人を見かけで判断してはいけない。他人の噂で構築された理想像ともいえる人物像を本人に押し付けるべきではないというけれど。それにしたってこんな裏切りがあって良いのかとリーゼントの崩れたコック服は項垂れる。
さして息も乱さず『Close』の看板が掛けられた扉を開いた癖の強い黒髪は、項垂れる男を店内へと招き入れた。
「荷物、ありがとうございました。走り辛かったでしょう?」
「……お前、案外足早いんだな」
「そりゃあ、鈍足じゃ逃げられないし」
「それで、お嬢ちゃん。お前もしかして男か?」
「え? ええ、はい」
悪びれる様子もなく答える男に紙袋を手渡したサッチはため息を溢す。
考えてみれば彼は自分が女だとは言っていないし、勝手に思い込んでいた自分が悪いのだけれど、否定くらいはするものではないだろうか。たらりと垂れてきた前髪を後頭部へ弾き、店内に設けられた椅子に腰かけた。
「で、結局ジンベエはいないのな」
「さっき撒いた」
「いやいやいや、ジンベエ撒いてどうすんだよ」
「屋内の方がいいと言われたものだから」
ガラス張りのケースの中に商品が並べられたカウンターの奥へ入っていくステンシアの後ろ姿にサッチははたと気がついた。
通常――今となっては海上生活の方が多いし、開店していない店に入ることなんてないからそれが本当に通常なのかは分からないけれど――店主が戻ったのならば掛看板は『Open』に変えるものなのではないだろうか。
僅かに薄暗かった店内は明かりが点けられ、開店しているようにしか思えないというのに掛看板を変える動作は見られない。仕込みが出来ていない? まさか。十二時を回ったというのに準備の出来ていない菓子屋が存在するのか。或いは――
「定休日……?」
ぽつりと呟いてみてステンシアの様子を窺う。聞こえていないか。それはそれで仕方ないというもの。
サッチはステンシアをじっと見つめた。
「甘味処ReÍrには、決まった休みも営業日もないよ」
「は、」
「海賊も海兵も来るとはいえ騒ぎになるのは避けたいし、店舗はここだけじゃない」
今日会えたのは幸運だったねえ。レジの近くからそんな声が聞こえた。
――そう、彼の言葉は正論なのである。それはこの島に着く前から分かっていたことで、だから今回もあまり期待もしていなかったのだけれど、いつも、いつだって期待していないわけではなかった。
甘味処ReÍr。幸福でも笑顔でもなく笑うという意味を持つ店名は、店主に会えない来訪者を嗤うという侮蔑が隠されているという噂も聞く。けれど、例え多くの島に分店があったとして、その経営者はステンシアという人間国宝唯一人なのだから邪推も甚だしいというのがサッチの見解だった。
個人的には店主不在で商品を見ることは叶わないことよりも、どの島の店舗も人を呼びたいのか呼びたくないのか分からないような場所に建てられている部分を問題視している。
とはいえ店主を見つけることと比べれば店舗を見つけることは容易かれど、店を捜す手間と労力、更には経営主と出会える確率の低さから、あらぬ噂までもが流れる店舗に店主がいるというのは幸運そのものであった。
「何か買っていけたりすんの?」
「ああ、うん。と言っても数も種類もあんまりないけれど」
サッチが立ち上がるのにつられて立ち上がったステンシアの瞳が一瞬出入り口を映し、ガラスケースに歩み寄るサッチの崩れたリーゼントを映した。
なあこれ何入ってんの? と言いかけた言葉を呑み込み、頭髪を崩そうとする手を掴まえる。
「そう簡単におれの髪形が崩せると思うなよ」
「いっそ全部おろした方がいいって」
「この髪型の良さが分かんねーのか」
「鏡見て同じことが言えるなら私も止めないさ」
何だと、そんなに似合わねえって言いてえのか! からからと鳴った出入り口のベルが言い募ろうとしたサッチを黙らせた。開店していない店への訪問者を確かめるように出入り口へ視線を送れば、魚人の男が姿を現し「なんじゃ、随分仲良くなったもんじゃな」感心したように呟かれる。その姿に慌てて手を放したサッチは男の名を呼んだ。
「ジンベエ!」
「随分と振り回されておったな」
「いや、そうでもないぜ」
けろりと言い返したサッチは「中々楽しかった」と伝え、再びガラスケースと向き合った。
どれも綺麗で目移りしちまうなあ。サッチが呟く。その様子に目を瞬かせ、笑い声を溢したステンシアはジンベエを見詰めた。
「ジンベエさんおかえり。どこ行ってたの?」
「ああ、オヤジさんに挨拶に行っとったんじゃ。店を空けて悪かったのう」
「サッチさんはジンベエさんに用があるみたいだったんだけど……」
業とらしく指先を顎に当てたステンシアはサッチを見遣り手袋をはめ「紅茶でいい?」「ああ」短く即答したジンベエに苦笑いしてサッチの返答を待てばぱちりと視線が交わる。瞠目した海賊は「おれってすげえラッキー?」そう言い軟派な笑顔を浮かべた。
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