのだ。

「あ、あ、待って!長曾我部さん、待ってください!この人達、」
「・・・いいんだ、まこたん・・・アニキと達者でな・・・よし、行くぞ!」
「そうだそうだ・・・まこたん・・・これは俺達の自己満足なんだ・・・早くアニキと・・・っくぅ!やってやるぁ!」

夕暮れの灯りを纏って薄暗い体育準備室に飛び込んできた元親は、逆立った銀色の髪を真っ赤に燃え上がらせて、まさに鬼のようだった。
そんな元親に、男達は怖気づきそうになる心をまことの顔を見て必死に奮い立たせ、雄叫びを上げながら飛び掛っていく。
しかし元親はまず縮こまっていたまことを左手に抱きかかえ、飛び掛ってくる男達をばったばったと右腕一本だけでいなしていく。
あっという間に屍累々となった体育準備室の真ん中、元親はまことをぎゅう、と強く抱きかかえたまま、少しだけ上がった息を落ち着かせるように幾度か深呼吸をする。

「・・・こ・・・・・・の、バカまこと!暗くなったら一人でウロチョロすんなって、何回言ったら分るんだテメェは!」
「まだ、夕方だったから、明るくて、・・・っ、長曾我部さ、ごめんなさ、」
「ソレも何回言ったら直んだよ!俺の事はアニキって呼びやがれ!」

ぎゅう、と元親の腹筋に胸が押しつぶされる程きつく抱きすくめられ、まことはひゅうと息を呑む。
怖いくらいの怒鳴り声とは逆に、肩を、腰を抱く腕は小さく震えているようだった。

「・・・おかしな事、されてねぇだろ・・・?大丈夫だよな?な?」

そして、今までの怒り狂った鬼のような態度を一変させ、元親は弱々しげな声でまことの無事を問いただす。
大きな手の平が労わるようにまことの身体を撫でさすり、長い睫毛に縁取られた隻眼が縋るように全身を確認する。

「あ、あにき、大丈夫、大丈夫です、僕、何もされてないです!大丈夫です!」
「そう、か・・・本当だな?ったく・・・・・・心配、させんな・・・」

お前が来てから、オレの寿命は縮みっぱなしだぜ・・・と、やっと顔に笑みを浮かべ、くしゃくしゃとまことの髪をかき混ぜる元親に、まことは申し訳なさそうに幾度もお辞儀を返す。

「ごめんなさい、いっぱい迷惑かけて、」
「ばぁか。謝んじゃねぇ。お前はオレの・・・」

くしゃくしゃ、と髪を混ぜていた手が、耳たぶに触れ、首筋を撫でる。
は、とまことが顔を上げると、意外な程近くに元親の整った顔があった。
じりじり、とその顔が近づいてきているような気がして、夕日が落ちているせいだけでなくまことの視界が暗くなる。

「っ、あ、にき・・・?」

慌てたようにまことが元親を呼ぶと、まことの唇にフッと元親の小さな吐息がかかった。

「ははは・・・はっはっは!なぁにビビッてんだよ!・・・オレはお前のアニキ分、お前はオレのかわいい妹分だ。お前の世話を焼くのがオレの仕事ってワケよ!気にすんな!大体あの片倉のセンコーにばっかいい顔させておけるかってよぉ!」
「ひゃ!く、くるし・・・!あにき、くるしい!くるしいです!」

再びぎゅう、とまことの身体をかき抱き、ぐりぐりと頭に頬ずりする元親に、床に転がり息を詰めていた男達から深い、深いため息が漏れ溢れる。

「・・・また、今日もダメだったか・・・」
「・・・この作戦ってどうなんだ?おれ、もう体もたねぇよ・・・」
「ああ・・・オレもまこたんをギュッって抱っこしてぇ・・・」

『アニキとまこたんをくっつける会』の野郎共達は、今日も失敗した計画にやきもきと満身創痍の身を捩る。
しかし幾度こうして失敗しても、まことを抱きしめ嬉しそうに笑う、敬愛するアニキの顔を見るとどうにかしてやりたい、どうにかしてあの妹分を見つめる以上に熱っぽい瞳をしているアニキに恋心を自覚してもらいたい、と思ってしまうのだ。

「・・・また、がんばろう、な・・・」
「そうだ・・・そう・・・だ・・・」

まことを連れ立って体育準備室を出て行ったアニキの広い背中に再度の意気込みをかける野郎共達だったが、「・・・で、何を頑張るって言うの?なぁんか最近あの鬼の旦那が妙にまこちゃんにくっついてるなぁって思ってたんだけどさ。俺様にその『作戦』ってヤツ、教えてくんない?」と自分達以外誰もいないと思っていた体育準備室に響いた、空々しいまでに明るい声に一同ゾッと背筋を凍らせる。
恐る恐る振り返ると、跳び箱の影にしゃがみこんだオレンジ頭の『アニキとまこたんの恋路の邪魔者その1』がにっこりとした笑みを浮かべ、足元に落ちていた木刀を手にして立ち上がろうとしているところだった。


夕日が落ちた校舎内に、野郎共達の野太い叫び声が響き渡る。
野郎共達の計画も、まことと元親の恋の行方も、まだまだ前途多難なのだった。
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