今日は待ちに待ったキセリョのセカンド写真集の発売日だ。いつもより三十分早く起きて、朝ごはんを食べた。念入りに髪の毛にアイロンをかけて、化粧を丁寧にした。それだけで今日が素晴らしい日に思えて、嫌いな授業さえも頑張ろうと思える。キセリョは今の私にとって全ての源なのかもしれない。iPodには雑誌に書いてたキセリョの好きな歌が入っていて、移動中は勿論聞く。放課後に向けて準備は万端だ。

友人達と他愛もない話をしながら最後の授業がある特別教室へと向かう。今回は座学だと先週言っていたため、手帳を持って行くことにした。この手帳の今日の欄に「キセリョ写真集発売日!」とデカデカとデコレーションをしようと決めていたのだ。予約レシートもばっちり挟んで、約二時間後の、写真集を手にした自分を想像して気持ちを高めようなんて考えていた。
ドンッという衝撃で、荷物を下に落としてしまった。私は前を見ていなかったし、多分相手も見ていなかったから、同時に「ごめん」と謝った。私より先に荷物をまとめた彼は、次に私の分もまとめてくれた。「はい」と渡された教科書と手帳と、予約のレシート。

「今日発売日だったんスね」背の高い男の子が綺麗な笑顔を作って去って行った。黄色の髪の毛の、長身で端正な顔立ちの男の子なんてこの学校で一人しか知らない。バスケがすごく上手で、キセキの世代なんて言われてて、読者モデルもしている、黄瀬涼太くん。



「苗字さん」
教室の空気が一瞬だけピタッと止まった。それもそのはず。だって今この教室にはあの黄瀬涼太くんがいるのだ。彼とは同じ学年だけどクラスは三つ離れている。廊下でしか、しかもたまにしか見ることのない黄瀬涼太くんがこのクラスに来て、私の名前を呼んでいる。「あんたのこと呼んでるよ」という友人の言葉でハッとする。
黄瀬涼太くんの元へ行く時の、容赦ない皆の視線に冷や汗が出そうだ。黄瀬涼太くんは海常高校の有名人で、話せる人はバスケ部の人たちか、先生か、クラスの男の子か、一部の目立つ女の子たちだけ。部活も入っていないし、生徒会活動もしていない、つまり何も取り柄のない自分が、呼び出されているのだから皆の興味を引いているのもわかる。わかるけれど、すごく、気まずい。

「な、なんでしょうか」
「苗字さんって俺のファンなのかなって」
「ファ、ファン」
「そう。あの写真集の感想聞きたくて」
「えっと、はい、キセリョの魅力がたっぷり詰まってて格好良かったです。毎日眺めてます」
「…へぇ」
「な、なにか」
「目の前にいるの、あんたの好きなキセリョっスよ」
「そ、そうなりますかね」

何だかピンと来なくて曖昧な返事をしてしまった。確かに目の前にはキセリョがいるのだけれど、私の好きなキセリョではなくて、男子高校生の、等身大の黄瀬涼太くんがいるのだ。

「えっと、キセリョじゃなくて、黄瀬涼太くんだと思います」
「…同じじゃないっスか」
「えっと、キセリョは芸能人で、今、目の前にいるのは、海常一年の黄瀬涼太くんで、」

キセリョなんだけどキセリョじゃなくて。考えの纏まらない私を見て黄瀬涼太くんは大きな声で笑った。下を向いていた私はまともに黄瀬涼太くんの顔を見て、やっぱりキセリョとは違うなあって思う。キセリョは今の彼みたいに、くしゃくしゃな笑顔をしない。それでも私はそのくしゃくしゃな笑顔を良いなって思うし、黄瀬涼太くんの上辺だけの情報ではなくて、少しだけ本当の彼を知ることができた気がした。



あれから黄瀬涼太くんは、私のクラスに来ることはなかったが、すれ違えば軽く挨拶をしてくれるようになった。私の日常に突如生まれた黄瀬涼太くんという存在は、少しずつだけど大きくなっていく。私の呼び方が苗字から名前に変わってたり、ある日渡されたLINEのIDだったり、それからするようになったLINEだったり。
黄瀬くんのことを知れば知るほど、私の占めるキセリョは少なくなっていった。そしてその隙間は黄瀬くんがむくむくと大きくなっていく。いつ黄瀬くんに会えるか分からないから身だしなみには気を抜けないし、携帯だってちらちらと意識してしまう。

「もしかして恋なんじゃない」
「あり得ないよ」
「認めたくないのもわかるけどさ」

黄瀬くんに恋してしまった。それはとても残酷なことだと思う。私と付き合う黄瀬くんの姿なんて想像できないし、何だか黄瀬くんには、もっと可愛らしくてふわふわした女の子らしい女の子と付き合ってて欲しいとも思う。

「黄瀬くんには女の子を詰め込んだ子と付き合ってほしいなあ」
「そんな女いないから」
「うーん、芸能人だったらいるかもよ」

誰がいるかなあ。目をつむって考えても思い浮かばない。モデルさんや女優さんをあまり知らないからかな。黄瀬くんの隣に立つ彼女達にモヤモヤする気持ちを押し込めて考えていた。

「あ、あの人とかは」目の前に友人が座っていたはずなのに、目を開けると黄瀬くんが座っていた。「あ、あれ」なんて間抜けな声しか出ない。教室は珍しく人が少なかった。

「で、誰なんスか」
「えっと話聞いてたの」
「聞いてたよ。名前ちゃんは誰がオレとお似合いだと思うの」
「えっと」

口を噤む私を見て黄瀬くんは少しだけ息を吐いた。「教えてあげよっか」と黄瀬くんがあまりにも真剣な顔をするから目を逸らせずに頷いた。

「黄瀬涼太を黄瀬涼太で見てくれる子っスよ」
「う、うん」
「それ、一人しかいないから」

「名前ちゃんは絶対知ってるっスよ」あの最初に見たくしゃくしゃな笑顔で言うから、考えたくてもその笑顔に思考が奪われてしまう。「ヒントはオレの目の前の人」答えがまさか私だったなんて気付くまで、あと一分。



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