沈黙の日々
夏休みが終わり、残暑が厳しい9月。私はいつも通り学校に来て、いつも通り生徒会室に篭っていた。
今日もクーラーが効いていて気持ちがいい。
そう思っていた時、バンッ!と生徒会室の扉が乱暴に開かれた。
「!」
不知火さんかなと思っていたら、予想外の人が入って来た。
「邪魔するぞ、浅見!」
「土方先生、何かご用ですか?」
土方先生の後ろには、どこか楽しそうな沖田先輩が居る。
沖田先輩は遅刻の常習犯だ。全くもって反省していない反省文を、生徒会に出しに来る為、私とは良く顔を合わせる。…あの文で近藤校長は納得しているんだから驚きだ。
「…浅見。今月で、総司の遅刻は何回だ…?」
少し声を荒げてそう聞いてくる土方先生。ドアの開け方からしても、いらついているんだろう。
「今月は…20回ですね」
私がそう言った瞬間、土方先生の眉間のシワが増えた。
「あ、今朝のを入れれば21回です」
そう付け足せば、さらに眉間のシワが増えた。沖田先輩は楽しそうに笑ってる。
「…総司」
「なんです?土方さん」
土方さんの低い声にも、沖田先輩は楽しそうに答える。
「お前な!2学期に入って大半が遅刻たーどういうつもりだ!!!」
「ですから、ちゃんと反省文書いてるじゃないですか」
「反省してねーだろうがッ!!」
確かにもう9月の後半だ。そのうち遅刻が21回。反省はしていないだろう。そもそも反省文からして反省していない。
「近藤さんもお前の遅刻に頭を悩ませてんだ!いい加減にしやがれ!!」
「じゃあ近藤校長に直接謝りに行きますよ、それでいいでしょ?」
「…近藤さんは今日出張中だ」
「じゃあ帰ってきたら」
「………」
これが殺気だろうか。土方先生は人を殺す勢いで沖田先輩を睨んでいる。…沖田先輩は笑顔のままだ。
自分に向けられている訳ではないが、私はこういう緊張が苦手だ。まあ好きな人なんていないと思うが。
「…とりあえず、遅刻の反省文は原稿用紙3枚なので、沖田先輩は提出してください」
私がそう言えば、緊張は解けたが、土方先生はまだ沖田先輩を睨んでいる。
「…10枚だ」
「え?」
「20回の大台だ、10枚書かせろ!」
ドスの効いた声が響く。
…でも沖田先輩に何枚書かせたって、反省なんてしないと思うんだけどな…
「今日中に提出だ!いいな!総司!!」
バタン!
土方先生はまた乱暴にドアを開け、出て行った。
「…10枚か」
沖田先輩はやっぱり楽しそうに呟く。
「今昼休みだから…」
「沖田先輩、あと5分で昼休み終わります」
「あ、本当だ」
時計を見れば授業開始まで、あと5分。沖田先輩は少し考えるように黙り、そして
「じゃあこの場所、貸してよ」
「はい?」
そんなことを言った。
「生徒会室なんて君以外使ってないじゃない?」
「…………」
とっさに"そんなことありません"の一言が出なかった自分が憎い。確かに会長も天霧さんも不知火さんも仕事をしないし、皆さん生徒会室にはほぼ居ない。…私が来てからは特に。
「俺一人で居るのが駄目なら、君が監督役として居てよ」
遅刻常習犯の監督役を生徒会副会長がやる…まあ、筋が通ってる話ではある。
「どうせ、5分前でもここから出ないんだから、サボりでしょ?次体育なのに制服だし」
「…良く知ってますね、次が体育だって」
「さっき、体育着の千鶴ちゃんと平助に会ったからね」
成る程。まあ、まだ暑い中、体育に出るなんて絶対に嫌だったし丁度いい。
「いいですよ」
そう言えば、同時に本鈴が鳴った。
「はい、終わりー」
「確かに受け取りました」
午後の授業を全てサボり、沖田先輩は反省文を終わらせた。…あ、今回のは真面目なんだ。
「喉渇いたなー」
「お茶ならありますよ」
そう言って、私は沖田先輩にお茶を出した。
「うん、冷たくて美味しいね」
「お口に合ったならよかったです」
自分も一口飲んだあと、私はまだ終わっていない生徒会の仕事に取り掛かる。
…来月の体育祭関係ばかりだ。これとこれは会長の印で、これは…天霧さんに目を通して貰わないと。
「…………」
「…………」
あ。珍しい、不知火さんの印もいる。
「…………」
「…………」
これは私の判断でいいな。
「……ねぇ」
「なんですか?」
先程まで私のことを黙って見ていた沖田先輩が、話し掛けてきた。
「君って、どうして副会長なんてやってるの?」
彼はにこやかに笑いながらも、目だけは笑っていなかった。
「…別に、大した理由はないですよ」
「そうかな?大した理由なくて、生徒会の仕事を全部やってるなんて、僕には理解出来ないんだけど」
