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ぼくらをあたためる永遠

「たいやき?」

 部活が終わり、吐息を白く染めながら寮へ帰ろうとした氷室を呼び止める。私はうなずき、彼と外をつなぐ唯一の扉のまえへ立ちふさがった。スカートの隙間からすべり込んでくる冷たい空気に身をふるわせる。

「なんでたいやき?」
「氷室って、しばらく日本にいなかったんでしょ? 日本の味を久々に味わいたいと思わない?」
「うん?」

 まったく意味を把握していないといった様子で、氷室は首をかしげる。なぜ日本イコールたいやきなのかは聞かずにいてほしいところだが、ムムム。

「思わない!?」
「…………食堂で大体のものは食べられるからね」
「もう!!」
「冗談だよ。食べたい。ナマエも食べたいのかな?」

 カバンを持ち直し、氷室は不適に笑む。長いまつげに縁取られた切れ長のひとみがすると細められ、くちびるはゆるくカーブを描く。これだから美男子は。

「食べたいんです。付き合ってください」
「ならよろしい。付き合うよ」

 部室の電気を切り、扉を施錠し、私たちはふたりでバスケ部の檻を抜け出した。
 秋田の冬はとても寒い。冬──とはいってもまだギリギリ10月。他所では秋と言われてしまいそうだけれど。すくなくとも私にとってはもう長すぎる冬ははじまっているわけである。

「でもたいやきって、どこで食べるの? 宛はある?」
「うん。紫原が教えてくれたんだけどね、学校出てすぐの公園に出店の車が来てるんだって」
「へえ。値段はどれくらい?」
「知らないけど……200円くらいじゃないかな」

 紫原はたしか全種類を買って食べていた。カスタードクリーム、抹茶クリーム、チョコレートクリーム、ストロベリークリーム、それにつぶあん、こしあん、しろあん。よく食べるなあと感心していたものだが、それだけ種類があるとどうにも迷ってしまう。
 マフラーをくるくる巻いて、毛糸でくちびるを隠した氷室も、しかし白い息は隠せていない。両手はポケットに突っ込んで、寒いのだろう。

「氷室って甘いものすき?」
「さあ。特に好きというわけでも、嫌いというわけでもないな。あまり食べる機会はなかったと思うけど」
「女の子からもらったりはしないの?」
「んー、まず受け取らないからね」
「出たモテる男の発言。キャプテンに泣かれるよ」
「…………」

 私はキャプテンはとても愛らしい顔をしていると思うのだが、ううん。決して不細工とは思わない。バランスはとても良いのだが、それぞれのパーツが濃いだけだろう。私としては可愛い顔である。

「でもなんで受け取らないの?」
「プレゼントっていうのは、相手への気持ちが込められているものだろう? そんなものを、軽い気持ちじゃ受け取れないっていうのが、俺の持論」
「へえ……」

 なんだかこうして話していると、ただの優男には見えないのだから不思議だ。しなやかな筋肉が全身を覆っているスタイル抜群な身体をしているので、がっちりとした印象はあまり受けないのだけれど、彼の考えかた、知識はとてもぶあつい。折れないのだろうなと、思うことがある。
 私の視線に気づいたのか、彼はマフラーの陰で笑ってみせた。

「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
「なら良いけど」

 また正面を向き、彼は長く空気を白く染めてみせた。空はグレイに染まっていて、晴天とはとても呼べない。

「北海道ではもう雪が降ったらしいよ」
「そうなんだ。じゃあ秋田もきっともうすぐだね。雪だるまつくりたい」
「ナマエは子供だな」

 苦笑。
 しながら、私たちは校門を抜ける。あった、あれがたいやきの屋台だ。

「氷室はなに味にする?」
「どうしようかな。特に苦手なものもないし……でも折角たいやきなんだから、あんこにするつもりだ」
「なら私はチョコレートにしよう」

 すこし足早に、こどもたちがいなくなってすぐの屋台に到着する。
 なかには優しそうなおばあさんがいて、私たちを見ると、「おやいらっしゃい」とにっこり笑った。

「たいやき、もらえますか?」
「ええ、もちろん。なに味にする? そこにあるなかから選んでね。みんなホクホクで暖かいよ」
「私はチョコレートクリームで……氷室は結局何にするの」
「あんこにも3種類あるのか」

 あ、そういえば「あんこにする」って言ってたっけ。あんこには1種類だけしかないと思っていたらしい。

「……いちばんスタンダードなものはどれかな?」
「スタンダード……つぶあんかこしあんだとは思うけど……」

 私たちが悩んでいるあいだも、おばあさんはにこにこと笑っている。ひとが好さそうな女性だ。

「このあいだ福井さんが持ってきたおまんじゅうに入ってたのはどっち?」
「うん? たぶんこしあん?」
「なら今日はつぶあんにしようかな」
「決定?」
「うん」

 先日福井先輩が持ってきたおまんじゅうがすでに思い出せないけれど、福井先輩がこしあん派だった覚えはある。私はおばあさんにチョコレートクリームとつぶあんのたいやきを注文し、購入すると、礼を言ってふたりで公園内にあるベンチに座った。

