誓約:真田の犬1


日も落ちて大分たった頃、定時報告をする為に真田の大将の部屋の前に立つとすかさず声をかけられた。
月のない夜、気配はちっとも出していないのに、だ。

「佐助か。あの者はどうだ?」
「・・・・・・はっ、その件についてご報告にあがりました」

行燈に照らされ障子に浮かんだ影は文机に向いたままの格好だった。
『まったく、立派になっちまって』とその影に苦い笑みを浮かべ、しかし形ばかりは、と跪いて頭を垂れ戸を引いた。



大将──信玄公が隠居してからというもの、大将となった真田の旦那は妙に勘が鋭くなった、というよりも常に気を張りつめさせているようだった。
自信を喪失していた時からはいくらかマシになったものの、夜も遅くまで書類整理に鍛錬鍛錬飯飯鍛錬、という調子では東西戦の前に参ってしまうのは目に見えている。
かと言って、こんな状態の大将に「気を抜いてみろ」なんて言えるわけもなく、周囲も俺も皆、何もできない自分に臍を噛んでいた。

そんな、表面だけの均整が取れているような毎日を打破しようと今回の計画は立てられた。

朝から机に向かおうとする大将に頼んだ『領地の見回り』で、妙にはしっこい賊の集団を見つけ、処理している内に日が暮れてしまった。
賊を追いかけている内に山の随分深い方に入ってしまったようで『念の為の野営』という事で『運良く』近くに湧いていた温泉に案内し、汚れを落としてもらっている間に獣避けの焚き火で香ばしい匂いを漂わせる川魚を中心に、少々言い訳のしようがない程大量の酒や握り飯や団子なんかを用意した。
焚き火を用意し始めたらあたりから何か物言いたげだった真田の大将は、しばし思い巡せた顔をしていたが「すまぬな、佐助」と一度呟いた後は温泉でくつろぎ、こちらが驚く程の量の食事を腹に収めては、満足そうに笑んでいた。
そんな、久しぶりの穏やかな時間が流れている中に『ソレ』は現れたのだ。

橙の暖かな色をした焚き火の中に浮かび上がったソレは、少年の形をしていた。
不思議な色の瞳がまん丸く見開かれ、そこを縁取る長く濃い睫毛が焚き火の焔に照らされて煌めいていた。
豪華な、吸い込まれそうになるその瞳の奥には瞳孔とはまた違う、丸い、丸くて、まん丸な黒い環が浮かんでいる。
それを見た瞬間、背筋に走った怖気と興奮はここ最近の戦ででも感じた事のないものだった。

「・・・・・・・・・術・・・?佐助、これもお前の余興か?」

小さく息を飲み、驚いているような口調で問いかける大将だが、焚き火の中の少年から目を離さず、手は己の横にある得物を握りしめている。
まるで鏡のように、大将も少年も向かい合ってその大きな瞳を見開いているのが滑稽に見えたが「違う!旦那!警戒して!」とクナイを握れば穏やかだった空気が緊張し、途端焚火の中の少年の目付きも鋭くなる。
穏やかに済む話だったかもしれない、もしかしたら何かとんでもないのに手を出してしまったかもしれない、と先程までの間の抜けたどこかかわいらしい顔を一転させた少年の表情を見て内心舌打ちをしたが、こんな空気になってしまったのではもう遅い。
本物の獣のように歯を剥き、グルグルと唸ってこちらを威嚇をする少年に、先手必勝とばかりに毒の付いたクナイを投げつければ小さく「キャィン」と高い悲鳴が上がる。
それもまるで獣の鳴き声のようで、大将と二人思わず顔を見合わせる。

「犬の鳴き声・・・。あ奴、狐だろうか?」
「あれまぁかわいい声だこと・・・──っ!大将!来るっ!」

キリリと鋭く絞られた殺気が炎の中から突き刺さってくるようだった。
暗い森の中でうねる暖かな色をした焔、その爆ぜる音が一瞬止まる。
知らず汗をかいていた手に得物を握り直せば、ぶわりと炎が裂けた。
そよぐ髪に、汗の浮いた肩に、炎の欠片を巻きつけて、そこから勢いよく飛び出てきたのはもちろん炎の中にいた少年だったが、予想していなかったその手に握られている相手の得物の大きさに目を見張る。

