虚像品にはなりたくない
※冗談程度の腐要素が含まれています
※エイプリルフールネタ
「別れよう」
ざっぱりと言われた言葉は、思った以上に心に傷を残さなかった。
「いいよ」
さらっと答えると、大輝は顔を輝かせるのだった。……なんて単純。その横を灰崎が何食わぬ顔で通りすぎて行き、私は(今日は部活来たんだ)と関係ないことまで考えていた。
「そうか、なら、今日からもう恋人じゃねえな」
そんな明るく別れ話をするやつがあるだろうか。いるのかもしれないけれど、少なくとも私は知らない。
大輝はぶんぶんと面白いくらい首を縦に振ったあと、意気揚々と私に背中を向けた。
「おう、おはようさつき」
「おはよう青峰くん。……に、ナマエちゃん」
「おはよー」
さつきちゃんは、さすが幼馴染み。滅多に交わさない挨拶で大輝の心情が読めたらしい。私に顔を向けると、申し訳なさそうに顔のまえで片手を立ててみせる。大輝にバレないように、こっそり。
「いいよいいよ、可愛いもんだし」
大輝の姿が見えなくなると、私はさつきちゃんのあとを追いかけた。ジャージに身をくるんだ彼女は、追いかけてきた私を見て、にっこりと笑う。
「私、マネージャーやめようと思ってるんだ」
「あ、それ私もだよ。気が合うねえ?」
顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。
だけど、いまはまだそのときではない。練習の準備をしなければならない。
距離を測って、コーンを立てて、部員たちが今日もしっかりと練習をできるように私たちは楽しく作業をする。面倒などとは思わない。これはこれで、楽しいものだ。何かを頑張っているひとは、とても格好良いと思う。これは大輝に関しても同じである。
「じゃあ私、ストップウォッチ取ってくるね」
「あ、お願いするね」
私はうなずき、第一体育館を出た。青い空がどこまでもまっすぐに世界をおおっている。何キロメートルさきで宇宙は口を開いていたんだっけ、とも考えてみたりして、私は歩きはじめた。
渡り廊下を歩いていると、見間違うはずもない大きな影と、そのとなりにいくらか小振りなそれが見える。
敦に、赤司くんだ。
「おはよー」
「ああ、おはようミョウジ」
「おはよ〜」
声をかけると、向こうも挨拶を返してくれる。私はそこで、ふとふたりの間に目線が行った。サイズの違うふたつの手が、指を絡めあわせて握られている。
「実はおれたち付き合ってんだよね」
そう来たか。くすくすと笑って、赤司くんも首肯する。
「そうなんだ。いままで隠していてすまなかったね」
私はべつに同性愛とかに偏見があるわけではないけれど、だからといってこう来るとは思わなかった。ここは笑うべきなんだろう、私は腰を折りけらけらと笑った。
「ミョウジは何をしていたんだい?」
「ストップウォッチを取りにいくところ。……と、そのついでだから言っとくと、私大輝と別れたから。そこんとこよろしく」
「なかなか面白いことやるねぇ」
敦も同じように笑って、ちらっと体育館のほうを見た。
「敦も同じでしょ?」
「えー、おれべつに嘘ついてねぇし」
「それこそ『えー』なんだけど」
壁越しの大輝の姿を探し、どこかばかにしたように鼻を鳴らして、敦は首を傾け、赤司くんを見下ろすのだった。
「赤ちん。おれ、お菓子食べたい。行こうよ」
「ああ、そうだね。いいよ、行こうか」
軽く手を振りふたりは姿を消す。
さて。今日は世間が賑わうエイプリルフールなわけだけれど。
私と大輝は別れる、別れたという嘘。敦と赤司くんは、逆に自分たちが付き合っているのだという嘘を用意していた。
さつきちゃんはどんな嘘を用意しているのだろう。彼女は堅実なひとだから、ひょっとすると嘘はつかないのかもしれない。さっきのおふざけはべつにして。ついたらついたで可愛いかもしれないし、つかなくても彼女らしくて素敵だと思う。あんなに美人な子から「嘘だよ」と言われたりしたら、いったいどうしよう。心臓はばくばく。それこそ浮気をしてしまいそうなくらい。
真太郎は……ないだろうなあ。「そんなくだらんお遊びに付き合っている暇などないのだよ」なあんて言いそう。そしたらお堅いやつと笑ってやろう。
