XXI
「......ぁ、」
「あ、目ぇ覚ました」
「アーシェングロット!あぁ、よかった…」
「アズール、この指は何本に見えますか?」
「八...本?」
「うん。まだ気が動転しているようですね。でも、よかった。なんとかブロットの暴走は治まったようです」
私のユニーク魔法『
今この瞬間に感謝せよ』は全ての魔法効果を無効化する。前寮長との地獄のしごき部屋で死に物狂いになりながら獲得したものだ。
負のエネルギーとブロットが合わさったものらしい化身は、いわば魔法の副作用のようなもの。私の持てる全力の魔法を直接ぶつければ消せるのでないかと思ったが、うまくいってよかった。かわりに私の魔力はすっからかん。体力も根こそぎ持ってかれ、アーシェングロットの近くにへたり込んで動けなくなった。
「僕は…一体、なにを?」
起き上がろうとするアーシェングロットを支え、上体だけ起こす。
「魔法の使い過ぎでオーバーブロットしてしまったんです。覚えていませんか?」
「僕に力をくださいよぉーって泣きながらみんなの魔法吸い上げたり、珊瑚ちゃんにクソデカ感情暴露したりさぁ、ちょーダサかった。ちょっとゲンメツ」
「そ、そんな…僕が暴走するなんて……、信じられない…」
「それより体調は大丈夫か?痛いところはないか?」
「と、特には…、あ、その頬の傷は、…もしかして、僕が…?」
「え?あぁ気にするな、唾でもつけておけば治る」
大きな怪我もなく、顔色も悪くない。あぁよかった。
「…お前が無事でなによりだ」
「!!」
なんとなくいつもより近くにあったアーシェングロットの頭を小さく撫でると、彼はびっくりしたように目を見開いた。
「あぁ、すまん。嫌だったか?」
「い、いえ!ただ、はい…あのときと、同じ、だな、と」
あのとき…?なんかあっただろうか。
少し考えていると、アーシェングロットは体育座りをするように、縮こまり出した。
「でも、僕は、これからどうしたら…契約書がないと、僕は…」
「アズール、」
「俺は昔のアズールも好きだけどなー」
「そういう問題じゃないんだよ…!」
いつもの自信に満ち溢れた瞳が、揺れる。
「でも悪徳商業はダメなんだゾ!反省しろ!」
「もとがすごいユニーク魔法でも、他人から奪った魔法で強くなってもなー」
「お前ら…他人の作った対策ノートで楽したことを棚に上げるな!」
「わかってるよ!反省してますぅー!」
アーシェングロットはますます小さくなってしまう。
「おやおや…これでは本当に泣き虫な墨吐き坊やに戻ってしまいますね…」
「アズールー、契約書なんかまた集めればいいじゃん」
「うるさい…!」
「…契約書があればいいのか?」
「え?」
「リーチ、なにか書くもの」
「え、あ、はい。お待ちください」
ジェイドが取り出した紙に、サラサラと内容を書く。
たしか、こんな内容だったな。
最後に私のサインを書き込んで、はい、とアーシェングロットの前に差し出した。
「あ、」
「お前が私によこした副寮長の契約書。これじゃ駄目か?」
「えー珊瑚ちゃん天然?」
「しっ、静かに、フロイド」
「…で、でも、僕は、もう力もないし、グズでノロマなタコだし、あなたを副寮長になんて…それに、もう寮長ですら…」
自信なさげに揺れる瞳は、おどおどと周囲を彷徨い、やがて下を向く。
「…馬鹿な奴だなぁ」
「っ…」
ため息と共にそう呟くと、奴の肩がびくりと震える。
「お前がものすごい努力家で、
とっても優秀な奴だなんて、
私が一番知っているよ」
「!!!」
「お前が、我がオクタヴィネルの寮長だ」
肩から落ちていたコートを掛けさせ、少しだけ潤んだ瞳を隠すように帽子を目深に被らせた。
「で、でも!僕には断ったのに、リドルさんからは勉強教わってたじゃないですか!僕には断ったのに!!」
