いつだって思い出は私に残酷で優しい。

あれだけ苦くて飲めなかった珈琲はいつの間にか飲めるようになったし(多少砂糖やミルクも入れるけれど)、あれだけ食べることができなかったワサビは、無いと物足りなくなった。退化というのか成長というのか。どちらにしても私は、確実に大人になっていった。
バスケのことしか頭になくて、いつでも真っ直ぐだった彼もまた大人になっていた。高校を卒業し、自らの技術を磨くために渡米をし、そしてプロになった。テレビや新聞、雑誌の中で彼を見つける度、少女のように胸を高鳴らせた。声を聞けば不安の塊が解れていき、会えば細胞すべてが喜びに震えた。
数年経つと、私は社会人になり、彼の声だけでは満足できなくなっていった。的外れの励ましに腹が立ち、無言にされると余計に苛立った。言い合いが増える度に、自己嫌悪とお門違いの怒りの間に揺れ、疲れていった。その頃の私は、社会人というストレスに打ちのめされ、人の温もりに飢えていた。会いたい時に直ぐにでも会いたかった。甘ったるい言葉が欲しかった。人と同じ温度になりたかった。
彼がアメリカにいることさえ苛立ってきた私は、もう終わろうと決意した。彼の輝く舞台すら応援できないほど、余裕がないことに自分で驚いた。別れたいという意思を帰国時に伝えた。彼は納得しなかったが、私が彼を応援できない現状が嫌だと話した。彼は何も答えずに私の元を去っていった。ある日、録画した彼の試合を見ている時に強烈な吐き気に襲われた。私は妊娠していた。
彼はますます輝いていった。テレビでは特集が組まれることが増えていき、雑誌ではページ数が多くなった。私はというと、別れを告げてからは幾分穏やかな気持ちになった。会社には結婚と妊娠を報告し(式は身内だけで行うと嘘をついた)、もうすぐ産休に入る。どうしても彼との交際を知っている親には(私たちは高校時代から付き合っていた)、彼と別れることを決めた後に妊娠がわかったこと、彼のことは今でも大切で心から思っている。だから子どもはどうしても産みたいという意思を伝えた。小さな頃から頑固だった私に何を言ってもしょうがないと思った親は、渋々私の決意を飲み込んだ。その間彼からの連絡は一切無かった。
彼との子どもはもう三歳になった。鋭い目や屈託なく笑う顔は、彼に似過ぎている。習慣になっている録画した彼のチームの試合は、我が子と一緒に見る時間が増えていった。
ある日曜日に一緒に出かけることにした。色々なおもちゃに目移りする我が子が可愛くて抱っこをすると、声をかけられた。眩しいほどのオーラと美貌を持った、懐かしい顔。黄瀬くんもまた年月を重ね、そしてぐんと男らしくなっていた(同年代と比べると若く見えるのはさすがだ)。黄瀬くんは私と我が子を見比べて、驚きの表情を隠さなかった(黄瀬くんは彼から別れたことを聞いたのだろう)。黄瀬くんは彼の名前を出しかけたが、我が子をもう一度見て、口を噤んだ。私が察してほしいという顔を作っていたからかも知れないし、察しの良い黄瀬くんが直ぐさま感じ取ってくれていたのかもしれない。そのどちらかに感謝をし、私は去ろうとした。黄瀬くんがこの後時間があるかと誘ってきて、後日ならと返した。黄瀬くんとは三日後に会うことにした。
黄瀬くんとはカフェで話した(さすがは黄瀬くん。隠れ家的なお洒落なカフェを選択してきた)。黄瀬くんは無駄な質問はしなかった。彼とは別れたのか、子どもは誰の子なのか。そして、彼は子どもの存在を知っているのか。私はその全てに答えた。彼とは別れたこと、子どもは彼との間のこと。そして彼はその子を知らないこと。黄瀬くんは表情を作らない代わりに逸らしたくなる程、私の目を見て聞いていた。
黄瀬くんから連絡が入った。今男の子に人気のおもちゃが手に入ったから直接会って渡したいとのことだった。それなら我が家に来てもらおうと、住所を送った。仕事終わりに来る黄瀬くんに会うのは三ヶ月ぶりだ(テレビや雑誌で目にすることが多いから久しぶりといった感じがしない)。夕方あたりになるようなので、夕食の準備もしておこう。
クリームシチューが煮込み終わる頃、部屋のチャイムが鳴り響く。キセリョが来たよ。と言うと我が子は一目散に走っていった。ドアの開く音がして、小さな足音がせわしなく戻ってきた。ママ、キセリョじゃないよ。
よう。低く甘い疼きを含む声が私の目の前の男性から発せられる。黄瀬くんはこんなに黒くて野蛮な見た目をしていない。目の前の男は、頭はボサボサだし、服装もイケてはいない。けれど、その姿は、紛れもなく愛しい彼だった。
なんで、その一言を発することが精一杯出来ることだった。答えなんてわかっている。この事実を知っている、お節介な黄瀬くんの仕業なのだ。お前もわかってんだろ。と相変わらずの上から目線はカチンと来るけれど、それよりも事実を知ってなお、私の目の前にいることが不思議だった。

「このガキはいくつになんだ」
「オレ3さいだ!」
「そうか」

ぐしゃぐしゃと我が子の頭を撫で、次に私の頭もぐしゃぐしゃにした。懐かしい、骨張って大きくて温かい手だった。相変わらずテメーは相談もしねぇで自分で何でも決めやがる、そう言った大輝は目を赤くしていた。

「オレが何でここに来たかわかるか」
「…わからない」
「お前とオレのガキと家族になるためだ」

真っ白な頭の中で彼の言葉を何度も何度も再生していく。目頭がぎゅうと熱くなって、涙が落ちる。ママどうしたの。健気に聞く我が子を抱きしめた。パパが泣かしたの、と。
その後、差し出された指輪の裏にはサファイアが埋められていたことに気付いた。ヨーロッパの言い伝えで、花嫁は青いものを身につけると良いことを知っていたのだろうか。その心遣いにも嬉しかったが、指輪の裏には直ぐに彼の色があることも嬉しかった。青は私と子どもの好きな色で、幸せの色なのだ。最初は戸惑っていた息子も今では大輝にばかりくっついている(バスケばかりしている)。私たちは大輝のシーズン明けと同時にアメリカに一緒に行くことを決めている。これからは、この子と大輝を支えていくのだ。

いつだって思い出は私に残酷で優しい。私はこれまでの日々をまたいつか思い返すだろう。その時に私は家族と笑っていたいと、青色に思う。