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冬はさよならと待ち合わせ

 ──さよなら!
 私は大きく手を振った。
 ──さよなら!
 彼も、大きく手を振った。

 今日、私たちは別れを告げる。


 葉山と私が出会ったのは、学校帰りの道の公園だった。
 寮生活の葉山と実家暮らしの私だったが、たまたまお互いの通学路にある公園で、よく120円の時間を過ごした。私はいつも微糖。対して彼は、妙に大人びた舌をしていた。いつも無糖を選ぶのだ。
 知らぬ間に一緒に過ごすようになり、知らぬ間に一緒に受験勉強をするようになった。葉山は優秀なバスケ選手だと聞いていたから、スポーツ推薦とかないの、と聞いたが、推薦をくれた大学が非常に優秀な学校なので、あえてスポーツ推薦を蹴って、学力で入学資格を勝ち取りたいのだ、などと、私からは想像もできないような言葉を宣った。なんてこったい。

 私は一般レベルの頭をした、一般的な女子高生であるため、葉山のように面倒なことはしない。志望校は決めていたし、あとは頑張るだけだった。

 センター試験が近づいてきたある日、私は葉山に呼び出されたのだ。

「これでさ、幕引きにしようと思うんだけど、おまえはどう思う?」
「…………うん?」
「おれ、おまえと付き合ってるつもりだったんだけど」
「ああ、うん」

 120円の時間は、長く積み重ねたせいか、2万円程度の価値にはなっていたと思う。私たちが一緒に過ごした時間といえばそれだけだが、逆に言うとその間に、私たちは何度か、好きだ、という言葉をやり取りしたりした。それだけ、それだけではあるのだけれど。
 ……うん、それはきっと、恋人同士、だったのだろう。私は、葉山のことが好きだった。お互いになんとなく気づいていて、なんとなく、恋人の境界の内側に、お互いを入れていた。

「幕引きかぁ」
「……うん」
「葉山、関西から出てくんだっけ? それが理由?」
「いや……それだけなら遠距離で充分だし。ただおれが、もうおまえに甘えずに生きていきたくなったから。それだけだよ」
「甘えずに? そんなに甘えてたっけ?」
「さあ。まあ、男の勝手な言い訳ですよ」
「ほんと勝手だなぁ」
「ははは」

 言葉は白い。しろく、あたりに流れていく。そして溶けて、もうすぐに見えなくなった。冬の色だった。

「ん……私のこと、嫌いになった? って聞くと、まるで性格の悪い女っすね」
「いやはやどうかね。もうすでに悪いかも」
「うわ、ひっど。そんなこと言っちゃう? 言っちゃう?」
「おれ言っちゃうねー。マジレスすると、そんなこたぁない。おれは初めて会った日から、おまえラヴです。L・O・V・E、ラヴ」
「きもちわるい」
「おまえ」

 けらけらと笑いながら、葉山はコートのポケットに両手を突っ込んで身体を揺する。初めて会ったときより10センチも伸びた背は、私ではもう、背伸びをしても追い越せない。知らない間に、遠いひとになってしまった。そんな気がした。

「……これからどうするの? 葉山は」
「関東に戻る。で、前言った学校に入学して──」
「スポーツ推薦蹴るくせに」
「そうそう。まあしょうがないよね! おれ、どっちにしたってメジャー行く気ないし。堅実にね。行ってやりますよ。おまえなんてすぐに抜いてやる」
「言って偏差値はそっちが上だと思うけど」
「どうだかなあ」

 そう言って公園で笑いあったのは、もうふた月以上前の出来事で。私は変にはにかんで、だけどつられて笑っていたような気がする。光陰矢のごとし、本当に、そんな感じだった。

 私たちは今、駅の改札で、それぞれ別々の切符を持って、立っている。

「おまえはどこ行くんだっけ。九州?」
「うん、一応。沖縄。海洋研究するのが夢だったんだんだよね。雪なんて降らないよ。1年中あったかい。エメラルドグリーンの海。素晴らしき」
「へーえ、おれ沖縄行ったことないんだよな。沖縄出身の選手なら知り合いにいたけど。修学旅行は北海道だったし」
「北海道はでっかいどう。私、北海道のが行ったことないわ。広いじゃん、あそこ」
「めっちゃ広い。でも沖縄も、島いっぱいあるじゃん。宮古島から石垣島とか、そんなとこの移動さえ飛行機って聞いた」
「あー、あるある。どっちも空港ある。調べてはないけど、船もあるんじゃないですかね、一応」