「だってお前、私に寮の仕事回さないし。これ以上世話になりたくなかったんだよ。後輩に教わるのは抵抗あったけど、自分より賢い人に教わる方が効率いいってわかったから、次はお前に頼むよ」
「そ、それにユウさんをすごく気にかけてるし!!自寮生にすらあんなに関わらないのに!」
「魔力のない子なんだ、この学園では苦労するだろうし、気にかけるだろ。ここ最近の学園長からの頼み事はそれだ」
「な、なんでユウさんにはあなたと同じコロンをあげて、僕には絶対あげないなんて言うんですか!」
「お前に必要ないからだよ。詳しくは言えないけど。でもお前にあげたコロンを他の奴にあげたことはないよ」
「副寮長。ちなみになんですが、アズールがあなたに副寮長の仕事を回さないのは、あなたが寮長時代に副寮長をつけていなかったからなんですよ」
「ジェイドッ!!」
「え、そうなのか?あれはなってくれる奴がいなかったからなんだけど」
「そーそー。珊瑚ちゃんに褒めて欲しくて、ぜーんぶやってたんだよねぇ」
「フロイドッ!!」
「いや、ラウンジ経営もやってて私より全然すごいと常日頃から思っているが…」
「ーーッ!!」
アーシェングロットはさらに小さくなってしまった。
「あれ、どうした」
「ふふふ、よかったですね、アズール」
「あぁー、先輩方、お取り込み中のとこ悪いんだが…」
ジャックが気まずそうにそう声をかけてくる。その後ろではキングスカラーがすごい目で睨んでいた。
「コレ、アズールが取ってこいって言ってたリエーレ王子の写真。ちゃんと持ってきたぜ。…まだ太陽は沈んでない。これで完璧に俺たちの勝ちだ!」
ジャックが持ってきた写真を受け取って、みんなで覗き込む。
「なんだ、この写真?...人魚の稚魚どもがわらわら写ってるだけじゃねえか」
「エレメンタリースクールの集合写真…スかね?なんでこんなのが欲しかったんスか?」
「あっは、懐かしい!これ、俺たちが遠足の時に撮った写真だよね?ここに、俺とジェイドも写ってる。そんで…一番端っこに写ってるのが、」
フロイドは少し溜めて、いい笑顔で言い放った。
「昔の、アズーールゥ!!」
「「「「「えっ!?」」」」」
「うわああああああああ!!やめろ!!!!見るな!!見ないでください!!!」
伸ばされた腕をかわし、届かないように反対側の手でかかげる。
「ロックウェールさんッ!!!それを渡してください!!!!」
「私よく見てないし」
「おやおやアズール、急に元気ですね。もう少し寝ていては?ここまできたら、諦めた方が気が楽ですよ」
「どれどれ?」
「隅って…」
「もしかして、控えめに見ても他の人魚の二倍くらい横幅がありそうなこのタコ足の子ども…」
「アズール、オメー昔こんなに丸々と太ってたのか!」
「「まんまるでかわいいー」」
ユウとハモった。
「ああぁあああぁあああぁあ……ッ!!あなたにだけは!知られたくなかったのにッ!!!」
いい絶叫だ。
同級生の卒業アルバムから、写真屋のフィルムまで、アーシェングロットが写った昔の写真は取引で取り上げ、抹消したんだそう。博物館に飾られたこの一枚だけがどうしても合法的に処理できなかったそうだ。
「別にいーじゃん。俺この頃のアズール好きだけどな。今より食べでがありそうだし」
「かわいいしな」
「はい、かわいいです。そんな必死に隠さなくてもいいんじゃないですか?」
ユウと二人でかわいいかわいい言っていると、アーシェングロットは顔を真っ赤にして、帽子をさらに目深に被り、みんなから隠れるように私に縋り付いた。
「…うぅっ、もういやだ。今すぐタコ壺に引きこもりたい…」
「よしよし、そういうこともある」
まるで赤子だなと思いながら、ぽんぽんと小さく帽子を叩いた。
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