私はるんるん気分でストップウォッチを用意すると、また明るく、体育館へと引き返していった。
「俺はもう女と遊ぶのはやめるぜ!」
灰崎がそうのたまったのは11時半だった。もうすぐ昼休憩だというときに、頬に大きな紅葉をこさえて体育館に乗り込んできた。
「いっまごろ来やがったか灰崎ィ」
真っ先に反応したのは主将で、額にピキッと青筋を立てている。
わーお、と私はちょっとにやっと口の端を持ち上げた。こういった出来事の結末を見るのは、ちょっと楽しい。
「そりゃつまりあと1年は女と遊び呆けるってつもりか? ああ!?」
そっか、エイプリルフールについた嘘は、1年は現実にならないんだっけ。そんなジンクスがあるんだから、私と大輝はあと1年は別れないってことになる。どんな出会いがあるかはわからないけれど、中学に在学している間の幅なんて見えたものだ。少なくとも高校に行くまでは持つ……と、思いたい。少なくとも私は別れるつもりなんてないし。
「こっち来い! シめる!」
「は!?」
カンカンの主将と、ひょっとしてエイプリルフールのジンクスを知らないのではないかという灰崎は、ここでさっさと退場してしまった。邪魔にならないように主将が転がしたボールだけ片付けておけば。
「まったく、ろくなことがないのだよ」
ボールを拾おうとしたところで、真太郎のため息が聞こえた。いつになく重たく感じる。
「なにかあった?」
「なにかあったもなにもないだろう。どいつもコイツも、エイプリルフールだからと言ってない頭を捻ることはないと言っているのだよ」
ぷんすかぷんすか。そのオノマトペが似合うひとは今の彼以外いないのではないのかというはど目に見えて、綻びかけた表情を引き締める。
「じゃあ真太郎は嘘ついてない?」
「ない」
「ふうん。でも赤司くんたちだって嘘ついてたわけだし」
「……赤司が? ふん、珍しいこともあったものだな」
眼鏡の橋を持ち上げて、真太郎は鼻を鳴らすと、ボールを拾い上げてシュート練習に戻った。珍しいこともあったものって。まあ確かに、赤司くんが嘘をつくところは初めて見た気がするけれども。
でも、私たちがこのメンバーでエイプリルフールを迎えるのも初めてなわけなので。
だからその珍しい≠ヘ似合わない。
「ナマエちゃーん! ごめんちょっと!」
ぼうとしているとみっちゃんに呼ばれた。私はがばっと顔をあげて、身体をくるっと反転させると、真太郎を肩越しに見る。
「じゃあ私もう行くけど! サボっちゃだめだからね!」
「誰がなのだよ!」
そりゃそうか。真太郎はサボるようなひとではない。サボるとしたら敦かな。とはいっても、今日の敦に限ってはサボりはしないと思うけれど。
ステージのほうを見てみると、そこでは敦が赤司くんと仲良さげに話していた。さて午後までこの空気を持っていくのか。
一方で大輝は、膝をついてハァハァと息を切らしている男の子に付き添っていた。それこそ、珍しい。まさかアイツまで「俺たち付き合ってました」とか言い出さないだろうな。それはないか。ところでその男の子の名前がわからないのだけれど、新しく入ってきた子だろうか。かなり貧弱に見える。
「ナマエちゃーん!!」
そこまで観察をつづけていた私は、ようやく自分が呼ばれていたことを思いだし、慌ててみっちゃんのほうへと駆けていったのだった。
午後になれば、あたりには数十分だけ緩みきった時間が流れることになる。みなさん午前中はお疲れさま、どうぞゆっくりおやすみくださいませ。なんてね。
あくびひとつで、たいして練習もしていないはずの灰崎が一番に食事をはじめる。主将は、舌打ちこそしたけれど咎めることはなく、自分の弁当箱を開けた。主将のお弁当箱はうさぎをかたどったもので、それがあまりにも不釣り合いで、なんだか可愛い。
「うえ。ニンジン入ってるー。赤ちん食べてー」
「ああ、わかった」
「やったあ」
もう嘘の時間は終わりのはずだが。ふたりは今日1日は演技をつづけるようだ。おそらくこのある意味の夫婦漫才が、日常とは違うから、身に染み付いて面白がっているのだろう。……いや、敦がニンジンを嫌がるのはいつものことだった。犠牲になるのが真太郎から赤司くんになっただけか。
そんななか、大輝がぴっと指を立てて真太郎を呼んだ。
