聖地マリージョアは話に聞いた数倍様々な声が飛び交っている場所だった。けれど、そのどれもが痛々しく、賑やかとは言い難い。
 いたい。こわい。しにたくない。かえりたい。
 どこから聞こえてきているのか分からないその声は、手を引く男が進むたびに大きく、数も増し、嘲笑、侮蔑までもが鮮明に頭の中へ叩きつけられる。

 酷く居心地が悪い。
 ――頭が、割れそうだ。

「どうかされましたか? 顔色が優れないようですが……」

 平然とした態度を崩さない男は言った。

 そりゃあ体調も悪くなるか。こんなところに閉じ込められるんだから
 可哀想だなあ

 可哀想、そうか、この男から見た私も可哀想なのか。何故だか妙に納得したステンシアは僅かに眉間に皺を寄せた。

「……もっと静かな場所はないの? そこら中から聞こえる声に紛れてきみの声を聞き逃してしまいそうだ」

 男は呆けた顔をして声なんてどこからも聞こえないじゃないか≠ニ心中でぼやく。
 口には出していない言葉だった。けれど、その声さえ拾い上げたステンシアは首を傾げる。

「きみには、この悲鳴が聞こえないとでも言うのかい……?」

 声には出していないのに、明らかに自らの思考を汲み取っていることが窺える発言に男の顔は引き攣った。

 ――聞いていないぞ。この男が見聞色を体得しているだなんて。

 いや、これは恐らく体得しているというわけではないのだろう。煩いと感じるならば見聞色を使わなければいいだけの話で、敢えて別の場所を望むようなことはしないだろう。
 常時垂れ流しの見聞色なれば、聖地マリージョアで恨み言も苦痛も聞こえぬ場所など存在しないと言っても過言ではない。
 ステンシアの身を案じた男は口を開きかけ、うっすらと弧を描いた唇に言葉を呑み込んだ。

「大丈夫、受け入れたのは私だから」

 ありがとう。と述べた男にかける言葉を見失い、必死に手繰り寄せた「ご自愛ください」は彼の中でどう処理されるのだろう。嬉しそうに笑って「またね」なんて、また会うときが来るはずもないのに。

 もやもやとした感情を抱えながら、天竜人が作った――正確にはステンシアが奴隷という立場で聖地マリージョアにいなければならないわけではなく、肩書きがあるから仕方なく故郷を離れて違う土地で生活しているのだと証明できるものを紙媒体で作らせたものである書状を手渡し、紛失しないようにと言っておく。

「また今度は来ない? いいや、来ると思うよ」

 どこか確信めいた台詞は真実で、男は約二年が過ぎた頃、一通の手紙を届けるべくステンシアの下へ赴いた。

 書きなれているのだろう綺麗な鶯色の文字で書き綴られる封筒の内容は好奇心をそそられるが、僅かに淀んだステンシアの瞳に海兵は稚拙な感情を押し込む。

「……そう、か」

 男の姿を認めるなり浮かべられた笑顔は差し出された手紙を視界に入れた途端に凍り付いたのだ。
 内容を確かめる様子は――ない。

「あの国は、もう、終わってしまったか」

 ぽつりと呟かれた言葉に男は首を傾げる。たった一通の手紙ごときで国の存亡まで話が飛躍するとは到底思えない。ましてやステンシアの故郷であるレティセシア諸島から届いた手紙は未開封。
 ステンシアは目を閉じ、一つ大きく深呼吸をして男を見上げた。

「ありがとう。それで、これからここにもニュース・クーを飛ばしてはくれないかな。世界情勢くらいは、知っておきたい」
「――承知いたしました」

 レティセシア諸島が政府の手によって発見され、海図に載ることなく崩落したのは、その三年後の出来事だった。
 幻の中立国家、レティセシアは存在しなかった″外として世界各国にばらまかれた新聞の一面を飾った記事の見出しが、まさにそれだ。

 それらしい諸島を発見したが、とても人の住めるような場所ではなく、過去に人が住んでいた形跡さえ一切見つからない。と書き綴られた文章の上にでかでかと掲載された荒野の写真は、生命が存在するとは、存在していたとは思えないほどに破壊されつくしていた。

 存在しなかったのではない、存在をなかったことにされたのだ。そう主張する声はどこからも上がらない。上がるはずがなかった。

 何千年と続いた国家は、数日の間に滅亡の一途を辿ったのだ。

 存在するかどうかも分からなかった諸島の場所が明らかになり、更にそこが国家として、人の住む地として存在しなかったとなれば、その地を捜して彷徨った挙句、海の藻屑となった海賊は滑稽極まりない。それが後を引き、昔は信じていた。そんなことを言えばたちまち嘲笑が沸き起こる事実無根の御伽噺と成り果てた。

 ――同年、ロジャー海賊団が偉大なる航路を制覇し、ロジャーが世間から海賊王と呼ばれるようになった後、ロジャー海賊団は解散。
 翌年、海賊王ゴール・D・ロジャーが世界政府に自首をした。
 政府はロジャーの自首を海兵が捕縛したと嘯き、ローグタウンにて処刑。

 海賊王は死の間際、笑っていたという。

「おやじ殿が言った通りの最期だったんだねえ」

 ニュース・ク―が落とした新聞を拾い上げ、ステンシアはぽつりと呟いた。

 声を拾い上げるものはいない。かつて寂しいと思っていたことすら寂しいと認識できないほどに感覚は麻痺していた。


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