シャウラを刺してあげて頂戴
ねぇ、こんな話、聞いたことある?
拉致された被害者が、犯人を好きになってしまうことがあるって話。
彼はたくましい肩をぐるりと回して、わけがわからん、とでも言いたそうな、そんな顔をした。
「つまりそれは俺がおまえを拉致したってことか」
「えー、祥吾はそう思ってるわけ?」
拉致したのはどちらかといえば私のほうだと思うんだけど、と笑えば、彼は眉をしかめた。まあ確かに、逆の発想が彼らしいといえば彼らしい。私にしても同じかも知れない。
私は目の前のチーズケーキにフォークをいれた。すとん、やわらかなそれに銀はすぐに吸い込まれて、そんな音をたてながらガラスのにぶつかってまた追うようになにかを鳴らした。チーズケーキは甘くて、どこか酸っぱくて。正直得意な味ではないのだが、なんとなくそんな混ざりあった音が私のきぶんにあっていたのだ。
「……拉致被害者ねェ」
態度ばかりは興味なさげにつぶやくものの、声音は隠せていない。それが彼の狙いなのだろうことは、彼に付き合っていればわかる。
「つまり私は、祥吾がいったいどれだけ浮気をしているか知ってる、ってこと」
「バッ……浮気じゃねぇよ」
「じゃあなによ」
「あーあれだ、うん。性欲処理」
「同じじゃない」
祥吾は私の他に恋人を作ることはないが、誰かの恋人と寝ることがすきだ。ちなみに私と彼がそんなに深い関係に陥ったことはない。が、恋人=B私がかたくなに拒んでいるのも理由かも知れない。だから、私が他校に通っているこの如何にも不良な彼と会うのは、いつだって彼が手を出しづらいこ洒落た喫茶店だ。
彼はガトーショコラを半分に切った。私が似た行為をしたときとは違い、大きなガラスの音が散る。不機嫌な表情をまさに表すものだったが、私はそれについては何も言わなかった。
「どう思う?」
「……、ハァ?」
「どう思うのかって、聞いてるの」
「なにが」
「なにがだろう」
「ざけんなよ」
たとえば、私がいなくてもきみのまわりにはひとがいること。
たとえば、私がいるからきみは恋人を他に作れないこと。
たとえば、私が呼ぶからきみは似合わない喫茶店でケーキを食べなければならないこと。
たとえば、私がきみをすきだから、きみはこうして、私のために時間を割かなければならないこと。
わかっているのだ。本音どうこうということは。ただ私が彼を振り回している、その事実のどこにも、誤りは起こっていない。時間をいくら切っても、私にはなにも刺さない。見返りを求めない。
だからきっと、つながったときが最後。
まだこうして時間に揺られているうちは私は彼を拉致した犯人≠ナいられるのだ。
「私は祥吾のこと、嫌いじゃないよ」
「…………あ、そ」
所詮は口約束だけの関係なのだ。切ろうと思えば切れるだろう。それこそお互い、ひとりふたりきりで。
からりと氷が音を立てて転がった。
「今日はこれからどうする? 買い物にでも行こうか。なにかお揃いのマグカップとか、そんなもの買いに行く?」
「は? らしくねー」
「らしくない、か。はは、そうだよね」
ひとが恋に落ちるきっかけとは一体なんだろうと、おもう。私がこのひとに惹かれたきっかけ。なのに、そう遠くない別れを見越して付き合っていること。これを恋と呼んで良いのかは私にはわからないが。
チーズケーキの淡い甘さがどくりと喉元をつたって、妙に気持ちが悪い。好んで選んだ味なのに、自嘲の笑みがもれるのはいつものこと。私はそうやって生きてきたのだ。自分の選択に後悔をしてばかりで、同じように嘆いてばかりで、でもそれをやめようとはしない。きっと、否、もしかしなくても私はそうやって、これからも、生きていく。これは、祥吾との関係にもいえる終わりの確信のひとつだった。
「おまえって、ほんと、わけわかんねぇよな」
被害者は笑う。犯人よりもちからを持った被害者。いつでもどこでも爆弾を抱えて生きて、ひとを抱いて、つまりあなたはひとりぽっちが嫌いなんでしょう。
だから、拉致されたんでしょう。
「俺も思ったよ。おまえをすきになれたらって」
恋をしている。
私も、彼も、紛れもない。
そもそも恋の定義を探そうとする時点で私はおかしいのかも知れない。だって私は、彼に恋はしていても、彼を愛してはいないと思うから。
彼の頬に手をそえれば、きっと彼はわらうことだろう。ふだんからは考えられないような、たまらなくやさしいしぐさで。
すきだ。
嘘にかためられた3文字で、からりと。だから私は泣きたくなるのだ。後悔せずにはいられないのだ。彼を狂わせたのは私かもしれない、それはうぬぼれでしかないのかもしれない。
でも、でも。
彼に自由の鍵を渡していながら、私の乗せることばはひとつだけなのだ。
──すきになって、ごめんね。
「シャウラ」……毒針
20130404
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