私以外、私の恋を知らなくていい。

朝起きると、にきびが一つおでこに出来ていた。丁寧にコンシーラーを塗り前髪で隠す。ダマにならないようマスカラで睫毛を伸ばし、先週買ったお気に入りのグロスで私の唇を彩る。おはようと鏡に向かって笑顔の練習を忘れずに。にきび以外、完璧な私である。

友人達に褒められた場合、謙遜することを忘れずに。あくまで適度な努力で作り上げられた私のように振る舞うことが大切。綺麗な肌はよく寝ているから。長い睫毛は母親の遺伝だから。美しい唇はプレゼントでもらったグロスのおかげだから。私の過度な努力は、適度な努力に見られることが大切なのだ。

「名前はチャリ部の人達と本当に何もないの?」
「かわいいのに。名前だったら、新開くんとか東堂くんと付き合ってても文句言われないよー」
「いや、私なんかと付き合ってたら恐い先輩方に確実に呼び出されてたよ」
「ないない。名前は自然に可愛いし、媚びてなくて、文句すら出ないよ」
「ありがと。でも残念ながら誰とも付き合ってないんだ。」

私の評価は上々だ。自然に見せることをモットーとしてきた結果がきちんと出ている。それだけで笑みがこぼれてしまう。「苗字」と呼び出しの声がかかる。教室の扉に目をやると新開がいた。

「なに?」
「英語辞書を貸してくれないか」
「うん。私次の次が英語だからそれまでに返してね」
「オーケー」

箱根学園のモテ男である新開と普通に話せることも、私の日々の努力の証だ。明らかな嫉妬を私へ向けることは出来ない。辞書を持ち廊下へと向かうと、新開は荒北と話していた。どくりどくりと鈍い動悸がし始める。

「なんだおめェ。マネから辞書借りてんのか」
「うっかり忘れちまってな」
「はい。これ。荒北はどうしてここに?」
「あー…別にィ」
「靖友は例の子に会いに来たんだよ」
「ハァ!?適当なこと言ってんじゃねェぞ」
「はいはい。お熱いことで」

じゃあね。手を振って、トイレに駆け足で向かった。心臓が痛い。きりきりと何気ない新開の言葉が私を痛めつける。こんな顔や態度で教室には戻れない。

私は荒北が好きだと気づいたのは一年半前。膨らみ続けるこの想いを抑え続けてきた。荒北に振り向いてもらえるように、容姿を磨いてきた。荒北は作り上げすぎた女の子よりも、自然な女の子の方が好きだと思い、適度に見える努力を重ねてきた。荒北に好意を向けられたい一心で。
ある日荒北に彼女が出来た。名前も知らなかった地味な女の子。私じゃなくて、どうしてあの子なんだろう。私の方が髪が綺麗だし、肌も綺麗だし、睫毛は長いし、唇だって艶やかだし、胸は…わからないけれど、スタイルは良い。なんで。大きく長いため息を吐いた先の鏡に映るのは、扉から出てきた荒北の彼女だった。

「あ、苗字さん、どうしたの?」
「あ、いや、」
「顔が赤いけど熱でもあるの?」
「いや、本当に、大丈夫。」
「本当に?」
「うん。あ、さっき荒北が会いに来てたよ」
「ええっ!靖友くんが?」
「うん。まだ新開にからかわれてるかも」
「…そっか。教えてくれてありがとう」

本当にきつかったら部活休んだ方が良いと思う。そう言い残して彼女は去っていく。
そう。私はわかっているのだ。確かに彼女は私よりも、地味で可愛くなくてスタイルも良くない。でも彼女はただのマネージャーである私にとても優しい。いや、私がマネージャーではなく、名前も顔も知らない子だとしても今のように心配するのだろう。
荒北はそんな彼女だからこそ好きになったのだろう。そんなこと、ずっとずっと、荒北を見てきていたからわかっているのに。

私以外、私の恋を知らなくていい。にきびは、まだ治らないし、荒北はそんなことを知らない。私が恋していることも勿論知らない。いつか誰かが知る日は来るのだろうか。