「ねえ何か面白いことない」
「すごい無茶振りだな。おめさんこそ何かないのか」
「私はね、最近発見したことなら」

新開にね、おめさんって言われるの嫌いなの。棘ある言葉に大きな瞳が少しだけ揺れた気がした。
私と新開は同じ大学で同じ学年で同じバイト先だ。部活がある新開は私ほどシフトに入っていないけれど、それでも週に一度は会える、そんな距離。そんな距離なのにどうして新開に対し暴言を吐けたかというと、一度このバイト先に新開の元カノが乗り込んできたことがきっかけだ。般若のような顔で怒る元カノに対して、薄笑いすら浮かべる新開隼人に、こいつはみんなが思っているほど、出来た人間ではないと感じたからだ。その後は店長が新開を早くあげて店から出した。誰にでも優しくて紳士なモテる男だと思っていたけれど、何だこの人。本気で女とぶつかってきてないんじゃないかとひどく安堵したのを覚えている。新開もただの人間だったのだ。

「じゃあおめさんのこと何て呼べばいいんだ」
「名前」
「いちいちか」
「うん、いちいち。」
「今まで苗字としか呼んでいないのに」
「うん、呼んでいないのに。」
「変わってるな」

おめさんと言いかけて、名前と初めて呼ばれた。うん、やっぱり。こんなイケメンに名前を呼ばれるなんて少しこそばゆくて嬉しいもんだ。長針が休憩終了時刻を指す手前だ。新開はスマートに制服の乱れを整えて「先に行くな、名前」。だらけてそうで、だらけていない。だらけていなさそうで、だらけている。ああこりゃモテる。新開隼人恐るべし。



それから新開は然も最初から私の名前を呼んでいたかのように、毎度毎度私の名を呼ぶ。その度に少しだけ胸を躍らせる私も私だ。

ある日新開と大学内で会った。それはとても珍しいことで、大学三年の今までで一度か二度しか会っていない。

「名前。これからバイトか」
「ううん、今日は休み」
「オレも。んーじゃあ、飯でも食いに行かないか」
「え」

とても驚いた。まさか新開とバイト以外で共に時間を過ごすことになるとは。ていうか何で私。新開ぐらいのモテ男ともなると女の子(自分でいうのも恥ずかしいが)とご飯に行くぐらい何の感情も持ち得ないのか。ごちゃごちゃと考えている内に、新開とご飯に行く時間となり、待ち合わせ場所に立っている自分がいた。

「悪い、待ったか」
「大丈夫、今来たところ」

嘘つけ、自分。こんな寒い中二十分待ったじゃないか。新開が遅れた時間は待ち合わせ時刻から五分だから、早く来すぎた自分が悪いのだ。

「名前は嘘が下手なんだな」鼻を抓まれ、息ができない。赤っ鼻、そう言われて頬まで赤くなる。何も言えない私の手首を掴んで、新開は行こうかと優しく微笑む。歩幅に気を遣ってくれているのが嬉しくて、緩む口角を抑えられない。もし、私が手袋をつけていなかったら、手を握ってもらえたのだろうかなんて甘い妄想も口角を緩ませる一つなんだろう。

着いた先は何の飾りっ気もない居酒屋だった。お洒落なイタリアンとかフレンチとかではないことに少しだけ安心する。テーブルマナーができているかわからないままに、新開とそれらを食べたくはなかった。

「とりあえず生で」
「私も、生一つ」

グビグビと太い首に通るビールに思わず見惚れる。新開は食べっぷりは勿論だが飲みっぷりも天晴れだった。どんどん飲む新開に釣られて私もアルコールをハイペースで摂取していく。脳裏でやばいなあとは思いつつ、フワフワとした頭ではストッパーなど存在せず、日頃溜め込んでいたバイトの愚痴などを私は話していた。新開は話半分で、飲んだり食べたりしていた。

「新開はさぁ、お局様に好かれているからいいよねぇ。これだからイケメンはさぁ」
「オレ、あの人とセックスしたからなあ」
「ええっ」
「嘘」
「新開の嘘は嘘に聞こえないよ」

一瞬にして酔いが半分ほど冷めてしまった。新開は女性関係激しそうだからなあ。目の前のハイボールをグビグビと飲む。

「名前は彼氏いるのか」
「いないよ」
「じゃあ好きな人は」
「いないよ」

ハイボールを最後まで流し込んだ。隣の新開がニヤニヤと肘をつき笑っている。

「名前は嘘が下手だな」
「は」
「オレのこと好きだろ」

いつの間にか新開の綺麗な顔が目の前にあって、触れるか触れないかのキスをされる。物足りないなんて思う私は大概の馬鹿だ。今は新開の気持ちを問いたいのに、次にされるキスを期待している。
新開は最初からこうなることがわかっていたのかもしれない。居酒屋が個室なことも、私がアルコールに強くはないことも、計算の内なのかもしれない。本当はお局様とセックスだってしてるかもしれない。

手をつないで私の家に向かう途中に「ねえ何で私なの」という疑問を吐き出した。すると新開はうーんと唸って「オレ、女子におめさんって言うこと、カッコイイとは言われても、嫌いとは言われたことないんだよな」って笑ってた。全く理由になっていないから素っ気ない返事をすると「だから好きなのかも」ってサラリと確信をついてきた。また素っ気ない返事をすると顔を覗き込んできた新開が「下手くそ」と言って、今日何度目かのキスをされた。

新開なりに今、私と向き合ってくれているのかなあなんてベッドの上でぼんやりと考える。新開は私の嘘を見破ることができても、私は新開の嘘を見破ることなんてできない。でも情事に入る前に抱きしめられた時、嘘をつけない心臓がドクドクと煩かったから信じてみてもいいのかもしれない。そんな私は新開にとって簡単な女なのかもしれないけれど。