『国内行事を国際行事にしてほしい』
ステンシアがマリンフォードへ訪れるきっかけとなったのは、移り住むことを決断した移民がこんなにすばらしい政を世界の誰も知らないのは勿体ない≠ニ声を大きくして訴えたからだった。
別にいいじゃないか。彼らは外の世界を望んでいないのだから。移民に対して声を放った先住民は少なくない。けれど彼らは何かが間違っていることに薄々気がついていた。
何が間違っているのかは分からない。それでも何かが確実に間違っていて、だから移民は声を上げたのではないかと、それは洗脳のように瞬く間に諸島中に広がっていった。
だっておかしいじゃないか。海賊にも海軍にも傾かない中立国家の存在がまやかしと揶揄される現実は。待てど暮らせど海図に書き込まれない国が存在するだなんて。
しかしそれでもレティセシアの住民は動かなかった。
縛られることなく自由に生きていくことに満足していたのだ。
知っていたのだ。外界の恐ろしさを、人々の在り方を。
差別意識が根付いている世界であることを憂いても、だからといって自分が変えてみせようなどと思う者はいなかった。差別意識に屈したのなら、いつでもこの国が受け入れよう。団結という武器で数多の弊害を乗り越えよう。
そうした、酷く身内主義的かつ事勿れ主義な国民性が間違っている何か≠ヘこの世界≠ナあると位置づけ、だからこそ外界の者に期待しないという性質が構築されていった。
――期待をしない≠ニいうのは自分の意志や感情を全て言語化または行動で示し確実に表明することで、察してくれるだろうという態度を捨てることであり、その上で、何度か裏切られたとしても許す、無関心とも言い換えられるものだ。
人任せの意志で生きてきていたステンシアが自らの意志で動いたのは、恐らくその移民の言葉も影響しただろう。
『世界は広いのに、この地にいる人たちしかこの催事を知らないのは勿体ないのではないか』
『この地の文化は素晴らしいのに、それを世界が知らない。この地の職人たちの作るものには、まるで生命が宿っているかのような輝きがあるのに、それをこの地だけで留めておくのは勿体ない!』
『この地の職人が世界を知れば、きっとこの世界から間違いが消えさるというのに!』
それは国内行事を支える職人たちを指名した賛美だった。
レティセシアの職人が凄いことなど、彼らにとって当たり前の事実でしかないし、職人たちにとっては当たり前である≠ニ認識されているはずのそれを異常だとでも言うような移民の声に頭を悩ませた。次第に雑音となり、それでも瞬く間に諸島を駆け回ったそれは、徐々に内部崩壊を呼び込んだ。
三年に一度、変わることなく行われていた品評会と親しまれるその行事が、執り行われなかったのである。
事の発端である移民はそれを嘆いた。
『世界に見つけてほしいと願うのは間違っていたというのか!』
移民の賛美は、紛れもない善意だった。
けれどその善意は善意として伝わらないどころかレティセシアの職人を苦しめる毒でしかなかったのである。
レティセシア諸島の国宝とされる職人たちの命を数多葬った移民は、しかしそれでも誰からも責められることはなかった。もはやその者の声は、姿は、レティセシアの民たちに認識されていなかったのである。
しかし、ただ一人。
「どうかされましたか?」
きらりと少女にも見える少年の水色の瞳が彼を捉えた。
「私のせいで、品評会は取り消しになってしまったというのか……?」
「ああ、品評会。今年は職人が集まらなかったと聞いています。心待ちにしていたのですが、残念ですね」
少年は躊躇いなくさらりと答える。
男はそのしっかりとした喋り方に少年ではなく青年という印象を受けた。
「……お名前、伺ってもいいですか?」
男は少年にウェシルと名乗り、少年に名を聞き返した。
「レティセシアの菓子職人。――ステンシアと申します」
微笑んだ少年、ステンシアの両手を包み込み、ウェシルは首を垂れる。瞠目する少年を気にも留めず両手を解放し、膝を折った。
この少年は、既に職人らしい。この国の国宝だ。彼を世界へ送り出せば、レティセシアは有名になり、彼も名声を手に入れられる。
地面に両手をついたウェシルは額を大地に擦り付けた。
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