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感情証明図QA

「雨の日って好きじゃねーのよね、私」

 天気予報によると、『本日は台風17号が関東に上陸するでしょう』。
 窓の外で風が、雨が、木々を揺らして濡らして、部屋はそれにより冷えていて、私の気分は落ち込むばかりだった。

 ブルーベリーのジェラートをつい、と掬って、口に含む。更に体が冷えていく心地がした。

「あだなちんー。寒いー」
「そりゃ私も寒ーわよ」
「じゃあなんでジェラート食べてんのさ。俺みたくスナック菓子食べれば良いのにー」
「あんたのストックがなくなるでしょうが。こんな大荒れだったら外に買いにもいけねーわよ。なくなったら嫌でしょ?」

 私は白いローテーブルの上に透明の容器を置いた。まだ中身が残っているが、なんとなく続きを食べる気にもなれず、窓際の壁にもたれ掛かる。

 幼馴染みである敦が急に泊まりにきたのは、この台風のせいだった。
 夜中クッキーが食べたくなった彼は、なんと電車に乗って私の家の近所の洋菓子店に向かった。ついでにケーキやらなんやらを買って、コンビニで大量にスナック菓子も買って、そうして家に帰ろうとしたところ、台風によって急激に天気が荒れはじめ、なにやらお菓子の危機を感じたらしい。

「いやー、あだなちんがここに住んでてくれて助かったし」
「……いくら敦でも夜中にクッキー買いに電車乗るなんて思わなかったから、すげーびびったわよ」
「だってうちの近所の店もう閉まってたんだもん」
「ほとんどの店は閉めてるでしょう。しかしあそこの店が開いてることはよく知ってたわね」
「前に泊まりにきたときに目ぇつけてたから」

 敦はというとローテーブルの前に置いてあるベージュのソファから足を出して、ごろんとうつ伏せになってポトチトップスを食べている。
 その長い指がまたポトチを摘み、私のジェラートを掬って、ジャムのようにその先につけて、ゆっくりと口許に運ばれていった。色っぺーわね、と思う。

「ねーねー、あだなちん」
「何?」
「おれ、なんでこんなでっかくなっちゃったのかなー。ソファが狭いー」
「中身があまりにも子供だから、せめて舐められないように見た目だけは立派にしてくれたんじゃねーのかしらね」

 あだなちんのいじわる。
 敦はぶすっとしてそう言った。意地悪でも性悪でも、なんでもいーわよ。

 私はそこら辺に転がっていたビニール袋からトッポを取り出して、開封した。中身を1本、煙草のように咥える。

 私は携帯を持っていない。文明のなんたらというのはどうにも苦手で、冷蔵庫やらエアコンやらは持っているのだが、携帯やパソコンはない。
 クラスのみんなが1年の頃にメアド交換に浮かれているのを、遠巻きから眺めていた。そんな人間だった。

 大学生になって、東京に戻ると、敦も秋田から戻ってきた。だけどもう幼馴染み≠ネんて簡単な存在じゃなくて。
 関係は倒壊寸前なのに、敦はいつも境界を踏み越えていく。
 あの頃の私は、制服が嫌いだった。自分が縛られているみたいで。
 台風が好きだった。授業を吹き飛ばしてくれる。苦手なものから私を逃がしてくれたから。

「……あだなちん?」

 私は膝に顔を埋めて、敦の顔を見るのをやめた。

「泣いてんの?」

 中学を卒業して、私は。
 あの人通りの多い道を、「通学路」と呼ばなくなった。
 高校を卒業して、東京を「地元」だというのをやめた。

 流れていくときは人を変えていく。
 それなのに、残酷なほど、敦は変わってくれない。
 別の高校にいっても、別の大学にいっても、もう近所に住んでいなくても、どこまでも「あだなちん」といって私を追いかけてくるのだ。

「お腹痛くなっちゃった?」
「んなわけねー、わよ」
「じゃあどうしたのー? 言ってくんなきゃわかんないし」

 敦が近づいてくる気配がした。
 ふわりと体が抱き上げられ、長い前髪の向こう、紫色をした双眸が私を覗く。

「あだなちん」
「うる、せーわよ、馬鹿」
「説得力ねーし。大学で嫌なことでもあったの? なんかそんなこと思い出しちゃった?」

 だらりと情けなく両手両足を床に向けて、ぷらぷらとさせる。敦にとって私なんかの重さはなんともないのだろう。

「敦って、平和よね」
「え?」
「自分のことだとは思わねーわけ?」
「思うわけないじゃん。おれあだなちんに嫌われるようなことしてねーしー」

 ほら、またこれだ。
 あつし、と声を震わせて呼ぶと、「どーしたの」と柔らかな振動が耳朶を打つ。

「なんでもねー、わ」
「ほんと? 女の子がそんなに泣いちゃだめだよー。ヨクジョーされるし」
「……今のは聞かなかったことにするわ」

 敦は私をソファにすとんと下ろすと、冷蔵庫に向かった。

「あだなちん、何が良いー?」
「ショート」
「りょーかいー」

 ジェラートまだ残ってるんですけど。敦の温もりの残るソファを撫でながら、そんなことを考える。
 敦は棚から皿とフォークを取り出してケーキを乗せると、私の元まで寄ってきた。自分はミルフィーユらしい。

「ありがと。いただきます」

 ジェラートはあとで食べれば良いか。
 私はショートケーキにすっとフォークを入れる。口に含むと、芳醇な甘さが広がった。敦ほどではないが、私もよっぽど菓子類が好きなのだと思う。

「あだなちんって昔からそうだよね」
「え?」
「なにか嫌なことあっても、絶対おれに言わねーの。んで、そんなときは、いつもだったらフルーツたっぷりなケーキ選ぶのに、ショートケーキを選ぶ。気づいてなかったでしょ」
「…………うん」

 私にそんな癖があったのか。ああ、嫌だな。
 それはつまり敦に甘えているということだ。
 ガシャンとベランダで音がした。なにかが風の餌食になったらしい。

 私の心みたく、天気は大荒れだ。

「あだなちんは大学卒業したらなにやるの?」
「んー、そーね。私は医学部だから、卒業はまだ先だけど」
「そういえばそっか。めんどくさそー。何科にするの? 外科? 内科?」
「精神科だわね」
「精神科? わー、向いてねー」
「あんたにゃ言われたくねーわよ」

 最後に残した生クリームのついた苺にフォークを突き立てる。今はあまり食べたくない、甘酸っぱい果物。それでも選んだのはそれを望んでいたからでもある。

 私は苺をそっと口に運んだ。

「すっぺー、わね」

 予想外に酸い。季節外れな苺なだけある。

 遠からぬいつか、私は精神科医として、患者に向き合う日がくる。
 わからなかったことがいつしか簡単にわかるようになり、同様に出来なかったこともこなせるようになる日が来る。

 遠からぬ、いつか。
 こうして敦と台風の日を憂鬱に過ごしたことを懐かしく思う日がくる。
 そしてまた、私は「好き」と伝えなかった自分を情けなく思うのだろう。

 朧気な記憶をかき集めて、敦に融かす。パズルを組み立てることはしないまま、私はただ、またそれが思い出に変わる日を待つんだ。

 そう思って、少し泣いた。

 今度は敦は何も言わなかった。だから私も、その優しさに甘えた。これが最後。これが最後だから。
 大丈夫なんかじゃないくせに、そう嘘を吐いて。
 これが最後。そう言い聞かせるのは、骨が折れた。



20120930

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