「たいやきっておもしろい顔してるよね」
「おもしろい顔?」
「うん。なんていうかな。『あはれ』」
「意味がわからないよ。どんな顔なの」

 そしてどうやって食べるの、と彼は初めてらしいたいやきをまえに眉をしかめる。

「美味しそうなのにたいやきなんだね」
「美味しそうだからたいやきなんじゃない。なんで?」
「いや、なんとなくだけど。それでナマエ、これはどうやって食べるの」
「もしかしなくてもたいやき食べたことないんだね」

 帰国子女とは言っても、ちいさいころは日本にいたのではないのか。それなのに食べたことがないとは、なかなかにふしぎなことである。

「両親があんこが苦手だったんだ。それに、まだちいさいうちにアメリカに行ったしね。あのころはたいやきにこんなにバリエーションはなかったし、食べるとしても、もしくちに合わなかった場合に食べてくれるひとはいなかったから」
「でもいまは食べるんだね?」
「すくなくともあんこが俺のくちに合うことはわかったからね」

 それより冷めるんだけど、どうやって食べるの。
 もういちど問いを繰り返した氷室に、私は包み紙から顔を覗かせたたいやきを見せる。

「頭からかぶりつくんだよ」
「……なんだかむごいね」
「ひとによってはしっぽから食べたり、真ん中で割ったりもするんだけどね」
「むごい……」
「だよねぇ。しっぽからだったら絶対すぐに死ねないし、真ん中で割っても怪しいところ……。頭からひと息にかぶりついてやるのがいちばん良心的なような気がするね、私は」
「なら俺はしっぽから食べようかな」
「いまの話聞いてましたかね氷室くんや」

 なんなんだこの鬼畜野郎は。明日みんなに話してやろう。特に監督は怒るだろう。ああ見えてたいやきにも情けをかけるひとだ。「おまえには血も涙もないのか!!」と大暴れしてくださることを期待する。
 だがまあ、仕方がない。たいやきをしっぽから食べるのは氷室だけではないはずだ。
 私は自分のたいやきにかぶりついた。とはいえ勢いをつけすぎてチョコレートクリームがこぼれては嫌なので、すこしおおきさは考える。もぐもぐ。中身がぎっちり詰まったたいやきは、クリームのほろ苦さ、甘さを、皮のなめらかな弾力がくるんでいて、とても美味である。

「美味いね」
「でしょ」
「うん」

 しっぽにぱくりと噛みついた氷室が、歓喜にひとみを輝かせていた。どうやら彼のくちにも合ったらしかった。

「良いな、これ」
「でしょでしょ!」

 たいやきを食べるだけでなぜこの男はこんなに色気を放出するのか不思議になる。両手で優しく包み、まるでくちづけでもするかのようにくちに含む。なにかが絶対におかしい。たいやきマジックなのかこれは。いやそれはない。

「ごちそうさま」

 しばらくして私たちはたいやきを食べ終わった。だがすぐに帰る気にもなれなくて、ベンチでふたり座ったまま空をじいと見つめている。

「美味しかったあ……」
「そうだね。あと半月もすれば、いよいよ冬がやってくる」
「うん」
「秋田の冬は寒いの?」
「とっても寒いよ」

 手で役目を終えた包み紙を何度も折り、時間を惜しむ。秋の終わり。

「今日、ってさ。氷室の誕生日でしょ」

 ずっと言えなかった言葉をついに吐き出す。

「知ってたんだ」
「うん。氷室は誰にも誕生日を教えないことで有名だったらしいけど」
「そうだね。お祝いされるのは嬉しいけど、なんだか気恥ずかしくて得意じゃないから」
「じゃあ言わないほうがよかった?」
「そんなことはない。嬉しいよ、ありがとう」
「オメデト」

 なんだか順番が前後してしまった。礼を言われてからおめでとう、か。

「なんでナマエは知ってるの?」
「メアドに入ってるでしょ。8月2日、8月8日、10月30日」
「…………」
「8月8日からすこしスペースがあって10月30日だから、つまりはそういうことかなって」
「敵わないな。メアドは変えておくべきだったか」

 くすくす、今度の笑顔はすこし寂しそうだ。いつもそんな香りはするけれど。

「私が毎年お祝いするから。誰も知らなくても」
「──うん」
「がんばれ」
「ありがとう」

 彼は立ち上がると、私に空いた手を差し出した。

「おかげでいまは暖かいよ」

 おそろいの思い出があなたを暖められるなら、こんなに嬉しいことはない。

「私も」

 彼を真似て私が手を差し出すまで、あと。



20131030

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