「おーい、生きてるかー」

 厚い木製の扉を持ち上げたサッチが、下敷きになっていたステンシアへ問いかける。その問いに答えるように小さく唸った男を気にはするが、対応はここにいるもう一人の男――ジンベエに任せてしまっていいだろう。否定こそすれ、この魚人は随分と彼にご執心のようであるし。

 持ち上げた扉からずるりと落ちた見覚えのある青い鳥は情けなく目を回していて、ああ、この姿なら飛ばされることもあるのか。そう、上手く処理しきれない頭が間違った方向でサッチを納得させた。

「ああ、サッチさん。持ち方に気を付けんと――」

 サッチの行動に気を取り直したジンベエがステンシアへ駆け寄り、サッチには注意を促す。

 ――それが間に合えば、何だかんだ良い思い出で収まりかけたサッチの記憶を大変な目にあった一日≠ヨと塗り変えることはなかっただろう。

「うおォォォォォあああ!!!?」

 扉一面が強風を受け止め、サッチの足は意図せず宙を蹴った。「いやあもう、勘弁してくれって。おれが何をしたってんだ」サッチの感情を代弁するならこれであろう。尤も「一瞬でも強風に対抗しようとせず手を離していれば、きっとお前は大した被害を被らなかったぞ」というのは禁句である。

 がしゃんと椅子にぶつかり、テーブルを巻き込んでカウンターへ衝突したコック服を心配する余裕もなく扉だけを受け止めたジンベエザメの魚人は、装飾が凶器にも思える木の板を元の位置へ押し戻し店内へ平穏を呼び戻した。
 途端、微動だにしなかったステンシアが待ってましたとばかりに立ち上がり、カウンターの向こう――生活スペースへと繋がる扉の中へ駆け込み、右手に金槌と釘、左手に長方形の木の板を抱え駆け戻る。

「お、おおお、今回は一段と障害物が……!」
「焦らんでもええて、転ばんように気を付けてくれ」
「ええ? のそのそしてたらジンベエさんが!」
「わしはきみが思うとるほど軟じゃないわい」

 駆け出して行った時の素早さはどこへやら、よたよたと足元と板の移動範囲に注意しながら進むステンシアは動き辛そうであるし、一つずつ持ってこればよいものを一気に持ってくるものだから、転んだらまず受け身は取れないだろう。転ばれるのは困るけれど、残念ながら扉――今の状態は扉というよりただの木の板か――を押さえながら手伝える距離にはない。だからと言って手を離せば先程のような惨事になることは目に見えているのだから離すわけにはいかなかった。

 誰か。散乱とした店内を見回すが、扉を破壊した青い鳥は未だに目を回しているし、暴風に煽られたコック服の海賊も意識がないようである。

 これほど自分がもう一人いれば、と思ったことはない。

「よいしょっと」

 どうやら工具から持ってくることにしたらしいステンシアは落とすように板を手放し、金槌と釘をジンベエの元へ届けた後、板を拾い上げた。

「一枚ずつ持って来た方が楽じゃろうて」
「そこまで軟弱じゃない!」

 長い黒髪が両脇に板を抱え、ぷうと片頬を膨らませる。一般的に四十を過ぎた男がそんな子供じみた行動を取っても可愛さに欠けるものだが、ジンベエと十年前後過ごしてなお風貌の変わらないステンシアのそれは恐らく適用されないだろう。

 そもそも、いい大人の男が頬を膨らませたところで同い年かつ同性が可愛い≠ニいう感情は湧かないのだが、ジンベエの目にはどうにも幼く可愛らしく映った。それも昨日今日のことではなく、何年も積み重なってきた感情で最早そう映ることに違和感も疑念も湧かない。

 線の細い後ろ姿こそ人間の女と見間違えるけれど、振り向けばそう。声を聴けばそう。間違えることは早々ないような男である。尤も、伸びてしまっているコック服の海賊は気付かなかったようであるが、本物の女と並べば体格の違いで分かるのだ。――避けているのか避けられているのか、彼の周りに女性がいるところはあまり見かけないけれど。

「――よしジンベエさん、もう離していいから手伝って」

 差し出された金槌を受け取った魚人の男は癖の強い黒髪を見下ろした。

「……ジンベエさん?」

 動かないジンベエを不審に思ったステンシアがジンベエを見上げ、僅かに首を傾げる。「どうかした?」視線がそう訴えているのは分かったのだけれど、上手い返答が思い当たらず「ステンシアくんは昔から変わらんと思うてな」その場凌ぎで今まで何度言ったか分からない台詞を吐き捨てた。


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