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青空の鏡の色は

 ガタンゴトンガタンゴトンと、一日のはじまりと終わりに電車に揺られる。
 地下鉄では窓の外の景色なんてとても見れたものではないけれど、首を捻って鏡になったそれを覗き込むのは、わたしの密かな癖だった。
 最寄り駅が始点のおかげで、朝は大体椅子に座ることができる。帰りは……まあ、タイミングによるかな。運が良ければ、座れる。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 だが最近は、そんな鏡とおしゃべりしている時間はない。
 理由は、わたしが高校3年生だから。わたしが受験生だから──と言ったほうが正しい。
 1月。センターまであと2週間を切った。わたしは日本史一問一答のテキストを持って、電車に乗っている。

「昨日のあの番組見た? ほら、キセリョが出てたやつ!」
「見た、見た! キセリョって海常の生徒らしいじゃん? どこかでばったり会わないかなあ」

 今しがた電車に乗ってきたふたり組の女子高生は、昨日のテレビ番組について話していた。キセリョ……黄瀬涼太くんか。何度か会ったことはあるけれど、あの女性の大群に紛れ込む勇気があるのであれば、わたしは止めはしない。

「おはようさん」

 そして、その女子高生たちに交ざって、もうひとり若い男が乗車した。挨拶のタイミングを読んだかのように、電車はふたたび電線に添って走りはじめる。

「おはよ」

 クラスメイトの笠松幸男。
 海常高校に入学してからというもの、毎日毎日電車で会っている。
 きっかけは、入学式の日、そろってひとりで登校していて、道に迷ったわたしが笠松に道を聞いたこと。それだけ。
 そんな縁がもう三年も続いているとは、不思議なものだ。

「今日の小テスト、勉強した?」
「特に小テストの勉強のつもりで勉強したりは、してねぇな」
「ですよね」

 直前になって無理矢理な知識を詰め込むよりも、受験のために勉強して、範囲が小テストに重なればいいやって、そんな勉強の仕方のほうが、わたしたちにはよっぽどあっている気がする。
 わたしのまえに立った笠松は、つり革を持って、なんだか少し疲れたようなオーラを出していた。

「部活、もう終わったんじゃないの」
「ああ、まあな」
「ベスト4だったんだってね」

 わたしはページをめくった。平安の文化の問題がずらりと並んでいる。

「笠松、世界史の調子はどう?」
「まぁまぁかな」
「らしくないね」
「そうか?」
「いつもならわりと自信満々って感じなのに」
「……そんなに余裕あるわけじゃねぇよ。俺とか森山とか小堀とかは、この時期までバスケやってたんだからな」
「大半はインターハイで終わりだもんね」
「つうか、進学コースのやつらは2年で切り上げてるだろ。おまえとか」
「12月まではたまに部活にも顔出してましたよ」
「たまにって、精々月1だろうが」

 否定はしない。
 電車の揺れる音で、お互いの声は少し聞こえづらかった。ガタンゴトン、ガタンゴトン。静かな、赤ちゃんは寝ちゃいそうなサウンドは、わたしたちに一定の距離とリズムを残す。
 わたしたち3年が通学しなければならないのは1月いっぱいなので、笠松とのこの時間も残りわずかだと思うと。

「すこしは寂しいかな」
「は?」

 頭上の笠松が目をまるくする。
 2年のときまではポケットに突っ込まれていた右手も、いまは単語帳を持つために使われている。
 そんな些細な、と呼べるかはわからないけれど、確実な変化に、わたしは多少なりとも寂しさを抱いてはいた。

「どうしたんだよ、急に」
「さあ、どうしたんだろうね。なんか、受験が近くて、わりと落ち込んでるのかも」
「落ち込むゥ?」
「受験から解放されるより、3年が過去になっちゃうことが寂しいのかな。なんか、気分が沈むのがわかるよ。自分でも」

 苦笑し、一問一答をこなしていく。ひとりで。笠松もひとりで、単語帳を読むのだ。

「……気分が沈む、ね」

 感慨深げにつぶやいて、笠松は首を傾げた。わたしはなにもおかしなことは言っていないはずだけれど、彼には理解しがたい感情だったらしい。
 わたしたちは、やっぱりすこしずれているのかもしれない。

「──よし」

 なにが「よし」なのかはわからないが、とにかく笠松はそこで、きりっと顔をあげた。つられるようにわたしもそうする。

「笠松?」
「じゅ、受験が終わったら、どっか行くか」
「はい?」

 変に声がひっくり返ってるし、ガタンゴトンに消されてうまく聞こえないし、わたしは眉をひそめた。なに言ってんだこいつ。

「だから! 受験終わったらどっか行くかって!」
「なんで怒ってんの!?」
「おまえが受験終わってほしくねぇみてぇなこと言うからだろ!」
「はあ!? いや、終わってはほしいけど!? ただ卒業したくないだけで──」
「じゃあ卒業したあとだ!」
「なにが!?」

 意味がわかっていないわたしを目をまるくして見た笠松は、つり革から手を離して、わたしの額にデコピンを飛ばす。ビシッと音が鳴るのと同時に、猛烈な痛みが額を襲う。

「いった!?」
「だからちゃんと卒業しろ! 全部終わったら──そしたら、俺がどこにでも連れていってやっから」

 ぷいっと目をそらした笠松の頬が赤く見えるのは気のせいだろうか。
 わたしは思わずぷっと吹き出し、「期待せずに待ってる」と肩を揺らした。

「期待しとけよ、馬鹿野郎が」

 ガタンゴトン、ガタンゴトンと電車は走る。
 笠松と通学できるのは、あと少しだ。



20131226

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