「ま、俺たちは別れてなんかねぇけど。緑間はどんな嘘ついたんだよ」
「やはりか。……俺は」
「真太郎は嘘ついてないんじゃなかったっけ?」
ひょっこり覗くと、真太郎は眉間に皺を立てて、首を横に振った。
「おまえに対して言った、嘘をついていないというのは、嘘なのだよ」
「えっ」
そうだったのか。直前にくだらないだのなんだの言っていたので、すっかり本当なのだと思っていた。
「じゃあ私以外の誰かに嘘をついたってこと?」
「ああ」
ちょっと迷うそぶりを見せて、真太郎は顎に手をあてる。
「……妹にな」
「妹?」
「朝、……今日のラッキーアイテムはレースだったのだが……、妹は何を勘違いしたのか母の下着を持ってきてな」
「ぶっ」
何を想像したのか、大輝と灰崎が同時に吹き出した。
「妹は今日のラッキーアイテムがレースだと知り、一番身近なレースを持ってきたつもりだったらしいのだが……さすがに母の下着を部活に持っていくつもりにはいかないので、俺は『そんなものがラッキーアイテムなわけはないだろう』と言ってな」
「…………」
「妹はまだ幼いがゆえに、そのひとことが深く刺さったのか……わんわんと泣き出してしまったのだよ」
「……………………」
それは果たして意図した嘘だったのだろうか。単純に母親の下着を持ち歩く行動から逃れようとしただけでは。
「じゃあ、おまえ母ちゃんの下着持ってきたのかよ?」
「そんなわけはないだろう。妹の人形の服を借りてきたのだよ」
しかしレースといって下着を持ってくるとは……と、真太郎はため息をついた。私たちに話すということは、よっぽどショックも大きかったのだろう。
「ミドチンって余裕ないよね〜」
「こらこら、紫原」
こちらの『恋人のふりをしている』嘘つきさんたちは、まだネタバレをする気がないのか、ふたりでひそひそと内緒話をしていた。……赤司くんも、たまには羽目をはずしたいのかもしれない。
「テツはどんな嘘ついたんだよ」
「僕ですか?」
あ。さっき死にかけていた男の子だ。テツくんって言うのか。名字はわからないので、ひとまずテツくんと呼ぼう。いきなりなれなれしすぎると思うけど。
「僕は……それどころでは」
「ははっ、そりゃそうだ。いっそのこと、第4体育館の幽霊は自分じゃありませんって嘘つきゃよかったのに」
「……僕はそもそも幽霊じゃありません」
噂の第4体育館の幽霊ってこのひとだったのか。
ネタバレといえば確かにネタバレである。それを聞いて思い出したのか、灰崎が口を開く。
「俺はしばらく女遊びはつづけるぜ」
「どうせならバスケやめるとかって嘘つきやがれシめるぞ」
灰崎に才能を無駄にしてほしくない。灰崎にバスケをやめてほしくない。そんな主将の愛情の裏返しだろうか。思わず笑みがこぼれてしまう。
「明日はトゥルーエイプリルフールなんだってな?」
「ああ、嘘をついてはいけない日のこと……ですか?」
「そうそう」
大輝がテツくんに何事かを尋ねている。嘘をつかない日か。というか、大輝そんなこと知ってたんだ。
「明日からは、ちょっと窮屈で、でもまたなにかしら好んだ色の日々がはじまるのだろうね」
ふと、思い出したかのように赤司くんが言った。目を細めて、敦の紫の、そのまた奥を見るような表情で。まぶしげに。冷たげに、寂しげに。
くちびるがやわらかく弧を刻む。つられるように敦がまず赤司くんの視線のさきを追った。ついで主将が、灰崎が、大輝もテツくんも真太郎もさつきちゃんも、ほかのみんなも。一斉にそちらに首を捻る。
「嘘つきは楽しいかもしれないが、むなしくもある。どれが本当かわからなくなるのは、とてもつらい。……だから、嘘をつきつづけて苦しくならないように、この日があるのだろうね。冗談は良いかもしれないが、それが嘘になってしまわないようにと。笑い話にはなれないのだと」
いきなり饒舌になった赤司くんの視線のさきには、バスケットゴール。
ただ、なんでもない。
私たちは、バスケが好きだ。
このたったひとつの共通項が、ずっと嘘にならなければいいと思った。
20140405
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