他人に願われたことをこなしてきたステンシアに男はいわゆる土下座というものをしたのである。
「お顔、上げてくださいませんか。何か悪いことをしたようで気分が悪いです」
「この国の行事を、国内行事を世界行事にしてはくれまいか」
「あの、」
「この地は中立国家であるから難しいことであるかも知れない。けれど! そうすることでこの国は更に発展するだろう。世界を知れば変わることもある! 種族に対する差別意識のないこの地の――!」
「顔を上げてください。あなた、言葉は分かるでしょう?」
ステンシアはウェシルの前に膝をついた。はっと顔を上げた男が叫ぶ。
「この国の職人であるきみになら、いや、きみにしかできない!」
思い返せばそう、考え直せばそう。
「――私を奴隷に? 私の作り出すものに価値を付けるのは勝手ではありますが、それで私を買えるとでも思ってらっしゃるんですか、馬鹿馬鹿しい。あなたたちが何であれ、あなたたちの視界に入る私がどういうものであれ奴隷が作った≠ニいうだけで全ての価値が無に帰すのでは? それともなにか。自分の所有物が作ったと、それが自分自身の評価に繋がるとお考えなのならば間違いかと。なぜならそれは作り手に対する賛美であり、それを所有物として閉じ込めるのは傲慢で知性の欠ける害虫≠ニ表現せざるを得ませんね」
天竜人が何事かを口走る。
しかしその声はステンシアには届かなかった。
「天竜人? だから何だ。商品を作るのは作り手、売るのは売り手、買うのが買い手だろうが。その対等を崩して差し上げる価値は、あなた方にはないのです。ええ、そう。商品の前で人種、地位、権力など、ただの装飾品に過ぎない」
この無礼者を殺せ℃G音がようやく言葉として空気を震わせたとステンシアは笑みを浮かべる。
銃口を男に向けたそれらはぴたりと動きを止めた。別段ステンシアが何かしたわけではなかったが、その表情には四肢の自由を奪う何かがあった。
覇気というにはあまりに穏やかなそれに数泊遅れて銃声が響く。
「私を殺して何になるというんですか? ああ、何にもならなくていいんでしたっけ。仮に私を殺したとして、世間に出回らないだけですもの。尤も、あなたたちが必死でないものとしたいレティセシア諸島が存在するという事実は広がるでしょうが」
水色の瞳が細められ指先が口を隠すように添えられる。
ここでこの男を始末してしまえばそのような情報は出回らないだろうと考え、海兵ははたと気がついた。
この者をマリンフォードまで送った船は海賊船。よりにもよってあのゴールド・ロジャーが船長であるオーロ・ジャクソン号である。海軍が本部として拠点を置くマリンフォードにのこのこと現れた海賊を取り逃してしまったことは重大な問題ではあるが、ロジャーの連れてきた中性的な青年の第一声は何だったであろうか。
拡声器を用いたそれはマリンフォードに広がっただろう。ともすれば、どこかの記者が既に記事にしているやもしれない。
――世界的中立国家は存在する。海図に書き加えられてこなかった謎に迫る。などと大きな見出しを背負い、海軍への不信を煽る文言がつらつらと羅列されるのだろう。
更にその声を上げた者が殺されたとなれば、体裁も気にしなければならない海軍の失態となり得る話である。
「そこで、あなたたちに一つの提案を提示します」
にこり。男は笑う。
もはやそこに拒否権など、用意されてはいなかった。
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