真田の犬


暖かな篝火にあたりながらくるりと丸まっていた少年は、感じた寒さにふるりと身を震わせる。
『持たざる者』である彼は、唯一身に着けている薄汚れた腰巻から覗く引き締まった尻たぶを両手で温め、そっと閉じていた瞳を開けて周囲を伺った。

身分も、名も、親も、知性も言葉も持たざる少年は、それでも微かに縁を繋いだ人達の助けによって、炎の消えかけたこの世界に再び火を灯そうと奮闘していた。
力だけは人一倍いや人数十倍は持っており、幾度も豆が潰れて籠手のように固くなった手の平に大きな古竜の牙の武器を握りしめ、少年はただ一人、垢泥にまみれ、蟲の舞う毒沼を、亡者が蔓延る古城を走り廻る。

各地に点々と灯る篝火は、そんな少年の数少ない憩いの場であった。
ここで休息を取っていると偶に知った顔と再会する事もあり、並んで篝火にあたりながら言葉を理解しない少年に向かって彼らがポツリポツリと何かを話しかける時間はとても穏やかで、少年は暖かな炎と低い声に幸せを感じながらうとうととまどろむこの時間が好きだった。
それに、『悪い侵入者』があった時、この篝火はそれを知らせるかのようにその焔を潜めてくれる。
薪の爆ぜる音が聞こえなくなり、炎が消え冷たい空気に身を起こすと、木々の間からこちら目掛けて矢を絞る音、壁の向こうから魔法を練成する音、遠く、鞘から刀を抜きこちら目掛けて走ってくる足音が聞こえてくるのだ。


また『悪い侵入者』が来て焔が消えたのだろうか、と垢と泥が詰まった爪でまどろむ目元をこしこしと擦り、濃い睫毛についた目脂を近くの草になすりつけ、くわぁ、と白い歯を剥きだしにしてあくびをすると、少年はきょときょとと周囲を見回した。
しかしいつもの肌を刺すような嫌な気配など全く感じる事が出来ず、きょとりと不思議そうに首を傾げる。
目の前の焔も轟々と猛ったままだ。
なのになぜこんなに肌寒いのか、と立ち上がろうとして、少年はぎょっと飛び上がり身を屈めて警戒の姿勢を取った。

焔の中に人がいる。

赤い紐を頭に巻いた青年が、ぎょっと目を剥いてこちらを見つめ返している。
これはなんなのだろうか、初めて見る魔法だ。いや、呪術なのか。篝火を使った奇跡なのかもしれない。
少年が歯を向いて低い唸り声を上げて威嚇すると、焔の中の青年も大きく見開いていた瞳を同じようにキッと吊り上げ、何か口をパクパクとさせる。
そこから聞いたことのない音が出るのに一瞬気を取られると、ヒュヒュヒュ、と風を切って焔の中から何かが飛んできた。
鋭い刃物だ、と思うと同時に横に置いてあった己の獲物で少年は身を庇い、ゴロゴロと転がると焔から身を遠ざける。
庇いきれずに刃物が掠った肩からは血が吹き出し、毒も塗ってあったのか途端に重く、だるくなる身体に慌てて腰袋に手を突っ込み、毒消しの効果がある苔玉を漁る。
何度教えられても少年はどの苔玉がどんな状態異常に効くのか覚えられない。
なので価値が数十倍は違う苔玉を、適当に見繕うと何個も躊躇いもなくガツガツと口に放り込む。

そうしてプッ、と噛み切れない筋を地に吐き出すと、毒が抜けて軽くなった身体に少年は素足のつま先をグッと曲げ、幾度かその場でジャンプする。
普通の人間なら両手でも持ち上げる事すら出来ないだろう古竜の大牙を片手で握り、ゴゥ、と風を切って振りかぶるとそのまま地を蹴り、高く飛び上がり、轟々とうねる焔目掛けて振り下ろす。
その攻撃は、少年の身の丈三倍もある蛇竜の獣を一潰しできる力がある。
あの怪しげな赤い紐の男を、自分に毒のある刃物を投げつけた者を、焔ごと叩き潰す。

それでおしまいだ。

きっと篝火は消えてしまうだろうけれど、また火を焚いて眠ればいい。
ただそれだけの事だ、と少年は思っていた。
まさか、篝火にそのまま呑みこまれてしまうとは。
そして王の器の力なのか、はたまたグウィネヴィア王女のいたずらか、そのままこのロードランとはまったく別の地へと転送されてしまうとは。
想像力も持たざる少年だけではなく、この場にいる誰にもそんな未来は予知できなかっただろう。

今後「真田の犬」と呼ばれ、不死の身を使って武田に尽力を尽くす事になる少年と、その少年の唯一無二の主となる青年は、今はまだうねる焔を挟み、世界のあちら側とこちら側できつく、熱く、睨み合うだけだった。
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