愛の逃避行みたいで愉快

 親から転校するといわれたのは、高校1年生の9月の半ばだった。
 不況による父の経営する会社の倒産。
 本来は家族はみんなバラバラになってもおかしいなか、父や弁護士さんのおかげで、なんとかひとつ屋根の下生活することが可能になったのはまさに奇跡だったといえる。姉とふたり、荷物をまとめながら、学校はどうなるんだろう、そんな不安ばかりが頭をもたげていた。

 決定した移住の話をしているとき、父は泣いていた。厳格なひとで、泣くことなどいままでただの1度もなかったというのに。その父が泣いて、「おまえたちと一緒に生きたい」といったのに、私たちは父以上に泣きじゃくりながら頷いた。
 そうして親友にさえなにも告げずに引っ越してきた京都は美しい日本の古都で、私立に通うことなどとてもできない私は、府立高等学校に通いながら、洛山高等学校という私立の名門校の近くのマンションに、親子4人で、ひっそりと暮らしている。


「私ね、法学部にいきたかったとよ」

 引っ越してきて1年が過ぎようとしていた。京都の冬は寒い。
 紅葉の季節もすぎさり、季節は確実に冬へと移り行く。京都に引っ越してから、少しずつ外出頻度も増えた私は、最近はよくデートをしている。

「法学部?」

 近所の公園のブランコに座りギィギィとそれを鳴らす。彼氏≠ヘ自販機から茶葉2倍ミルクティーをきちんとふたりぶん買ってきて、一方を私に渡し、向かい側の柵に凭れるようにして座った。

「そう、法学部」
「すこし意外ね。どうしてか聞いてもいい? ……できれば、過去形である由来も」

 彼──実渕玲央は、長い睫毛に縁取られた目を瞬く。こういう玲央の聡いところは嫌いではない。私は赤紫色に変わっていく空を見上げながら口を開いた。

「お父さんが、がんばっとったけんね。いつか手伝うのが夢やったと」
「つまり弁護士になりたかったってこと?」
「そーゆーこつ。お父さんとしては外交官目指してほしかったらしいっちゃけど、生憎私は日本ば好いとったけん、離れたくはなかっちゃんね……」

 そう。白い息を吐きながらこたえる彼はとても美しい。京都にいながら、京都ではなく東京の人間と恋をしてしまったのはなぜだろう。今日彼を呼び出した理由もふくめて、もういちど考えてみた。

「そんで、なんで過去形なんかとゆーと、お父さんの会社がなくなって、目標もなくなったからです、まる!」

 ぷしゅ、といままで手をさんざん暖めてくれた紅茶の缶をあける。ひと息に半分ほど飲もうと試みるが、さすがにあつかった。舌を火傷しかけてしまった自分が情けない。

「もう、おてんばすぎよ」
「ごめんなひゃい」

 べ、と舌を出して謝れば、玲央は1歩私に寄って、ぽんと頭を撫でてくれる。そのまま私の缶をとり、自分のそれと並べて隣のブランコに置く。

「……玲央? なんばしよっと?」

 問いには答えず、玲央は私の目の前に跪いて、はい、と腕を広げた。え、自分でも驚くくらい間抜けな声がでた。

「あら、私が折角抱き締めてあげようとしてるのに、抱き締めてほしくないの?」
「だ、だき!?」

 ぼっと一気に真っ赤になる。恥ずかしい。おそるおそる玲央との距離を縮め、首に抱きつくと、玲央はそのままぎゅーっと私の体を抱き締めて、あろうことか立ち上がった。

「わ、た、たかっ……!」
「そりゃそうよ。私あんたより40センチくらい背がたかいんだから」
「私、重くなか……?」
「問題ないわ。軽い軽い」

 さすが男子、私は玲央の体温をかんじながら、ふ、と目を閉じた。安心するのだ。どうしようもなく。こんな安心感は玲央相手でしか得られない。お父さんでもお母さんでもお姉ちゃんでも無理だろう。

「差し出がましいことをいうようだけれどね」
「……ん?」
「自分が弱いことをはじめから認められるひとなんて、いないと思うわ」

 腕にきゅ、と力がこもる。

「人間は誰しも弱くて無謀なものなの。だからここまで発展したといっても良いと、私は思ってる。みんな強がってても結局誰かがいないといけないから、……あんたももう少し、私に寄っ掛かっていいのよ。全部ひっくるめて受け止めてあげるから!」