「…私、本当はもっと高い学校に行ける頭、持ってるんです」
「確か、今女子の学年1位だっけ?」
「はい。でも家から近いのと、制服でこの学校に来たんです。…まあそういうわけで、はっきり言ってしまえば、つまんなかったんですよ、学校。そんな時に副会長募集の貼り紙を見付けて、万年留年会長とか、誰もならない副会長とかに興味が湧いて、今に至ります」
私の言葉に納得がいかないのか、沖田先輩は黙って私を見ている。
「…納得いかない顔をしてますね」
「うん、できないし」
「そうですか」
「だって、興味が湧いたにしたって、限度があるでしょ?生徒会の仕事は、君が一人で全てやってる。朝の服装検査だって、君が一人でやってるから、一君が見かねて風紀委員を動かしてるんだし」
「…朝の服装検査はもともと風紀委員の仕事ですよ。監督に生徒会役員が一名つくことになってるんです」
「その監督、毎回君でしょ?」
「まあ」
「先月の合宿だって、君が暑い中仕事してるのに、あの3人は剣道部の練習こなしてる」
「その度に、沖田先輩が私に文句言いに来ましたね」
「こんな損な仕事ないよ」
沖田先輩はにこやかに笑ってる。
「…結局、何が言いたいんですか?」
回りくどい言い方、疲れてきた。
「だから、やめたくない理由があるんじゃない?」
「……………」
ここで黙ることは、肯定を意味してしまうが、私はとっさに答えることが出来なかった。
「ほら例えば、生徒会の誰かが、好き、とか」
「…好き、ですか」
「うん」
沖田先輩は機嫌良さそうに、ニコニコと笑ってる。
心臓がうるさい。私は静かに呼吸して、目をとじてから、沖田先輩を見つめた。
「皆さん好きですよ。仕事はしてくださらないし、面倒が増えるときもありますけど」
「そういう好きじゃないんだけど?」
私は、会長が好き…。でもそれは、
「この間の合宿、肝試しの時にさぁ、君、千鶴ちゃんのクジをすり替えたよね?」
私だけが知っていればいい。
「君の思惑通り、風間とペアになった。君って、何がしたいの?」
沖田先輩の表情が、どんどん厳しくなってゆく。私の心臓は先程よりうるさい。
「君は千鶴ちゃんの友達でしょ?なのに、ストーカー紛いを近づけるって、どういうことかな?」
「沖田先輩、生徒会長をストーカー呼ばわりはやめてください。あの人はこの学校の代表ですよ」
「僕は紛いって言った。ストーカーって言い切ったのは君だよ」
「…揚げ足、取らないで下さい」
「始めに話の腰を折ったのはそっち」
どことなく流れた沈黙。
いつものにこやかな表情ではなく、不機嫌そうに顔を歪めている沖田先輩。
…私は、いつも通りの無表情だろうか。初めて感情を表に出したくないと思った。
「…………」
「…………」
お互いを見つめたまま、沈黙。
しばらくして、
[3年沖田総司!!今すぐ職員室に来い!]
ドスの効いた放送が流れた。
「あ。そういえば、さっきの時間って古典だったけ」
「……単位、大丈夫なんですか?」
「計算してサボってるから大丈夫」
悪びれる様子もなく、沖田先輩はそういう。…多分、わざとなんだろう。
「まあ呼ばれたし、行ってくるよ。お茶飲みにまた来るね」
「どうぞ、お茶菓子は持参でお願いします」
沖田先輩は扉を開け、少し振り向き、私を見る。
「君は、風間が好きなの?」
にこやかな表情。
「さあ。どうでしょうね」
私はいつもの表情で、そう答えた。
「ふーん」
バタン
沖田先輩はそう言って部屋から出て行った。
「…………」
私は、会長が好き。
目が合う度、うるさくなる心臓。
平常心を保とうとする気疲れ。
私は、会長が好き。
千鶴ちゃんも好き。
千鶴ちゃんを見てる、会長が好き。
この学校で、会長に物理的な意味で1番近い女子生徒は、私。
でも、
多分1番遠い位置にいるのも、私。
仕事の出来る女。茶を汲む女。
それ以上でも、それ以下でもない。
この感情は、私だけが知っていればいい。
この距離を、自ら壊しに行く必要はない。
この思いは、知られてはいけない。
千鶴ちゃんが知れば、彼女はきっと、私と会長をくっつけようとする。
会長が知れば、最悪、生徒会を辞めさせられるかもしれない。
他の人達が知っても、きっといい方向へは転ばない。
だから、このままでいい。
恋に恋してるだけかもしれない。
でも、今のままで、私は満足。
だから、このままで…
「…あの子、本当に表情が崩れないなぁ。でも、あの一瞬の間」
『だから、やめたくない理由があるんじゃない?』
『……………』
「…面白いよね」
「おい総司!!聞いてんのかッ!!!」
「聞いてますよ、土方先生」
← top →