IX
ユウたちと別れ鏡舎を抜けて、談話室を過ぎ、急ぎ足で寮長室へ。
ノックをして「失礼します」と踏み込んだ。
「おや、いつもでしたらもう就寝のお時間ではありませんか?副寮長」
アーシェングロットはデスクに向かい、今日契約したであろう契約書の束をまとめていた。
「単刀直入に聞く。何故、オンボロ寮監督生ユウとの契約の担保に、私のコロンをいれた。お前はもう私のコロンを持っているはずだろ」
私がそう聞くとアーシェングロットはおかしそうに目を細めて笑った。
「あなたがそれを聞きますか。何故だかはもうおわかりでは?」
「…君用に調合したコロンだ。私の使用しているものとは少し違うが、匂いは同じものを渡している」
「えぇ。僕はあなたと同じものが欲しかったのですが…それはそれとして。あなたが僕用にと作ってくれたものというのはわかっています」
「なら、」
「でも、あなたとまったく同じものを使っている人がいたんですよ。それもご好意でもらっているだとか」
アーシェングロットは眼鏡を少しあげ、私を見つめる。
「ずるいじゃないですか。僕がこんなに欲しいと願っているのにもらえず、ぽっと出の新入生がもらっているんですよ?しかも、最近我が副寮長はその新入生に大変ご執心だ」
席を立ち、少しずつ、近づいてくる。
「定期的にあのオンボロ寮に赴いていますよね?入学式以来、あそこでなにをなさっているんですか?」
目の前に立ち、奴の碧眼が私を見下ろした。
「以前、学園長の用事だとおっしゃっていましたが、学園長はあなたになにを依頼しているんでしょうか?もしお答えくだされば、例のコロンは担保から外しましょう。いいお話でしょう?」
優しく穏やかに、そして慈悲深く…そう見えるように仕向ける交渉術は実に見事だ。
学園長からの依頼?ユウの面倒を見てやれなんて話をしたら、何故私が面倒を見ることになったのか、その経緯も話さなくてはならなくなる。コロンを担保から外すだって?いざとなったら自分たちで手に入れることが可能だからだろ、今までその気がなかっただけで。
こんなのはいい話ですらない。
「…アーシェングロット」
「なんでしょうか」
「お前に私と同じコロンは必要ない。だから渡さなかった。同じものを欲していて、渡さなかったことは謝るが、今後もお前に”私のコロン”を渡すことはない」
「……」
「もちろん、ユウからもだ」
室内の温度が、幾ばくか下がったような気がした。
「あなたは、あちらにつくと、」
「そうとってもらってかまわない」
改めて少し高い位置にあるやつの顔を見つめる。
アーシェングロットは眉間にシワを寄せ、険しい顔をしていた。
「お前たちの言う通り、もう私の就寝時間は過ぎている。今日はこれで失礼する、寮長」
「…えぇ、副寮長、」
バタンと扉を閉めた先。
「…どうして、そこまで、僕じゃ、ダメなのか…?」
そんな呟きは私には届かなかった。
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