「ぐっ、がっ!っ、ぬっ、ぬおおおおおおおらああああああ!」
「大将っ!・・・ッチ、マジかよっ!?なんだその馬鹿力っ!」

風を切って振り下ろされた不恰好で巨大な武器をガキン、と二槍で受け止めた大将は、その重さと勢いを殺しきれなかったようで全身を震わせ滑ってしまう足元に力を込めている。
少年はまさか攻撃を受け止められるとは思っていなかったようで、ぎょっと目を見開いていたが、無防備な横腹を擦ったクナイに慌ててその場から飛び退き身を低くして唸り声を上げる。

「佐助!助かった!」
「はいはーい、感謝と昇給は後でよろしくねっと!」

振り返った大将は、額に汗を垂らし、頬を紅潮させ、瞳をキラキラと輝かせていた。
槍を振う動きも先程の賊を追いやった時以上に軽やかで、この交戦をひどく楽しんでいるのが分かった。
こりゃ抹殺よりも捕縛かな、と分身の術を展開して間合いを詰めれば、少年もトン、トン、と軽やかに分身達の合間を縫い、巨大な得物を振り回し距離を取る。
近づいた隙に幾度か声をかけても、返ってくるのは「ぐるる」というまるっきり獣の呻き声だ。

「ったく!アンタなんなのさ!ホントにお狐様ってわけ?!・・・って、アチッ!?ちょっと!大将つっこみすぎだってば!」

二槍だけではなく己自身にも炎を纏い、雄叫びを上げながら少年に全身で飛びかかって行く大将を必死で庇いつつ麻痺毒が塗られたクナイを投げつけ少年の体力を削いでいく。

そうしてどれだけ動いただろう。
やっとクナイの毒が回ったのか、足元をふら付かせ、腰元の巾着から薬か何かを出そうとした少年の隙を突き、やっと当身を喰らわせる事ができた。

「はい、つかまえたっと」

松風を打てば人と同じ急所を持っているらしく、あれほど暴れていた身体がクタリと地べたに崩れ落ちる。
ふぅ、とやっと肩の力を抜いて頭上を見上げれば、天辺にあった月が随分と傾いてしまっていた。

「おおお!佐助!よくやった!其の方、是非とも、」
「はいはい、城に招きたいって言うんでしょ?んでもって、あわよくばまた手合せを願いたいとか・・・」
「うむ!まさしくっ!さすがだな佐助!そしてゆくゆくは武田、真田の下であの腕を奮ってもらうよう説得するのだ!」
「へーへーへー・・・って、はぁ?!こいつを召抱える?!なんで?!こんな焚火の中から飛び出てきた得体の知れないわんころを?!なんか言葉も通じないっぽいけどどうやって説得するのさ?!」
「・・・?それをこれからお前が調べるのだろう?」

何を当たり前の事を、という邪気のないきょとりとした瞳で見返されて今度は佐助がガクリと地べたに膝を付く。
そうだった、アンタは忍使いの荒い、そういうお人だったよね、と土の上にぐりぐりとのの字を書いてしまうが、このやりとりが懐かしく、どこかくすぐったく感じ、思わず目元が緩んでしまう。

そうして気を失った少年とその得物を連れ城に帰ったのだが、驚くべきことに得物の方が少年よりも重かった。
しょうがなく得物は馬に引きずってもらう事にして後ろからそれを見つめていたが、ゴリゴリと土を抉るそれが何の材質かもよくわからなかった。
石か、骨か──しかしこんな大きな骨を持つ生き物なんぞいるのだろうか。
焔の中にいた少年の後ろの空は、こちらと同じように陽が落ち宵闇が迫っていた。

あの闇の中にこの骨を持つ、巨体の生き物がいたとしたら。

まさかそんなバカげた話、と自分の想像を否定しながら、ふいに少年の瞳に浮いていた奇妙な輪を思い出し、鳥肌の立った二の腕をそっと撫でさする。
不思議な瞳を持ち、この巨大な得物を片手でいとも容易く振り回していた少年の方に視線をやると、自分と同じように少年と引きずられる得物を交互に見ては不思議そうに首を捻ったり、ウンウン、と何かに納得している真田の大将の姿が見えた。
その瞳がキラキラと隠しきれない程に好奇心で輝いているのを見て、佐助は「さぁて、どうするかねぇ」と苦笑いを浮かべた頬を掻いた。
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