 お互い第1志望に無事合格して、なんとなく出発の日付を揃えて。親との別れもそこそこに、最後に背中を追いかけたのは、やっぱり葉山だった。
 葉山も、いつもの無糖を飲みながら、ぼーっと私を待っていた。私を見つけて、へにゃりと、いつものだらしのない緩んだ笑顔を見せてくれる。

「……そっちは空港までだよな」
「そう。……あんたは、そのまま新幹線だっけ」
「うん」

 ゆっくり歩いて、エスカレーターに近づく。私たちはそれぞれ違うホームに向かわなければならないから、もう、ここが最後だ。

「…………」

 しゃべる言葉が見つからなくて、うっかり沈黙に身を任せることになってしまった。私は迷っていた。最後に、最後に。たったひとつだけ、後悔していること。このまま、忘れたくないこと。

「……葉山」
「ん?」

 それは完全に不意打ちだった。と、思う。たぶん。
 葉山のジャージの裾を引っ張って、精一杯、背伸びをする。うまく出来たかなんてわからない。歯が軽くぶつかったから、だいぶ勢い任せではあったと思う。私はそれほど器用じゃない。
 ぎゅっと目を瞑ったから、葉山がどんな表情をしていたのかはわからない。ただ私が赤くなった顔をあげると、彼は目を丸くして、ぽかんと、間抜けに口を開けていた。

「え、あの」
「…………一度も、したことなかったから」

 好きですでも、ありがとうでもない。たださよならのためのキスをした。生まれて初めて、精一杯の背伸びをして。なんだか私は、自分が思っていたよりもずっと女子だったのかもしれないなぁ。少し恥ずかしい。
 一歩下がって、葉山と距離を取る。ごめん、私はここまでだ。きみとは違うホームへ行かなきゃ。

「葉山、あのさ」
「え」
「私、あんたのこと、本当に好きだった。幸せになってね」

 伸ばされた葉山の手が私の手を掴む。待って、と唇が動くのがわかった。はは、なによ待ってって。別れるって言い出したのはそっちじゃない。

「おれも、おれもおまえのこと、好きだった! 今でも好きだ! これからもきっと好きだと思う、おまえを好きになってよかった!」
「……うん、私も、私もだよ葉山。あんたを好きになってよかった。あんたと過ごす時間が、私は好きだったよ」

 するりと腕を引き抜いて、さらば、ホームへ。
 エスカレーターを降りて、線路越しの向こうのホームを覗けば、葉山も同じタイミングで、ホームに辿り着いたようだった。

 きっとこの先、私たちの人生が交わることはないのだろう。
 それでも。
 それでも私たちは、お互いを好きになったことを大事に記憶に折り畳んで、何度でも、遠い場所にいるただひとりに、エールを送りつづける。きっと。

 どこかで踏み切りの、カンカンカン、という無機質な音がして、構内の放送が鳴る。

『間もなく、2番ホームに、京都方面へ向かう電車が到着致します。黄色い線の内側へお下がりください……』

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。電車の足音が近づいてくるのがわかって、気づけば私は、手を振り上げていた。

「──さよなら!」

 私は、大きく、大きく手を振った。
 向かい側のホームのきみに届くように。涙なんて流さない。だってこれは、バッドエンドなどではないのだから。

 私に気づいた葉山が、少し恥ずかしそうに微笑んだ。そして、

「さよなら!」

 彼も、大きく手を振った。
 その声は、やっと私のもとに届いて。
 ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
 そんな音と、電車の影が、私たちの最後の告白を塗りつぶしていく。

「さよなら……」

 少し涙が混ざった、震えた声が、電車に紛れて消えていった。
 私たちの間を電車が通りすぎて、そのあとに、もう葉山の姿はなかった。



20160725

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