 夢を放棄したことは怖くて誰にも言い出せなかった。軽蔑されそうで。
 私はずっと周りに「賢い子」というレッテルを貼られてきた。親にも、姉にも、友人や先生にだって。賢いからだいじょうぶだね、って。
 それをこのひとは弱い≠ニいう。そして全部を受け止めてくれるという。私は嗚咽を漏らし、玲央の首にかじりついた。1年間、誰にも言えなかったことを一気に消化してしまったようなきぶんだ。玲央の手は私をあやすようにして、何度も背中を撫でてくれる。

「ありがと、玲央」
「あら、お礼なんていいのよ? 思ったことを言っただけだもの!」
「でも、嬉しかったけん、」
「ならついでにもうひとつだけ伝えておいてあげるわ」

 向かい合うようにして玲央はふふ、と面白そうに笑った。いったいなにがおかしいのだ。私が首を傾げると、玲央は右手で私の頬を撫でた。

「私、あんたのその言葉づかい、すきなの」
「…………え、」
「素敵だと思わない? 東京にはいろんなところからひとが集まって、啄木も故郷の訛りを求めに駅までいったって話も聞くけど、私佐賀の言葉なんて聞いたことがなかったわ」
「訛り……?」
「変に敏感なのよ。少し早口で、ポロッと訛りが溢れるのが可愛いなぁって思うの」
「そ、そげんこつはなかよ……!」
「あるの。…………ねえ?」

 よいしょ、私の体を抱えなおして、玲央はにっこりと笑う。

「冬休みは忙しいでしょうから、春休み。私を佐賀につれていってくれない? そうね、あんたの親友のところにでも」
「は!?」
「佐賀にいってみたいわ」
「今やなかいけん?」
「だって来年は忙しいじゃない、3年よ?」

 それはそうだけれども、いやしかし。
 ──良いのだろうか。今さらどの面下げて会いにいけば。

「どちらにせよ頼んだのは私なんだから、あんたは案内さえしてくれればいいの。あんたの故郷を、私も見てみたいわ」
「…………ばってん、」
「宿泊場所とかはまたのんびり考えましょ。借金取りだとかもしかしたらそんなこと心配しているのかも知れないけれど、花粉症装ってマスクしていればわからないものだし」

 なにも言えなくなった。いや、言えるものか。私は更につよく、玲央に寄り添う。こんなにひとの体温に焦がれるのもはじめてのような気がした。愛しい気持ちが込み上げていく。

「さすがに、いま私みたいなのと一緒にいるなんて思われてはいないでしょうしね。……あんたもあんたのお父さんも悪いことはしてないんだもの。しゃんとしてなさい。ふたりで旅行となると、駆け落ちみたいだけれど」
「…………玲央となら、駆け落ちでもよかかなって、思った」
「もう」

 ほっぺたをむにりとつねられる。いひゃいいひゃい、と喘げば、「でも悪くないわね」と玲央は笑った。

「愛の逃避行。高校生の私たちにはお似合いね。ふたりで生きていく? 子供はいなくても、アダムとイヴみたいに増やせばいいし」
「さらっと言わんといてよぉ……恥ずかしか」
「こっちが今更なに言ってんのよってかんじなんだけど」

 玲央はくるりと私を抱いたまま、紫ばかりが濃くなった空を見上げた。私もそれに倣う。この時期だし金星も見られるかもと期待したが、うっすらとした白はどこにも見当たらない。

「……佐賀は星は綺麗なの?」
「うん。田舎やけんね。空気も綺麗かよ」
「へえ。東京ではさっぱりなにも見なかったから、楽しみだわ」

 片手をあげ、玲央がひと差し指をくるりと動かす。なにかを描いているようだと、ぼんやり考えた。

「未来地図、ね」
「未来地図?」
「佐賀への逃避行の地図、略して未来地図」
「未来ついとらんやん」
「括ったこうなるのよ」

 ふうん、と玲央の手に自分の手を重ねてみる。

 トゥウェルフス・ナイトの男女が再会の約束をするみたいに、自然とこゆびどうしが絡まった。


方言女子」様に提出させていただきました。
シチュエーション「慰める」で「愛の逃避行みたいで愉快」
(同時に雪様よりいただいた、6萬打企画の「実渕と管理人の出身地の方言を喋る夢主」を消化させていただきます。合併の許可をくださいました雪様、ありがとうございました!)
れおねぇ好きすぎて生体機能が維持できません。
20121122

 

×
- ナノ -