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恋ではなく、

 恋じゃない。
 葉山はいつだって笑っていたけれど、私だってまったく笑っていなかったわけではない。だから、彼の笑顔に心を奪われるなんてことはないのだ。

 そう言ったのは私ではなく葉山で、彼は私の小指を、自身のそれで柔らかく絡めとりながら、やっぱり笑った。
 秋の暮れ、放課後のことだった。

「ええ……私の気持ちでしょう、なんで葉山が代弁しちゃうの」
「ははっ、なんでかなあ。なんとなく、かな」
「意味わかんないよ、それ」

 それこそなんとなく≠ナ、理由を話してしまえば、彼の冷たい指先が恋しかったからで、私は小指を、葉山の好きなようにさせていた。
 男なのに、なんて綺麗な手なんだろう。爪が小さくて、いまいちネイルも似合わない私からすれば羨ましい限りだけど、男からすれば、綺麗な長方形の爪は、あまり嬉しくないのかもしれない。
 どこか細く見えるのに、硬くて潰れた豆の痕がある、葉山の手のひら。

「バスケでも、手に豆ってできるものなんだね」
「人によるんじゃねーかな。おまけに少数派ってぇの? あんま聞かない」
「でもそれ、豆の痕だよね?」
「んん、おれはまあ特別ってやつ」
「ふうん」

 単細胞、を、わかりやすく形にした人間である葉山は、しかし人をよく見ている。バスケのことになると、やけにまっすぐというか、周りが見えなくなるというか、まあそういうところこそしっかりしなさいとは思うけれども。だからこそゴールに食らいついていけるのかもしれないと、葉山の体温に痺れながらぼんやり思った。

「今日の練習はおやすみなの?」
「体育館の点検がまだ終わってないんだって。だから1時間遅れ。他の部活で場所埋まってるし、体育館に砂利持ち込みたくないから外で柔軟は遠慮したい」
「へえ、」

 うっかり興味をなくした声音になって、慌てて喉に声を引っ掻ける。自分から尋ねておいて、そんなひどい人間にはなりたくない。という、微かな願望にも似たなにか。

「恋じゃない、ってさあ」
「うん?」

 葉山はまだ私の小指と遊んでいる。何がしたいのかは、よくわからない。

「なんでそんなこと言い出したの?」

 私はわりと真剣だったのに、葉山の口許の笑みは小指のごとくそのままだ。秒針は動くのに、雲は流れるのに。

「いや実はさ、後輩とな」

 葉山は首を捻った。なんだか楽しそうだ。

「赤い糸、の話になったわけ」
「赤い糸」
「そう。なんで薬指じゃなくて小指なんだろうなあって」
「ああ」
「薬指って結婚指輪とかつける指じゃん。なら赤い糸もそこに繋げて、貴方と私の糸はほどけないわ! 指輪ホールド! キャッ! とか、赤い糸を繋げた証とか、わかりやすいと思うんだけど」
「気持ち悪い」
「ひどいこと言うな!」

 あ。
 ぱっと指先が放れた。思わず小指で追いかける。行かないで。

「まあ、そんでだよ。赤い糸といえば、先輩彼女いますよねーみたいなこと言われて? おまえを彼女だと勘違いされてたみたいで?」
「うわあ」

 なるほど、と納得。それで葉山は、私の感情を確かめにきたわけか。確かめにきたというよりは、なんにもない証明というか。
 そんなことを言うわりには葉山は優しく、追いかけた私の指は、先程よりも深く彼の手につかまっている。指を絡めて、大きさを確かめるような、熱をわけあう感じに。

「まあ、そんなわけですよ」

 わざとらしく敬語を振る舞って、葉山は目を細めた。

「ちょっと話が前後するけど、ミョウジ的にはどう思う?」
「は?」
「赤い糸。どう?」
「いやあ……どうと言われましても」

 赤い糸なんて、つまるところ運命論なんて信じられるほど、私は乙女ティックではない。

「薬指が指輪で塞がれているから、仕方なく小指に譲歩してあげた派」

 うわあ、夢がない、と笑いながらも、実は案外間違っていないのでは? とちょっとだけ感動した。自分に。
 はは、と、葉山は楽しそうだ。

「失礼します、音楽部です。教室お借りしてもいいですか?」

 ちんたら悩んでいると、1年生がやって来た。ああ、音楽部。

「どうぞ。私もう帰るしコイツも部活だから、気にせずどうぞ」

 と、ここで私たちの手のひら交流は終了だ。もっと触っていたかったような、そうでもないような。なんだか葉山といると曖昧な考えがあたりまえになっていく。
 葉山は「あー」とぼやいて立ち上がり、スポーツバッグを手に取る。私も釣られるように荷物を抱えて。

「あ、椅子とか運んだ方がいいかな?」
「いいえ! 全部移動させるわけじゃないですし、自分たちでやります」
「そお? じゃあ頑張ってね」

 形ばかりのエールを送って、先に教室を出た葉山を追いかける。こういうときばかりあいつは早足で、追いかけるにも小走りだ。待っててなんかくれない。

「葉山、はーやー、ま!」
「んんー?」
「わわ」

 急に立ち止まりやがった葉山の背中に私は顔面から衝突した。実渕くんたちといたら気づきにくいけれど、こいつもなかなかの長身なのだ。

「いてて……葉山」
「うん?」
「急に立ち止まるな」
「あははっ」
「笑うな!」
「いやあ、でも、うん。なんだかなあ」

 また曖昧だ。
 なんだかなあ、なんとなく。私たちの感情はたったふたつの言葉に処理されて、お互いにお互いを微かに詮索する。……してるのかな。少なくとも、私はしている。けれど背後からでは、葉山の表情は見えなくて。

「今日残ってかない?」
「残ってって?」
「おれの部活待ってない? ベンチとかステージとかいていいから。マネージャーとかいっぱいいるけど。男女問わず」
「は……?」
「よーし、行こーう!」

 がしっと私の手を掴んで歩き出した葉山の顔はまだ見えない。なに、ええ……私テレビ見たかったんだけど、録画してたドラマあるんだけど、と混乱しながらも、私は引きずられていく。

「は、葉山」
「やっぱり持つべきものはミョウジかなって思っちゃった」
「なにそれ」
「ドキドキしない。でも一緒にいたい。居心地いいんだよね」

 なんとなく、ではなく、珍しくまっすぐに言葉を紡いだ葉山の声は、まるで鋭利なナイフのようだ。

「恋じゃない。気楽でいいや」
「……そうだね、恋じゃない」

 ねえ、葉山。あんたは何もわかってないよ。
 私はあんたが思っているほど、いいやつでも、手を繋いでいられるようなやつでもなくて。
 あんたが私の小指を結びながら、赤い糸、なんて言うから、あんたの気持ちなんて知ってても、苦しまずにはいられない。

 私はただ言い聞かせているだけだ。

 恋じゃない。そう認めたときから、これは確かに恋だったのだ。



20150725

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